目覚め
「なっ、えっ、は?」
唐突な出来事に、隼人の思考が停止する。
居るはずのない人間。そもそも、存在していてはおかしい筈だ。
何故ならば、あれが"夢の中の出来事"であったから。
「しかも今、見つけたとかなんとか・・・」
混乱する隼人をよそに、銀髪の少女は走り出した。
そして、その勢いをそのままに、隼人の腰周りに抱きついた。
「うおっ!?」
不意のタックルに隼人は踏ん張ることが出来ず、少女と共に道のど真ん中に倒れこけた。
「やっとミつけた!ミつけたよ!」
歓喜する少女の意味が全く判らず、隼人の混乱は勢いを増すばかりだ。
「ちょっ、わかった!取り敢えず離れろ!」
人がいないと言っても、道路のど真ん中。いつ人が現れるか判らないし、こんな姿を誰かに目撃されるわけにはいかない。
隼人は、強引に少女を引き剥がすと立ち上がった。
多少冷静になった隼人は、改めて少女を見た。
銀の髪、綺麗な瞳、整った顔立ち。
どれもこれもが夢のまま。まるで夢からそのまま飛び出したかのような、否、そうとしか言う事の出来ない状況だった。
強いて違和感を唱えるならば、夢で見たよりも、性格が荒っぽいという事であろうか。
「君、名前は?どこから来たの?」
状況を少しでも整理しようと、隼人は適当に質問を投げかける。
だが、
「わかんない」
「は?名前も?なんにも?」
「わかんない」
「・・・・・・そうだ、さっき『見つけた』とか言ってたよね。てことは、どこかで会ったことあるのかな?」
「ないよ、だから探してたの」
「・・・・・・どう言う事だよ」
隼人は一人頭を抱えた。
どこから来たのかはともかく、名前もわからないというのは一体どういうことなのか。
記憶喪失という事か?でも何故隼人のことはわかっているのだろうか。
と、悩んでいるように見えるが、隼人の中には既に答えが出されていた。
認めたくないが、これしかない。
それは、"少女が夢からそのまま飛び出してきた"。と、言う答え。
"会ったことはない"と言うのには理解できないが、隼人の事を知っているのことに関しては辻褄が合う。
"どこから来たのか"なんて、判るはずもない。「あなたの夢の中から」なんて言われても嫌な訳だが。
そして、夢の中で生まれたのならば、名前がないのも、頷けないこともない。
大分無理やりな推理であり、隼人自身あまり納得していないのだが、一旦はこう思うしかない。と言うか、思っていないとやってられない。
「どうしたの?」
少女のその言葉で、隼人は現実に意識を戻す。
キョトンとした顔で、少女は隼人を見つめていた。
少女のことを理解したところで、問題は一つも解決していなかった。寧ろ、増えたと言っても過言ではないかもしれない。
交番に行ったって、名前も住所も伝えられない。夢の中から来たんですなんて言ったって信じてもらえる訳がない。危ない人間、そう思われるのがオチだろう。
解決策が一向に浮かんでこない問題に、又も頭を抱えている時だった。
「そこのにいちゃん、ちょっといいかい?」
聞き覚えの無い声。
隼人が顔を上げると、そこには細身の男が立っていた。
薄汚れたパーカーにスウェット。男の癖に肩まで髪をだらりと伸ばしており、沈みかけた夕陽の元では、その表情を上手く伺うことが出来ない。
辛うじて見える口元は、気味の悪い笑みを浮かべていた。
「何か・・・用ですか?」
隼人は男の動向に警戒しながら、恐る恐る答えた。
「ちょっとそこの女の子、こっちに渡してくれないか」
「は?」
「おじさんその子の保護者でさ、朝からずっと探してたんだわ。だからこっちに渡してくれよ」
言いながら、細身の男は段々とこちらに近づいてくる。
ギュッと、ブレザーを掴む音。
見れば、少女が男を睨みながらも、力一杯ブレザーを握り締めていた。
「まあ、そうだろうね」
「あぁん?」
目の前まで迫ってきた男が、眉頭を寄せて隼人を睨みつけた。
凄味に気圧される。が、ここで弱腰になってはならない。
「この子の名前、わかりますか?」
「あ?」
「だから、この女の子の名前、保護者ならわかりますよね?」
「あー、それはなあー・・・・・・」
と、男が悩む素振りを見せた時だった。
ヒュンッ!と、風を切る音。
「っ!?」
その時少女を抱き寄せ屈むことができたのは、きっと奇跡と呼べるだろう。
陽も完全に沈み、街頭が光を灯す。
見上げた隼人が見たものは、長く爪を伸ばした、細い男の影だった。
「何だ何だよ、何なんだよあれは!?」
少女の手を引きながら、隼人は街灯に照らされた路地を走る。
肩ごしに振り返ると、長い爪が街灯の光を反射しているのが眼に映った。
先ほどのひと振り、あれは完全に人を殺すそれだった。
躊躇いなどない。一瞬遅れていれば、あそこには自分の首が転がっていただろう。
想像するだけで、全身から嫌な汗が吹き出して止まらない。
「とにかく何処かに隠れないと!」
しかし、ここはもう住宅街の一角。周りを見渡してみるが、うまく身を潜められるようなところが見つからなかった。
民家に隠れるか?
だめだ、すぐ後ろには奴がいる。民家に人がいる保証が確実ではないし。いたとしても、この距離なら民家に入っていく所を見られてしまう。
他人を巻き込んでは、だめだ。
なら交番?
闇雲に走りすぎたせいで、位置としては正反対だ。今から迂回していくことも出来るが、きっと隼人の体力が先に底をつく。それに、少女の方が辛いはずだ。
住宅街を抜け、通りに出たその時、道路の外れの雑木林が視界に飛び込んできた。
林の闇の中に紛れれば、やり過ごせるかもしれない。
背後を見ると、街灯の下から気味の悪いあの笑みがこちらへと走ってくるのが見えた。
迷ってる時間はない。
あれきり口を開かなくなった少女を引っ張って、隼人は雑木林に飛び込んだ。
「ここで…やり過ごすしか…ない…」
雑木林の中を暫く走ったところで、隼人と少女は大きめの木の陰に身を潜めていた。
切れた息を整えながら、隼人はあたりを観察する。
幸か不幸か、月が雲に隠されているおかけで周りは完全な闇だ。
向こうからこちらを捉えることは難しいだろう。しかしそれは、隼人達からも、奴を見つけるのが難しいということになる。
枯れ葉を踏む音で判断することも出来るが、それもまた逆に、こちらが動けなくなる条件の一つにもなっていた。
多少闇に慣れた目で、隼人は少女の様子を見た。
「・・・・・・」
先程とは打って変わった落ち着いた表情で隼人を見つめている。
なんなんだ?
奴が現れてから、少女は全く口を開いていない。
年相応に恐怖に怯えている風に見ることは出来ず、この状況に対して混乱を見せる様子もない。
今の彼女は隼人よりも冷静に状況を理解しているようにも見えた。
何なんだよ、こいつは?
少女に対し、小さな恐怖の念が過ぎった時だった。
カサッ、と、音が鳴った。
「っ!?」
隼人の意識が、一瞬にして現実へと引き戻される。
隼人は音を鳴らさぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと背後に目を向けた。
そこには、手に弱く赤い光を宿らせた、奴の姿が。
良く見れば、光を放っているのは奴自身の手ではなく、その手に埋め込まれるようにされている、立方体のようなものだった。
っ!?
立方体。
ワードと共に、今朝の夢が隼人の頭にフラッシュバックした。
似たようなものを、隼人も目にしていた。
立方体。銀髪の少女。
今朝の夢を起点に、点と点が、隼人を巻き込んで線になっていく感覚を覚えた。
隼人の望まぬ所で、何かが動き出している様な感覚に襲われた。
一体何が・・・・・・、
「見ィつけた」
無慈悲な言葉が、男の口から放たれた。
振り返ると、"月明かりを浴びた男の姿"がはっきりと目に映った。
月が、顔を出していた。
「ひっ!?」
隼人の口から悲鳴が漏れた。
逃げたいのに、足に上手く力が入らない。
恐怖によって完全に体が機能しなくなっていた。
死。
一つの単語が、隼人の頭に浮かび上がる。
「どうした?おい?逃げねぇのか?」
男は笑っていた。
三日月のように口を歪めて、長い爪を揺らしながら。
「・・・ぁ・・・ぁ・・・」
隼人の返事は"言葉"として現れず、乾いた息を吐き出した。
こいつ、真の言ってた怪人じゃないか。
隼人は、今更ながらそんなことを思っていた。
さんざん気を付けろって、言われていたのに。
視界はもう、涙で歪んで見えなかった。
「大丈夫だよ」
それは少女の声だった。
「天もキミに味方した」
こんな絶望的な状況であるにも関わらず、少女の声は、どこか気高い。
「何言ってやがんだ?」
男は訝しむ。しかし、少女は取り入らない。
「影に手を伸ばして、それがキミの力になる」
少女は、月明かりによって現れた、隼人の影を指差した。
「どう言う―――、」
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇぞ!!」
隼人が言葉を最後まで発する前に、男は叫び、走り出した。
考えてる余裕は、無いっ!!
隼人は影に手を伸ばす。
伸ばした手は地面に触れず、そのまま影へと吸い込まれた。
驚いてる時間だってない!!
何かを掴みとった感触。
男が爪を振り下ろしたのと、隼人が手を引き抜いたのは同時だった。
ガキンッ!!と、音が鳴った。
男の爪と、隼人が引き抜いた物とがぶつかり合う音。
「何だ・・・これは・・・」
引き抜かれた隼人の手には、真っ黒に染められた、刃が握られていた。
少女が言った。
「それが、キミの力。"漆黒の刃"だよ!」




