出会い
「なんだったんだ・・・今の・・・」
奇妙な夢の余韻を残したまま、少年――天井隼人――は目を覚ました。
顔は可もなく不可もなく。髪も長くなく短すぎるわけでもなく。強いて何か言及するというなれば、頭頂から存在を主張する一本の髪の毛、所謂「アホ毛」が生えていることくらいだろうか。
特徴のないのが特徴。そうとしか言えない、16歳の少年だ。
いつもならば「変な夢だったな」と済ませてしまうところであるのに、何故か今回は脳にこべり付いたように先程の夢の中での記憶が離れない。
銀髪の少女。黒い立方体。少女の涙。
どれもこれも隼人に心当たりなど無い。外国人の知り合いなどいないし、謎のアイテムに興味など抱かない。ましてや、小さな女の子を泣かせた記憶なんてある訳が無い。
夢は記憶を整理している間に生まれる。そんなことを目にしたことがあったが、今回ばかりはその定説が間違っているのではないかと隼人は思う。
「とりあえず起きるか」
隼人は布団を払い除け、ベッドから降りた。
枕の傍らに置いてある目覚まし時計を確認すると、時刻は朝の六時半。何時もの起床時間よりも三十分も早い。
貴重な睡眠時間が無駄になった。と、隼人は妙な夢に恨みを向ける。
カーテンを開け放ち朝の陽気を全身に浴びる。
まだまだ寝起きから抜け出せていなかった意識が一気に覚醒していくのを感じる。朝は嫌いだが、この瞬間だけは好きになれる。
「・・・・・・・・・」
何時もよりも早く起きたからと言って、特にやることがあるわけではなく。だからと言って朝の貴重な時間を無駄に持て余すわけにもいかず。
「・・・・・・朝飯食べよう」
考えた末、いつもどおりに行こうと、隼人は決意したのだった。
11月11日。暦上は秋だが、気温などを鑑みてもう冬と言っていいんじゃないかと思える季節。
床暖房などと言うハイテクノロジーが、あまり裕福とは言えない天井家にあるはずもなく、氷のように冷えきった床を、階段を、隼人は駆ける。
そして、リビングに飛び込むと同時に、部屋に備えられた炬燵へと滑り込んだ。
「お兄ちゃん。朝からうるさい」
と、ぬくぬくと首元まで潜り込んでいた隼人の頭上に、そんな台詞がキッチンの方から投げれた。
「仕様がないだろう。廊下が寒いのが悪い」
「恐ろしく寒い事にはアタシも賛同するけど、だからってそんなアクロバティックに登場しなくたっていいでしょ」
ほんとこのお兄ちゃんは・・・。と、呆れてキッチンへと戻っていくのは――天井摩耶――だ。
隼人の一つしたの妹であり、朝はこんな風にご飯を作ってくれる。
髪は左側で一つにまとめた所謂サイドポニーテール。顔は可愛い(らしい)。
隼人の友人曰く「理想の妹ベストスリーには間違いなく入る!」と言うお墨付き。
隼人は聞いたことがないが、もしかしたら学校では人気があるのかもしれない。
年齢から察せるとおり摩耶は中学三年生。絶賛受験期だ。
にも関わらずこうやって毎朝朝食を作ってくれるのは、愛の
「お兄ちゃんの料理が不味いからだからね」
「え、なに、お前いつの間に読心術を」
「いやなんか気持ち悪い顔してから何となく」
「何たる不覚!」
「はいはい」
そんなこと言ってないで、と、摩耶はキッチンカウンターに幾つかのお皿を置いた。
「ご飯できたから、お兄ちゃん何時までもくるまってないで運んで運んで」
「お兄ちゃんをこき使おうと言うのか」
「いつも配膳が完了してからアタシに起こされてる人間が、いい度胸してるね?」
「うぐぅ・・・」
摩耶の言葉に全く反論することが出来ず、隼人は素直に出来上がった朝食を運んだ。
そう、隼人は普段この時間まで眠りこけており。目覚ましなんて効力を発揮しないものだから、摩耶が朝食を並べた後に起こしてもらっているのだ。
友人に、理想の妹と言われるのは、これが一番大きな所以と言えよう。
朝食を並べた後に、炬燵へと足を伸ばし、二人手を合わせる。
「「いただきます!」」
朝のニュースを流し見しながら、ほくほくと湯気を立てる朝食に箸を伸ばす。
「ところでお兄ちゃん?」
半熟の目玉焼きをつつきながら、摩耶が口を開いた。
「どうして今日はこんな早起きなの?いつもなら目覚ましなんて無視して寝ちゃってるのに」
「んー、それはなあ」
隼人は僅かに口篭る。
だが直ぐに、
「変な夢見てたまたま起きちゃっただけだよ。あれがなければもうちょっと長く寝てられたのに」
「変な夢?なにそれ。と言うか、それが無くてもこちらとしては毎日ちゃんと起きて欲しいんですけど」
「あー、何と言うかな、夢の内容の説明って難しいな」
「まあ、起きたら大抵のことは忘れちゃうもんね。って、早起きして欲しいって言う要望の部分無視しないでよ」
「いやー、今日も飯がうまい!」
だめだこりゃ・・・。と、摩耶は呆れ返り目玉焼きに添えられたウインナーを頬張った。
夢の記憶はしっかりと残っていた。残り過ぎていると言っても過言ではないほどにだ。
嫌な予感。そんな物が頭をよぎり、話すことができなかった。
まあ、それを抜きにしても、あんなへんてこなことを話したところで馬鹿にされるのがオチ。隼人としては、それは避けたい選択肢だった。
各々朝食を終え、歯磨きやら洗顔やら着替えやらと身支度を整えた。
隼人の学校はブレザー型。摩耶の中学はセーラー服だ。
「「いってきます」」
朝の準備を全て終え、隼人と摩耶は、共に家を後にした。
隼人の通う学校は、小さな山の腹のあたりを拓いて建てられた「上ノ山高等学校」。通称「上高」。
対して、摩耶の通うのは、上高の下。山の麓のあたりに建てられた「下ノ山中学校」。通称「下中」だ。
下中の卒業生は大抵上高へと入学していく。摩耶もその一人となる予定だ。
「んじゃまたな」
「じゃあね」
上高と下中を分ける坂道で、隼人と摩耶は別れを告げた。因みに、上高は上り坂を、下中は下り坂だ。
朝からにしては辛すぎる勾配の急な坂道を、隼人はとぼとぼと歩いていく。何時もよりも早めに家を出た為か、共に登校している生徒は多くない。とっくに花の枯れた桜の木が、風にあおられて葉を散らす音が妙に大きく聞こえた。
そんな、なんの風情も何もない景色を眺めていると、
「おっはよー隼人!今日は珍しく早いんだな!」
朝からハイテンション過ぎる挨拶が、隼人の耳に響いた。
「お、おはよう・・・」
「何だ何だ、元気がないなあ。なんか嫌なことでもあったのかい」
「朝から元気すぎるお前に若干の鬱陶しさを感じてるからそれかもしれないな」
やれやれ・・・。と、隼人の隣で肩をすくめてみせた少年は――草理真――。
短い髪を、ワックスか何かを付けているのか整えられており、少しツンツンとしている。顔はイケメン(自称)。隼人とは幼い頃からの仲であり、今では親友と呼んでも差し支えないと言えよう。
常にエネルギーに満ちており、そのタフさには隼人も何度か助けられた。鬱陶しいなどと言うのは、もちろん冗談だ。たぶん。
他愛もない会話を続けながら、隼人達は教室にたどり着いた。
何分早いせいか教室の生徒の数は疎らだ。
クラスメイトに挨拶をしながら、隼人は窓際の一番後ろ。特等席に鞄を置いて席についた。
隼人の前に、真も同じようにして鞄を置く。そして、椅子の背もたれを前にして、隼人と向き合うようにして座った。
「今日もアイツは遅刻かねえ」
「だと思うよ」
隼人と真は、共に隼人の席の隣の空席に目をやった。
その席の住人は――古枯結希――。万年遅刻魔の陸上部。遅刻によるマイナスを、陸上の大会などの成績でゼロに戻すどころかどんどんとプラスにしていく怪物だ。
「走るだけでなんとかなる人生なんて羨ましいぜ」
「努力はしてると思うけどね」
「判ってるよ」
暫くしてゾロゾロと生徒たちも揃いだし、遅刻者を確定させる予鈴が鳴り響いた。
勿論のこと、隼人の隣は空席だった。
昼休みを告げる鐘の音と共に結希は教室にやって来た。
「いやー、今日も間に合わなかったよ」
「だろうな」と、真が、
「知ってた」と、隼人が、それぞれ口にした。
「なんかひどーい」と、結希は瞳に涙を浮かべた。
「取り敢えず、メシ食おう。腹減ってたまらんのさ」
真の言葉を機に、三人はそれぞれの机を合わせて、各々の昼食を広げた。
隼人は弁当を(もちろん摩耶製)。真はコンビニから買ってきたサンドイッチを。結希もお弁当(一丁前に手作り)を。
「そういや知ってるか、最近この辺で傷害事件が連続で起きてるって」
真が卵サンドを頬張りながら、そんな事を口にした。
「なにそれ知らなーい」
結希は無駄に綺麗に巻かれただし巻き卵を食べながら首を傾げる。
「それって朝のホームルームで先生が言ってたやつじゃないの?」
隼人はこんがりと揚げられた唐揚げを齧りながらそう言った。
「まあ、そうなんだけどさ、俺が言いたかったのはその傷害事件にまつわる噂のことなんだよ」
「「噂?」」
隼人と結希が、今度は共に疑問符を浮かべた。
「あぁ、事件を起こしてるのが"爪の伸びる怪人"って噂」
「なんだそれ?」
「かっくいー」
隼人と結希のそれぞれの新鮮なリアクションが嬉しかったのか、真は「うんうん」と、頷くと話を続けた。
「昨日辺りからネットで飛び交ってる噂なんだがな、目撃証言の中に"長く伸びた爪に襲われてた"ってのが共通してあるらしいんだ。襲われた当人たちも似たような事を口にしてて、犯人は怪人なんじゃないかって言われまくってる」
「それ本当なのか?」
隼人が訝しんでいると、
「これ見てみい」
と、真がスマートフォンの画面を隼人に向けた。
「どれどれ」
そこには、真っ黒なバックにおどろおどろしいフォントで書かれた真の話と同じ内容の記事。サイトが"いかにも"過ぎて、隼人はさらに深く眉間にしわを寄せた。
「その顔は信じてないな?」
「真が都市伝説とかオカルトを好んでるのは知ってるけどさ、これは流石に胡散臭すぎるよ。第一、警察しか掴めてないような情報まで流れてるし。一体どうやって知ったの?って物ばっかりだ」
「夢がないなあ隼人クンは、そう言う謎めいた部分にロマンを感じるんじゃないか」
「謎めいてるベクトルがちょっと違うような気がするんだけどね」
「どうだ、古枯はどう思う?」
スマホの画面を今度は古枯へと向ける。
白米を頬張りながら読み進めていった結希は、
「カッコ良くて良いと思う」
とだけ言った。
「まったく、二人にはロマンというものが判らないかなあ」
真は残念そうにスマホをしまうと食事を再開した。
「ま、怪人だろうがなんだろうが事件が起きてるのは事実な訳だし、気をつけようってことでいいじゃないか」
「それもそうさな」
隼人の言葉に頷くと、それからは、他愛もない会話を重ねながら昼休みが過ぎていったのだった。
昼食後の授業は睡魔との闘いだ。
うつらうつらとなりながら、午後の過程を終え、見事睡魔に勝利した隼人は、放課後の開放感に浸っていた(因みに、真と結希は惨敗だった)。
「それじゃあ帰るとしますか」
「そうだな」
鞄を担ぎ、隼人と真は席を立つ。
「古枯は、」
「部活ですとも」
見れば、競技用のシューズが入った袋を持った古枯。
「遅刻してきたのに部活にはしっかり出るんだよな古枯は」
「遅刻してきたからこそしっかりと部活をするんだよ草理くん」
それに、と付け加えて、
「私、エースですから」
「ホントにすごいんだな古枯って」
「期待の新人を通り越した存在だからな」
部員たちに暖かく迎えられた古枯を見送った後、隼人と真は、特に所属している部活動がないので、下るにしても辛い学校前の坂道を二人歩いていた。
上高は特に部活動に力を入れているわけではないので、授業終了とともに下校する生徒も多く、急勾配な坂道は、小さな賑わいを見せていた。
「それじゃ、また明日」
「おうよ、摩耶ちゃんによろしくな」
上高と下中とを分ける坂道の麓で、隼人は真に別れを告げた。
真は、下中を通り越した先にある住宅街に住んでいるのだ。
真と別れ、一人。
隼人は何処か寄り道する様な事はなく、まっすぐと帰路につく。
下中の方が授業の終わりが早いので、摩耶と帰ることもない。
沈みかけた夕陽に照らされながら、人一人いない、静かな路地を歩いている時だった。
「ミつけた」
不意に、そんな言葉が背後から聞こえたのだ。
「ん?」
隼人は立ち止まり振り返る。そこには・・・・・・、
「っ!?」
長い銀髪。黒水晶の様な瞳。端整な顔立ち。
見間違えるはずもない。
そこに居たのは、あの"夢の中で見た少女"そのものだった。
「ミつけたよ」
少女は笑みを浮かべながら、もう一度呟いた。