助言
「大丈夫かね、少年よ」
隼人が目を覚ました時には、金髪の少年は姿を消しており、意識の落ちる狭間で見たスーツ姿の男と、丸メガネの女性が代わるように隼人の前に現れていた。
名前は確か、正義とメディナだ。
「すいません……ありがとうございます」
正義が差し出してくれた手を握って、隼人は立ち上がる。
「何処か痛いところはありませんか~?」
何事もなく立ち上がった隼人を見て、メディナが問い掛けてきた。
「そう言えば……」
隼人は言われて、体に傷一つないことに気が付いた。腹に当てられた痛みも全くない。瓦礫の上を転がってついた擦り傷もの一切もが無くなっていた。
「どうやら、治療はしっかり出来てたみたいですね〜」
間延びした声で、メディナは嬉しそうに語る。
「ピカーンってなってサササーって治ったんだよ!!」
ヒカリが興奮気味に、恐らくメディナが使った"匣"の力のことを説明しているのだが、擬音ばかりでよく意味は分からない。
「色々と、本当にありがとうございます」
ヒカリの方には適当に頷きながら、隼人は頭を下げた。
「良いんだよ、我は善良な市民を救えた。それだけの事実で十分だ」
「その通りですよ〜。だからあまり気にしないでください〜」
言いながらも、二人は満更でもなさそうだった。褒められることが嬉しいのは、どんな人間も一緒だ。
「ところで、助けてもらっておいてこんな事を訊くのもあれかとは思うんですけど……どうして二人はここに?」
この工業団地跡は廃墟ばかりで普段は殆ど人が近づかない。たまに来るのは、そう言うのが好きなマニアの人か、夜中に現れる危ない人達だ。
隼人の呼び出された時間帯に来る人間など滅多にいない。だからこそ、この場所が選ばれた訳だし、むしろあのタイミングで現れた二人の方が、言ってしまえば不自然なことなのだ。
「我は正義を愛するものだ。なので、普段から人の少ないこの辺りは悪事が働きやすい。その為、毎日この辺りをパトロールしているのだよ」
「その甲斐あって、今回は貴方達を助けられたと言うわけなんです〜」
胸を張って語る正義に対して、メディナはおっとりとした声音で付け足す。
「嫌な予感がする〜なんていつも言ってても当たらないから、今回も期待していなかったんですけど、本当に悪党がいた時はビックリしちゃいました〜」
「余計なことは言わんでいい」
「いてっ」
ペラペラと裏事情を話したメディナに、正義は華麗な手刀をお見舞いした。
「ま、まぁ、何あれ助けられたことに代わりはないですから……」
後頭部を押さえてうずくまるメディナのフォローを、何故か隼人が請け負う。
「そうですよ〜」と、メディナはすかさず便乗した。
侮れないな、この人は。と、隼人は密かにメディナに対する認識を改めた。
「取り敢えず、少年にはこれを渡しておこう。なにか困ったことがあったらすぐに相談してくれて構わない」
小さく咳払いをした正義は、内ポケットから一枚の小さな紙を取り出した。
「これは……?」
差し出された紙を、隼人は受け取って見る。
「正義探偵事務所?」
そこには、事務所の名前と、『正義探偵事務所 所長 正義』の文字。
「一応私はそこで正義の助手をやらせてもらってます〜」
と言って、メディナは小さな名刺入れから一枚隼人に差し出した。
「タンテイってなに?」
隼人の傍らに立っていたヒカリが、持っている名刺をのぞき込んで疑問符を浮かべる。
「それはね」
と、得意気に口を開いたのは勿論正義だ。
「困っている人を助ける仕事。誰かの支えになる仕事。つまり、正義そのものだよ」
「かっこいいー」
「だろう?」
正義の言葉に、ヒカリはキラキラと目を輝かせた。
正義はクールに受け止めたつもりだったのだろうが、頬が緩んでいるのが隼人の目でもわかった。どうやら、褒められるのにあまり強くないらしい。
「夜も結構更けてきた。少年達はもう帰った方がいいんじゃないか?」
腕時計を確認しながら正義は言った。
隼人もそれに倣ってスマホで時間を確認すると、時刻は午後の8時になろうと言うところだった。
摩耶から何件も着信やらメッセージが届いており、帰ってからのことを想像すると、隼人は苦笑いを浮かべずにはいられない。
「どうかしましたか〜?」
じっとスマホを見て固まる隼人にメディナが問い掛ける。
隼人は現実に意識を戻すと、
「な、何でもありません。大丈夫です」
と取り繕ってスマホをポケットに戻す。
帰ってからのことは、帰ってから考えよう。隼人は、現実逃避を決意した。
「それじゃあ、僕らはそろそろ帰ることにします」
「そうか……何ならお家まで送り届けてあげよう。また奴らが来るともわからない。来ないにしても、夜道は危険が多いからね」
「いやいや、そこまでお世話になるわけには……」
「構わないよ。我らもパトロールは殆ど終わっていたところなんだ。いいよな、メディナ?」
正義はメディナへ返事を仰ぎ、
「もちろん構いませんよ〜」
と、メディナはあっさりと快諾した。
隼人、ヒカリ、正義、メディナと言うなんとも奇妙なパーティで天井宅への帰路につく四人。
「二人も、"匣"を使う人なんですよね」
道中、そう話を切り出したのは隼人だった。
「ああ、この力のお陰で人々の平和を守ることができている。大変ありがたいことだよ」
正義は誇らしげに自らの"匣"を見つめる。
「力がなくても正義を守る事はできたが、やはり限度という物があった。だが、この"匣"を手に入れてからは違う。"願いを叶える為に"なんて胡散臭い夢ではあったが、まさか本当に叶えられるとは」
「やっぱり、正義さんも"あの夢"を見たんですか?」
"夢"と言うワードに引っかかった隼人は、正義に視界を移しながら問い掛けた。
正義は、目線を斜め上に泳がせながら答える。
「真っ暗な所で、やたらと綺麗な女の子が出てきてなぁ…………そうそう、まさにこの子みたいな」
言って、正義はメディナと前を歩くヒカリを見た。
「ヒカリでは、なかったんですか?」
「んー…………確かに似ている気はするのだが、何かが違うような気がするのだ…………」
正義は顎に手を当て首をひねる。んんん、と唸りながら暫し間を空けたが、
「ダメだなぁ、思い出せん」
「そうですか……」
隼人の声音は自然と険しいものになる。
夢の中で出会ったのがヒカリではない。
これが事実であるならば、ヒカリのような存在がもう一人いることになる。それとも、"夢の中でヒカリに出会った隼人が異端"なのだろうか?
「ところで、こんなことを聞いてくると言うことは、君も"匣"を使っていると言うことでいいのかな?」
そんな正義の声が、考えに耽っていた隼人の意識を現実に戻す。
「まあ、そうなりますね」
「失礼は承知なのだが、是非とも君の"匣"の力。見せてはくれないだろうか」
「良いですけど…………なぜですか?」
隼人は周りに人が居ないかを見渡しながら疑問符を浮かべる。
「純粋な興味だよ。別に、嫌だと言うのなら無理強いはしないが…………」
「……良いですよ、別に見られて減るものでもありませんからね」
隼人は一度立ち止まり、もう一度周りに人がいないか確認する。
街頭に照らされ伸びる自分の影を見つめ、
「……よしっ」
意を決し、隼人はその影へと腕を伸ばした。
「おぉ!」
「これは〜?」
目の前で見た正義は感嘆の声を上げ、立ち止まった二人合わせて振り返ったメディナはおっとりとした調子のまま目を見張った。
影へと手を潜らせた隼人は、その中で漂う刃を掴み取り、引き抜く。
「これが、僕の力。"漆黒の刃"です」
名の通り真っ黒な片刃の剣。獰猛な牙を思わせるフォルムをした刃は街頭の光を鈍く照り返し、柄の中央には"匣"が埋め込まれていた。
「目立つ場所に"匣"が見えないと思ったら、まさかそんな所にあったとは…………」
正義が感心した面持ちでまじまじと刃を見つめる。
「かっこいいですね〜」
メディナは相変わらずの穏やかな調子で微笑んだ。
「かっこいいでしょ!!」と、何故か得意気なのは勿論ヒカリだ。
「あまり使いこなせているとは言えないんですけどね…………さっきもろくに戦えませんでしたし」
先程の自分のやられようを思い返して、隼人は伏し目がちになりながら暗く呟く。
あの時二人が助けてくれなければ、今頃命はなかったかもしれないのだ。
「君は何も悪くないさ。この世の中で、戦いに慣れている方がおかしいのだよ…………しかし、強いて何かアドバイスをするのならば……」
正義は、刃に埋め込まれた"匣"を見て言う。
「"匣"は使うものではなく、"使われるもの"と言う事かな」
「使われるもの…………?」
「別に我は何百と戦い抜いてきたわけではない。この"匣"を授かって、長い時が経ったと言う訳でもない。そんな若輩者の意見で良いのなら、聞いて欲しいのだが」
どうだろう?と、正義は隼人に視線を移す。
断る理由はない。隼人は、
「是非お願いします」
とすぐに答えた。
「簡単に言えば"匣"に意思を預けてしまうと言ってしまえばいいのだろうか。戦う時の意思決定を、"匣"に委ねる。勿論、最終的な行動は自分自身に決められているが…………なんだろうな。数秒先の未来を予測してくれるサポートアイテムとでも思ってもらえれば、気が楽かもしれん」
分かりづらかったかもしれないが、こんなところだ。と正義は付け足した。
「未来を予測する…………」
「本当にざっくりと我個人の見解だ。参考にするなとは言えないが、あまり信用し過ぎないで欲しい」
軽く頭を掻きながら正義は苦笑を浮かべていたが、今までろくに"匣"の事をわかっていなかった隼人にとっては大きな言葉だ。
「ありがとうございます!」
と、隼人は改めて感謝の意を伝える。
「さあ、早く帰らねば。時間もだいぶ遅くなっているぞ」
またも感謝されてしまった正義は照れくさそうにしながら、立ち止まっていた隼人達を促した。




