それぞれの思考
「情けないところを見せてしまっタ。すまない妹ヨ、迷惑をかけタ」
「そんな妹にお姫様抱っこされた状態で謝られても、全然誠意が伝わってこないわよ」
夜も更けて人通りの少なくなった街を、エイゼルは兄を抱きかかえながら、手首から射出される楔を利用して器用に屋根の上を渡っていた。
「結局、威力偵察の方はしっかりできた訳?」
腕の中でリラックスしている兄アイゼルを、エイゼルは前方に注意を向けつつも胡乱な目で見つめた。
「あれは全くの期待外れだネ。とてもじゃないけど長を喜ばせられるとは思えなイ。あんまり弱いから、うっかりボクが殺しちゃうところだったヨ」
大仰に肩をすくめてアイゼルは嘲笑を浮かべる。
エイゼルはため息を一つ吐き、
「うっかり殺さなくて本当に良かったわ。今回だけはあの変な男に感謝しないといけなくなっちゃったわよ」
「あの男についてはボクも感謝してル。あの男の強さはこれからも期待できそうだからネ。長も少しは喜んでくれるかもしれなイ」
「"鍵"の情報にしても、変な男の情報にしても、長ならなんでも楽しみそうな節はあるけどね」
半ば呆れながら吐いたエイゼルの言葉に対して、
「それもそうかもナ」
とアイゼルはあっさりと肯定してみせる。
「"鍵"に関しては、お友達の行動しだいかネェ。今のまま時が過ぎるだけだったら、きっとアイツは全く変わることはないだロ。アイツの目は完全に争いを知らなかっタ」
「お友達ねえ…………」
"鍵"と呼ばれた人物とは別のイベントを起こしている見た事もない"お友達"に、エイゼルは何となく思いを馳せた。
「…………せいぜい期待しておきましょ」
結局あまり感情が湧いてこなかったので、エイゼルは適当に言って移動する事だけに意識を集中させた。
風のように素早く屋根を伝っていき、二人の影は、街の闇の中へと消えていった。
×
「何を……したの……?」
未だに立ち上がれないでいる細身の少女がか細い声で、丈のやたら短いスカートを履いた修道服の少女――ジニリエル=ビルヴァーン――に問い掛けた。
「さっきも言ったろ?タラタラと愛を育みあってるのアンタらの手伝いだよ。もう今じゃ愛が深まりすぎて、これからは"常に近くにいないとどうにかなっちまう"だろうさ」
ジニリエルはヘラヘラとした軽い口調で淡々と答える。
いまいち意味を深く理解出来ないでいる細身の少女が、訝しげな表情でジニリエルを見つめた。
「じきに理解できるさ」
しかしジニリエルは明確な回答をせず、口笛でも吹きそうな軽い足取りで少女達の横を通り過ぎていく。
「どこに行くの!!」
声を荒らげた少女が勢いよく振り返ったが、
「動くな」
「っ!?」
ジニリエルに十字架を突き付けられて、少女はピタリと動きを止めた。
既に恐怖が根付いている証拠だ。
「いい子だ」
内に沸き上がる高揚感を隠そうともせず、気味の悪い笑みをジニリエルは貼り付けた。
十字架をポケットにしまって、今度こそジニリエルは歩き出す。
「アンタらには期待してるんだぜ?」
暫く歩いたところで、ジニリエルはポツリと呟いた。
「これからの展開はアンたら次第。派手に動いてくれる事を、神にでも祈っておこうかね」
表情にはあの気味の悪い笑みを貼り付けたまま、ジニリエルは誰に言うでもなく言葉を漏らす。
手を組んで、ジニリエルは徐に空を仰いだ。
「楽しみだねぇ」
×
「何だったのよ……あの痴女……」
ようやく体に力が入るようになったところで、桧江は謎の修道服の少女が去っていった方を見つめて、忌々しげに呟いた。
"愛の完成"などと理解の出来ないことをほざいて修道服の少女。突き付けられた十字架による衝撃を思い出して、桧江の背筋に冷たい物が走る。
体に触れて何か異常はないかと確かめてみるが、特に変わったところはない。全身に痛みが走った割には、体のどこにも傷のようなものが見受けられなかった。
「"匣"か…………」
唸るように桧江は呟く。
どんな条件下であの力が発動するのかは分からないが、あれが"匣"による物だというのは、桧江にだってすぐに理解出来た。
「ひーちゃん、大丈夫?」
傍らの真が、心配そうに桧江の肩に手を置いた。
真は二度目の十字架を当てられていた筈だったが、特に異常はなさそうだ。むしろ、桧江を見つめる眼差しに力が増したと言っても過言ではないかもしれない。
「大丈夫よ……ありがと。だけど…………」
桧江は笑い続ける膝を見た。痛みは既に引いていたが、どうも上手く力が入らない。
そんな桧江を見て真が、
「なら……!」
「……!?」
よいしょ、と桧江のことを抱き上げた。
「マコちゃん!?」
「ひーちゃん大きくなったね。やっぱり昔より重いよ」
真は柔和な笑みを浮かべながら軽口を叩く。
「マコちゃん、女の子に重いとか簡単に言っちゃダメだよ。桧江ちょっと傷ついた」
「ごめんごめん」
拗ねたように唇を尖らせて言う桧江。
真は反省の色など見えない謝罪な言葉を並べながら、優しく桧江の頭を撫でた。
「…………!?」
何故だろう。こんなに近くにいた事は今まで何度かあった筈なのに、真から感じる温かさが、いつもより大きく感じるのは。その姿が、いつもより力強く感じるのは、何故だろう。
「マコちゃん……」
「なに?」
見下ろす真と視線が交じる。
桧江は両手を真の首に回し、その瞳に吸い込まれるかのように顔を寄せていき、いつもの様に唇を重ねる。
絡む舌。交じる唾液。体の内から湧いてくる"力"は、いつもよりも数倍も大きい。
押し寄せる快感に、桧江は体を震わせた。
「…………好き」
「俺もだよ」
真は桧江の目を見つめながら、また、優しい手つきでその頭を撫でた。
二人の"匣"も、その愛に呼応するかの様に、赤く光を灯していた。
×
激動の一日だった。
結城は、自室のベッドに横たわりながらそんなことを思っていた。
真が謎の女と姿を消した後、疲れ切った足取りで家に帰った結城は、一目散に自室へと戻り、制服のままベッドへと身を投げた。
低反発枕がここまで気持ちいいと思ったのはこれが初めてかもしれない。
「どうしたら良いんだろう…………」
結城はポツリと呟いた。
助ける、なんて決めたものの、具体的な方法は全くわからない。"匣"について一応検索をかけてみたけれど、案の定ヒットする事なんてなく、情報は欠片も集まらなかった。
結城は自らの足に埋め込まれた"匣"に触れる。
黒く無機質な立方体。手触りは、よく研磨された金属のようにサラサラで、余計な模様などの一切の装飾がない。"力"を使う時だけは燃えるように熱くなるが、それ以外では寧ろ氷のように冷たく佇んでいた。
結城は試しに、角をつまむようにして"匣"を引っ張ってみたが、最早体の一部。抜けそうな気配など一切しなかった。
「やっぱり、無理だよね…………」
"匣"から手を離して、結城はため息をつく。
真を"匣"から解放して上げるにはどうしたらいい?
――――壊す?
無理やり壊して悪い影響はないのだろうか。そもそも取れるようになったとしても、その不安は付き纏ってくる。第一壊せるかどうかも分からない。
――――やはり、あの女をどうにかする?
あの女が元凶であるのは間違いない。しかし、"どうにかする"とは一体どうするのか。
最悪、殺すしか…………。
「それはダメ!」
恐ろしい思考へと走っていった自分に対して結城は声を荒らげる。
人殺しなんていい訳がない。たとえそれで助けられたとしても、真は嬉しくないだろうし、結城自身が納得出来ない。それに、それじゃあまるで、あの女と一緒じゃないか。
結城は首を振って今の考えをすべて吹き飛ばす。
何か、他に方法がある筈だ。
と、結城が思い悩んでいる時だった。
「……!?」
スマホが、着信を知らせる音楽を鳴らした。
考えに耽っていた結城の心臓を跳ね上がらせたスマホの画面には、『天井隼人』と着信相手を知らせる文字が。
「もしもし?」
「古枯、今大丈夫か?」
「うん、大丈夫だけど……どうしたの?」
「今日ほら、真んとこ行けなかったから、どうだったのか聞きたかったのと、行けなかった謝罪をしたくって」
すまん。と、隼人は短く言った。
電話の向こうで頭を下げる隼人の姿が容易に想像できて、結城は自然に表情を綻ばせる。
「良いよいいよ。そっちも用事があったんでしょ?それは大丈夫だったの?」
「あー…………まあ、一応なんとかなったって感じかな?」
曖昧な返事に結城は首を傾げるが、隼人は間を空けずに言葉を続けた。
「そっちこそ、大丈夫だったか?真の様子」
「それはー…………」
今度は、こっちが口ごもる番だった。
「どうした?」
何も答えられないでいた結城に、隼人は疑問符を投げ掛けてくる。
話してしまおうか。そんな迷いが結城の中に生まれてくる。
実際一人では解決できない問題であるし、真のことだったら、隼人だってきっと協力してくれる筈。
だけど…………。
話した末に起きる惨劇も、結城は想像してしまう。
取り返しのつかないところまで行ってからでは遅いのだ。
隼人を巻き込む訳にはいかない。
「今日も何の返事もなくってさ、手紙だけ郵便受けに入れて帰ってきた」
すんでのところまで出かかった言葉を飲み込んで、結城は繕い口を開いた。
「そうか…………」
「そんなに心配しなくても大丈夫だって!草理くんなら明日にでもひょこっとやって来るよ、きっと!」
結城はなるべく明るい口調で言う。自分にも言い聞かせるような、願いのこもった声音になっていることを、結城自信はわかっていなかった。
「そうだな、真ならきっとそうだ……!ありがとな結城。……それじゃ、また明日」
「うん、また明日ね!」
通話の終了と同時に、結城はスマホをベッドの上に放り投げた。そして自らも、ベッドに顔を沈める。
「そうだよ、草理くんなら、きっと…………」
ありえないと分かっていながらも言ってしまった言葉。
突如一日の疲れが襲いかかって、結城はゆっくり目蓋を下ろした。
 




