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白い悪魔の夜語り  作者: runa
Ⅰ ~月語り~
8/32

an eve

久しくお目にかかれませんでしたが、皆様健やかにお過ごしのことと存じます。

今宵は雨上がりに、朧月が美しい晩です。

物語の再開に、これ以上の晩はありません。


さて。

今宵は滞っていた分、終幕に向けて語りを繋げましょう。


心の準備はよろしいですか?



……はい。

それでは、参りましょう。

今宵語るは少女を巡る祝祭とその顛末。


少女の選択した、その結末の物語。






 






***















鮮血を空に浸したような夕闇の空。身震いするような美しい赤を見上げてうっすらと笑う。



嘘をばら撒き、根付かせて。それがすくすくと育ち伸びて、人の心を伝い覆っていく様を見るのは童心の頃から変わらずに彼の渇きを満たす。それだけが、彼の無気力を取り払う糧といってよかった。


だから彼は嘘を好む。偽りの足場を繰り返し作っては、壊れる潮時を見計らって別の足場へ転々と移る。

彼は孤独を好む。世界との繋がり如いては人との繋がりは彼から奪いこそし、何も与えないと気付いたからだ。


いつからか、彼は好んで傍観することに喜びを覚えるようになっていた。



現実という事実の上に、初めは無作為にばら撒いた種。それが息吹き、広がり、確かな形で影響する。道筋を本来あったはずのものから捻じ曲げる。

脆弱なそれが及ぼす嘘という種の作用。そいつにいつしか魅せられた。

あの頃から自分は大きくは変わらない。そしてそれを別段気にしてもいない。


自分の本分は、嘘飼いを選び取ったあの日から定まったも同然。今彼が手の平に残しているものは幾らもない。


「メルフィー。藍のが君の異母妹に興味を持っているみたいだ。知らせてあげなくていいの」


「メルフィー。新着が一件あります。新しい偽名はシェリル・ローズです」



二つの声が左右からてんでばらばらに響く。



「知らせる必要も無いだろうし、知らせたら居所知らせるのと同じだからね。…まだ合わないよ」


左に立つ少年にそう告げて、懐から掴み取ったそれを指先から垂らす。



「…シェリル。喧騒を超えて君が変わっていくのか、変わらずにこの手に堕ちてくるのか…。何れにせよ今は君のこの先をここから見させてもらうよ、愛しい妹」




二つの声は彼の左右で揃って響く。

「「…鬼畜兄」」














 降りしきる雨で視界は真白く煙っている。

ぬかるんだ湖畔を巡って、仕掛けていた罠を回収してみたものの、やはり現実はそう上手くはいかない。辛うじて引っかかっていた小魚二匹を籠に移して揺らしながら帰宅した。


帰宅して早々に彼女が目にしたのは、小屋の戸口の前に立つ男の背。

帰宅したものの、直ぐに夕ご飯の支度に掛かれるかといえばそうではないようだった。


「誰だね」


十歩ほど手前で足を止めて、尋ねる。見覚えは無い。けれども直感は告げている。

この男は前にも自分を訪ねてきた。


「今回も名乗らないつもりかね」


「…なるほど。お気づきでしたか。前回は失礼した」


漆黒の傘ごと向き直った男は、激しくなった雨滴のなかに暈けるように全体を掴ませない。薄らと窺えるのは白銀の髪とハシバミ色の眼。


「黒・榛と申します。以後お見知りおきを。シェリル・ローズ嬢」



雨の中で二つの双眸が対峙し、ざあざあと雨滴が地打つ音だけが耳に響く。



「クロ……なるほど。否、失礼した。これは君の枕詞であったね。学者君」


止めていた足を踏み出して、通りすがりにそう呟く。小屋の鍵を開け、溜息を一つ。

近いうちにとは察していたが、まさか三日を空けずに動きを見せるのは予定外。

あの愚兄といい、時機を早めるのがつくづく好きらしい。


「話があるなら中で聞こう。…傘の雨滴を払うのを忘れないでくれたまえ」


「承知した」


背後で傘をばさばさと振る男を見ながら、仕様も無い。湯を沸かす準備を先にすることにした。

周囲はすでに夕闇に染まりかけている。

傘を置いて立つ男に視線だけで席を提示する。大人しく席に着く男に、どこか感慨を覚えてしまう。

自分の周囲にはいかに非常識な人物の多いことか。これもまた嘘飼いとしての業であろうか。


「話は、長引くような内容かね」


「全てはあなた次第だ。…ただ今回はあくまで伝令に過ぎない」



ふつふつと沸いて上る泡に視線を落としながら、呟きを置く。



「今回、というのは大様にして次回があることを示す枕詞でもある」


沸いた湯でお茶を入れ、カップを二つ手に席へ着く。


「聞こうか。君の伝言を」



カップを受け取り、一口喉を潤した男は遠慮なく淡々と切り出した。



「白蝶が主、藍の蝶から嘘飼いへ告ぐ。前回のマリアージュ・クロワ嬢失踪に関わる騒動及びログ・ノートン殺害について貴殿と話し合いの場を設けたい。如いては明後日、本部で開催される祝祭と合わせて招待状を送付する。快く応じていただけることを願う。…といった内容ですが如何」



テーブルに置かれた招待状には蝶の刻印が押されている。束の間視線をそこへ落としてから、問う。



「この招待に出席の如何は、そもそもあるのかね」


「…あなたと話をしていると、何処かの誰かを連想させる…失礼した。私個人として伝えるなら、否と言ったところで顔を合わせる場が変更になるだけのことかと」


何処かの誰かに大体の想像を巡らせて、該当するのが一個人で終わらないことに嫌気を覚える。加えて。早々に思考を切り替え、この現状においてどう返答すべきかと悩むことも時間の無駄だと思いなおす。


「…承知した。これは嘘飼いへの招待ということで受け取ったと理解するが、相違ないね」


「相違ない。…では、明後日。対岸にて」


男はそう言い終わると、カップをテーブルへ置き、まだ湿り気を帯びたままの傘を広げて去っていった。

カップに注いだお茶は全て干されている。

印象の薄さ。

あれほどに徹底して意図されたものを見るのは久しぶりで、どこか懐かしささえ覚える。

手の平に包んだままのカップから、ふわふわと立ち上る湯気を眼で追いながら耳の奥に木霊するのはただ弱まっていく雨音とか細い自分の心音しかない。















「そう…一度で受けたか。クロ。引き続き彼女から眼を離すな」


夕闇が一面を染め上げる窓辺で、そう告げる主の背に一瞬怖気さえ覚える。

一見したところは声も表情も普段と変わらない。それが尚違和感を覚えさせるのだ。

押さえ込まれた喜色。切望。滲み出る僅かなそれでさえ、勘の良いものならば気付く筈だ。


余分な音は、今の主にとっての殺意の対象。


周囲が出来ることは、狩りの邪魔にならぬよう、出来うる限り息を殺すことだけだ。

今や標的は逃れ得ず、定まった日に向けて檻は着実に形作られる。

叩頭し、部屋を出る前に拾った声。

それはおそらく自分に向けられていたものではない。

一日千秋。五里霧中。いまだ歪み、淀みきった双眸は同じであれど押し抱いた感情は今までになく、人間らしい。それは今まで以上に興味深く、少なくとも自分にとっては好ましくもある。


まだ顔も合わせぬ少女が、藍の蝶を僅かずつも変化させている現状。こうして目にしていなければ一笑に伏しただろう。果たしてこれが、今後もどれ程まで変化を誘引していくのか。それをこの眼で見届けたい。



「これほどに刻は長かったか」



始まりは如何様にせよ、独白は紛れもない変化の一端に違いはない。

何処かの誰か。そう称したひととあの少女とが願わくば互いの内に救いを求められる結末があったなら、それ以上に興味深いものはない。今はただそれだけを思う。












「明後日は祝祭やな。対岸も今回は不穏やで。…何せ、例年は一般の立ち入りそのものを禁じてきたのが今年はどういう風の吹き回しだか。招待客に限り、立ち入りを許可。これで臭わないっちゅうなら、何が臭うっちゅうんや。まあ、勘やけど」


蜂の巣。

今日も勘だけでおおっぴらに、一欠けらも保身を考えない発言が高らかに謳われている。


「その騒がしい口を動かす暇があるなら、当日の警備計画に目を通しなさい」



変わらずに傍らから響く声。漆黒の双眸は一分も向けられず、ただその視線は手元の膨大な資料を這う。



「…うーん、やっぱ気になるな。ちょっと外へ気晴らしがてら、警備に穴がないか見回ってくるわ」



言うや否や、大またに蜂の巣を出て行こうとする背に普段に比べても一層凍えたような声がかかる。



「弐羽。…あまり嗅ぎ回るといずれはその手足、落とされることになるかもしれませんよ」


からからと笑う声。今日はそれも一息置いて響く。

省みた弐羽の口元。浮かぶそれは微かに翳りを孕む。


「気いつけるわ。ありがとな、斑」


後ろ手に挨拶を送り、躊躇うことなく出て行った背。それを今回は視線を上げて見送る。



「…馬鹿な男だ」



呟いた口元に微かに浮かんだそれを意図してかき消すように、完全な沈黙の仮面を付け直す。

今、彼の手元にある資料には様々な語彙が散らばる。

その中でも、最後に打たれた文字で彼の表情は完全な暗がりへ沈む。

 Deep in the water











早朝。まだ月明りに染まる周囲に視線を巡らせながら、小屋の戸を施錠する。

蒼い月明りは嘘飼いの少女を照らし、伸びた影はゆらゆらと頼りなげに揺れる。

宵まで降り頻った雨は止み、千切れた暗雲の欠片が時折その微かな月光さえも遮って流れていく。


少女は暫く歩いて行き、一本の木の陰でふと足を止める。


「……君もご苦労なことだ。着いて来るなら好きにしたまえ。目新しい場所には行かないが」



言い置いて、再び歩き始める。その背に付き従うように歩いて行くのは乾いた黒傘を広げたままの男だ。



「…なるほど。位置まで悟られていた。それに早朝の散歩というのも粋だ」


ちらりと睥睨された黒は口を噤む。


「君に言われる言葉は大様にして、微妙な不快感を覚えさせるよ」


「それは失礼した」


二人はそれきり沈黙し、湖畔を淡々と進む。月明りが儚くなり、周囲を差し込み始めた朝日が照らし出す頃になって、辿り着いたのは、雑木林である。


彼女が眠る場所を過ぎ、さらにその奥。岸に繋いであるのは一艘の舟である。


「…なるほど。船出か。…だが、まさかこう目の前で実行されるとは」


「思い違いをするなよ、学者君。これを使うのは止むを得ない場合だけだ」


「いや、シェリル嬢。止むを得ないにしても、この手段では藍から逃れるのは不可能だ」



クロの声に省みた少女の表情はどこか困ったように曇る。棹に手を置きながら、迷うように視線を泳がせ、とうとう何か意を決したように口を開く。



「学者君。君は根本的なところを勘違いしている。…これは逃走用ではないし、増してこれで逃げ切れるほどに君たちの主が脆弱だとは欠片も思わない。これはね、対岸での依頼や買出しが必要なときに用いている舟に過ぎないよ。つまり、今回は買出しということになるが」


「……なるほど。嘘飼いとして業務に必要な備品の買出しということか」



そう理解を示したというのに、少女の顔色はどこか優れない。思考を巡らせて、間もなく思い至る。



「つまり、ここから先は嘘飼いの範疇。見られるのは困るとそういうことか」


思案する。そこは理解できる部分であるからだ。彼女の仕事を害する範囲まで動くのでは、命じられた仕事の区分を超えているとも言えよう。だからといえ、馬鹿正直にここで帰りを待つのでは首が飛ぶ。

行動はあくまで把握しておく必要がある。


「舟にだけ同乗させてもらえるか。対岸についてからは、可能な限り遠方にいるようにする」


「気を遣ってもらえているのは理解した。…そこを押して今回君に頼みたいことがある」



どこか俯き加減にそう切り出した少女の表情には普段は見ない緊張が窺える。



「命の範疇ならば」



暫く考えて、端的にそう告げれば心なし何か悟ったような、諦めたような色が浮かぶ。


「君は馬鹿真面目なのだな…まあ、腹黒さは普段から奥に仕舞う様にしているのだろうが。いいよ。聞くだけ聞いてくれ。順を追って話せば、私は祝祭に参加したことが無いのだよ」



棹を浅瀬に突き、舟を水面へ押し出しながら続ける。



「仕事柄、潜入用の衣装やら要具やら…まあ挙げていくと限が無いが。そういったものは揃っているがね。昨日の招待状を受けて、問題が生じたわけだよ」


舟へ乗り込み、岸辺に立ったままの黒へ手を差し出す。


「祝祭の衣装は仕事柄今まで必要になったことも無かった。合わせて、自宅に正装も揃えていない。そうなれば必然的に買出しに行くほか無いだろう。君には付き添い兼見立てを願いたい」


分かったかね、と付け足されて黒はなるほど、と生真面目に頷く。


黒は船の上で対岸を眺めながら、もうあと僅かで口の端へ出かかった言葉を飲み込んだ。

主へ伝えて、正装を用意させることも出来ると思うが。

それを内心で留める。理由は二つある。


一つ目は彼女が嘘飼いとして招待を受けたことへの配慮。


もう一つは、あえて言うことも野暮。


日に照らされた湖面を慣れた棹捌きで渡って行く背に、いつの間にか過去の情景が重なる。

あの頃は、もっと広い水面の上を日々生死を掛けて渡り歩いた。それがいつからか、こうして地に足を着けることで安穏とした部分。それを自覚させられて、果たして今の自分が何を思うかと思えば。


これはこれで、変わらない。


確かに海上のほうが良かった部分もある。しかし地上に上がったからといって、自分がやってきたことはさほど代わり映えもしない。それが正直なところなのだろう。そう自己評価したところで、舳先はどうやら対岸に着いたらしかった。


何を言うでもなく、さっさと浅瀬に舟を持ち上げ、器用に棹を固定する少女に続いて舟を降りる。



「さて、行くとしよう。君には忌憚の無い意見を期待しているよ」



言いながら歩き出す背に向けて、返答する。



「承知。お供しましょう」



嵐の前の静けさ。雲ひとつ無い空の下、本来相反するべき二人は隣り合って歩いていく。

初夏の風はまだ僅かに残された平穏を吹き渡る。


今夜中には、もう2つ投稿します(^-^ゞ

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