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白い悪魔の夜語り  作者: runa
Ⅰ ~月語り~
5/32

魔女が来たりて風が吹く

生暖かい夜風が窓から吹き込んでくる。

まだ、『彼』は姿を見せていない。


「えー、マイクテスト…マイクテスト。うん、バッチリ」


こんばんはー。皆様。

兄様が遅れているので、今宵は僕から物語の続きを始めさせて貰うねぇ。ご了承下さい。

改めまして、まず自己紹介だね。

僕は、パナシェドール。愛称はドールだよぉ。

身内以外には、紅の悪魔なんて呼ばれてるらしいけど、良かったら名前で覚えてね。

以後、お見知り置き下さいな。

双子の弟もいるんだけど、もしかしたら近い内に紹介するかもー…。口数の少ない子だから、語りに向くかは出たとこ勝負かなぁ。

合わせて宜しくお願いするね。


さぁ、前置きはこの辺でいいかな。

始めるよー



***



満ちた月が空にぼんやり浮かんでいる。

闇の中。湖に、飛沫が舞った。


仄暗い水面へ伸ばした指先は、どれ程に足掻いたところで届くことはない。

身につけた防寒着は水を含んで鉛のように重たい枷となり、水底へと誘う。

吐き出した泡が、幾重にも重なって水面越しの月明かりを霞ませていく。

もう、終わりなのか。

見開いた双眸に映り混むのは絶望。

暗がりと静けさに、ゆっくりと目を閉じた。

最後に吐き出した泡が、水面に触れて弾けた。

ぱちん。

それが、終わりの音。

そうなる筈だった。


静けさを取り戻したはずの水面に無粋な音が弾けて揺れる。

震えが、伝わる。目を開いた。

映り混む。それは銀の飛沫と水底と同じ色彩の両眼。

微かに見えたそれを境に、記憶は沈む。

夢から、醒めた。



気だるげに開いた瞼がひどく重い。

遠くから響く水鳥の羽音に、まだうっすらと残っていた夢の残り香が霧散してゆく。

氷薄のように平たく、色のない笑みを張り付けて半身を起こした。

「夢は見れたか」

傍らの女がそう囁く。柔らかなその声音には、どこか観察して楽しむような響きが混じる。

ちらと視線を向けるだけ、何も答えずに手近に脱ぎ捨てていた羽織を纏う。


薄暗い部屋を背に、紅の絨毯を素足のまま歩いて行く。その足は中庭へ向いていた。

まるで示し合わせていたように、男が佇んでいる。

朝靄に全身を暈すようにして立っていた男は振り返り、やおら苦笑した。

やや浅黒い肌に白銀の癖毛。

彼の特徴をそこまで捉えられる人物は限られる。


「なるほど。…抱いた女をつれなくして来たか。君らしい。いや、そもそも前提から問うべきか。君のような人間が定期的に女を抱くこと自体に疑問を抱いている。なぜだろうか」

問いかけでありながらも、特に答えを欲しがる素振りでないことが伝わったのだろう。

男は微笑した。


「何故だろうな。…あえて意味を与えるなら、退屈しのぎといったところか」

気だるげに呟く声は、頭の芯を鈍らせるような艶やかな美声。


「君と寝台を共にする女たちは、口元しかみていないのか」

甘く、柔らかで、気だるい口許。

そこから視線を上げれば、淀んで歪みきった双眸に気付く筈だ。

こんな双眸を直視して抱かれる女がいるだろうか。

いたとして、それは壊れているか狂っているかの二択である。

純粋に第三者的な視点から考えると、なかなか興味深い題材と言えそうだ。出来ることなら本人たちに直接聞きたいくらいだ。


「時間を無駄にする気はない。クロ、お前には嘘飼いと接触するように伝えた筈だ」


「おや、珍しいこともある。君が催促とはね…それほどにあれの言が気にかかっている。興味深い」


呟きに返る言葉はなく、滲み出る殺気に潮時を悟り口火を切る。


「彼女はメリア・ローズ。今はそう名乗っている。家族は既に他界した両親のほか異母兄であるメルフィー・ローズがいる。彼の行方はまだ辿れない。彼女自身は依頼を受ける度に名を変えている。現在彼女をサポートしている人間は教会の神父、刺青屋、蜂の巣の副長が主だ。」


「今の依頼は?」


「現在の依頼主はトマス・モルゲン。町の若衆の一人。依頼内容は恋人の捜索。…今分かるのはここまでだ」


薄れた殺気に、肩の荷が下りる。

常日頃から共にいながら、今もって慣れるということがない。

死の気配を常に感じ取っているのと同じことなのだ。心臓にも良くない。

出来ることなら、誰かに変わってもらいたいものだ。


「…時間を無駄にせずに済んだ。引き続き、その娘の動向から目を離すな」


そう言い残し、自室へ戻る背を見送った。

ぎりぎりまで溜め息を押し殺す。背を濡らす冷や汗を冗談でも笑えそうにない。


「全く…相変わらずの歪みっぷりだ。そう。あれが、いつにない執着を示すとはね…凶兆も凶兆だ」

自分がこれ以上考えたくないと思うこと自体が、異常と言えた。これはおそらく、後味の悪さに起因している。

真っ直ぐに誰何したあの少女。

湖畔に住まう、嘘飼い。どうにも同情を隠せない。


彼が物思いに沈む間も、中庭の靄は少しずつ晴れていく。その切れ目からは朝焼けに染まる空が広がる。

いつにない快晴が見込めそうな朝であった。



何処の誰とも知れぬ一人の男から同情されていることなど知る由もない少女は、ここに来て最悪の目覚めを迎えていた。


体が、だるい。

節々が痛む。目の眩むような頭痛を伴う発熱。

考えるまでもない。

考えたくもない。

風邪を引いた。ここ数年縁がなかっただけに、油断していた。

とりあえず水だ。

ふらつく足をなんとか運んで、流しへ向かう。すぐ横の濾過槽から水を掬って喉を潤す。

水を含んだだけでも、喉の奥がひりひりと痛む。


依頼の最中に体調を崩したのは致命的だ。

こうなった以上、取れる選択肢は限られる。

文字通り頭を抱えて、それでも選択せざるを得なかった。

体調が万全ならば、避けられたはずの選択だ。

今更ながらに神父の言葉が思い出される。

これは自分の非だ。しかしこれもまた酷い因果だ。


彼らに助力を乞えば、血を見ずに依頼を果たすことは限りなく困難になる。


流し台を背に、ずるずると座り込む。

天井を見上げ、どこか分からない境地に至ったところで繋ぎをとる決断をした。


伝書鳩を飛ばし、寝台に倒れこんだ後の記憶は曖昧だ。

うつらうつらして、ぼやける視界の端にちらと過った影のようなもの。

窓から射し込む日が翳る。傍らに立ったそれに瞬くのと、意識が鮮明になる一歩手前の空白。

その空白がいけなかった。

唇に被さる暖かなもの、を理解する前に上向かされたまま口を伝って流し込まれる水。それを反射的に嚥下するのと、それの頬を張るのとはほぼ同時だっただろう。

左手を使った。右腕は拘束済みであったからだ。


「…紫鳶。君に寝込みを襲う悪癖があるとは知らなかった」

言いながら睨み据えれば、当の本人はひやりと温度の感じられぬ笑みを浮かべてみせる。


「心外ですね。貴女が譫言で水を希望されたので、僭越ながら希望に従ったまでです」

何も知らぬ他者視点ならば、その丁寧な口調と優しげな風貌に懐柔されることもあるだろう。

勿論、それは大方の話であって少女に当てはまるものではない。

福虎に負けず劣らず質の悪い紫鳶である。

これと共にやって来たであろう、彼女へ向けてささやかな苦言を呈した。


「…焔。これを先に来させるほど君が私を嫌っているのはよく分かった。だがね、口で言うなり依頼を蹴るなり、他にも伝えようはあったと思うが」


戸口で微笑む彼女。

焔・燐。福虎と犬猿の間柄にして、亡き父の愛人。そして殺人鬼である。


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