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白い悪魔の夜語り  作者: runa
Ⅱ~風語り~
31/32

魔牢 ~ 白 ~


今宵、第二部本編の終章とさせて頂きます。


※第一部と同じく、エピローグに関しては第三部の開始と合わせて投稿を予定しておりますm(__)m

 

 ――――さて。

 風が吹き荒ぶ、冬の宵には暖かい暖炉の傍でとりとめのない話を紡ぐに限ります。

 また、極上のワインを片手に出来れば尚良し。


 長い旅路の果ては、目的地。

 それは当然のことですね?

 ただし、物事には必ず両面があり――――…時折、紡いできた過程にこそ意味があったのだと。

 そう、称される物語もあるようです。


 今宵。

 この風を巡る物語も終幕を迎えますが……



 果たして、この物語がいずれの意味を見出だされるものとなるのか――――?





 結ぶ末。

 語りの、行く先。


 それは聞き手の方々に委ねることと、致しましょう。










 *




 白い雨に全身を濡らしながら、東の故郷へと舞い降りた少女。

 両側を温もりに包まれて、地面へと降り立った。

 バサバサと緋の翼が優しく彼女を仰ぐ。

 周囲から向けられる優しさが、その壊れかけた心を辛うじて繋ぎ止めていた。



「……亜湖、君は本当に世話の焼ける主だ」



 包まれた手に、引かれるまま。導かれるまま。

 逃亡を選択して以降、ずっと忘れていたはずの名を凪が呼ぶ。

 少女が、ゆるゆると視線を上げていった先。



 そこに待っていたのは、懐かしい家の門。

 開け放たれた門の先に、茂る蔦の緑。



 変わらない――――でも、変わってしまった。



 思いを噛み締め、踏みだした先。

 丈の長くなった草をかき分けて、表の木戸を開ける。

 するり、と足元を先導してくれる雪深に続いて廊下を進んだ。



 連れ出された直後、踏み荒らされた筈の居間も――――見渡す限り、掃き清められた後のようだった。

 目に見える場所に飾られていた筆致と、それに纏わる覚書などは全て持ち去られたのだろう。

 伽藍、とした幾つかの空白を辿った後。

 ずるずると、居間の隅で座り込む。



 もう誰も残らない家。

 温度を、失ってしまった家で。

 うっすらと降り積もる埃に紛れ込むように、ふわりふわりと記憶が落ちてくる。



 幼い頃……それはまだ、全員が笑顔でいられたころの記憶。

 まるで夢のようで、儚い。

 ――――それが、いつからだったのか。

 いつからか、欠けることのない月など在りはしないのだと。

 うつろい、先へ先へと流されてゆくものなのだと。

 内側から、囁くようになった声に。



 ――――いつからだったのだろう、耳を塞いでいたのは。



「……本当は、ずっと前から知っていた。このまま見過ごせば、遠からず失うことも」



 ――――いつからだったろう、目を閉じていた。



「……わたしはずっと、怖かった。本当は誰も心から信じていなかった……信じることが、怖かった」



 ――――だから、耳を塞いだ。

 ――――だから、目を閉じた。

 ――――だから、大切な人たちに打ち明けなかった。



 何れ喪う時が来ることを知っていた。

 だから、それまでは一緒にいたかった。

 いや、これは奇麗事か。



 自嘲もする――――寧ろ、それ以外に自分に抱ける気持など残っていないのだから。

 わたしが恐れて、母にも父にも姉たちにも――――……そして兄にさえ話さなかった本当の理由。



「あの、閉じた世界で。あの、暖かな場所で。――――私はこれまでずっと、そこで生きてきた。生かされてきた。もしそれを失ったら……もし、家族が私を奇異の目で見る日が来たら」



 それが私にとっての、世界の終わりだと。

 身勝手にも。

 愚かしく。

 ひたすらに、ただそれだけを怯えて蓋をした。



「無くなることなど、ありはしないのに。……目を閉じても、耳を覆っても、消えることなどありはしないのに」



 何重にも覆っていく過程で、いつしか心は虚ろになって。

 ただ日々が、過ぎ去っていくことばかりを願っては。



「愚かだね、本当に――――喪う日が来て、初めて分かった」

「……何を、知った?」



 このソプラノの前だけだ。

 自分が、偽りを晒すことが叶わないのは。



「私は、いつからか自分自身を信じることをやめてしまった。私が一番恐れていたのは、自分自身に他ならなかったからね………」



 彼らが初めて出会った時と同じ。

 あの船の上で浮かべていた――――まるで、すべてを諦めた様な横顔で。

 そろりそろりと日差しに翳した掌が、続く表情を暈していく。



「凪。本当はとても怖いんだ……毒杯を煽った時とは違う。死の先に、何もないことを知っているから」

「亜湖。…………君は本当に世話の焼ける主だ」



 掌に、重なる温もり。

 描かれて、生を得たとは思えぬほどに暖かなそれを感じながら。

 閉じていた瞳を開いた。

 掌に、触れる感触に疑問を覚えて視線を上げた先。

 ――――そこには、銀灰色の鱗。



「……凪、とても奇麗ね」

「……本当に君には呆れさせられる。この姿を初めて現して、その感想でいいのかい?」



 家屋いっぱいに優美な身体を広げ、四肢を伏せて溜息を零す龍が一人。

 その末端にあたる尾の先で、雪深が呆れた様子で龍を見上げている。

 そして彼女は、こう呟いた。



「……恢。思い切ったものよ。これ程の龍を描くとなれば、あの病弱な身体にどれ程の負荷が掛かったことか……全く。隠の一族は総じて無茶をする」

「恢は、あまりに早熟に過ぎたよ。……年端もいかぬ頃から、己の命が長くは持たないことを知っていた。それに加え、一族の中でも優れた才をもって生まれた。その弱き身体に不釣り合いなほどの能をね」

「……だが、あの子の筆致は……」



 雪深は既に、おおよそのことを察した後だ。

 最後まで言い紡げなかったのは、ひとえに己が主の心境を慮ってのことであり。

 そしてそれを、少女は気付いていた。



「恢は、私の傍を選択してくれたのね……その為に、家族全員へ生涯を通じて偽りを晒し続けることになった」

「恢も存外不器用だったよ。……それはきっと隠の一族に共通している」



 龍の眼に、少女の愁いが映る。

 今にもひび割れて、零れ落ちてしまいそうな心を読み取るようにして。

 ソプラノは、短く告げる。



「僕は、君を守りたかった恢の心そのものだ」




 *


「わぉ…………まさか本当に顕現するなんて」

「間の抜けた第一声だね、描き手。まずは、名を。そうしなければ、形を留められない」



 隠の末子、恢。

 彼が最初で最後の筆致を顕現させるに至ったのは、今より四年ほど前まで遡る。

 そうして生れ出た龍の筆致が、小高い丘の上から自身を生み出した描き手と周囲を見渡してそう告げれば。

 見上げるようにして、いまだに信じられないような面持ちを隠さない少年である。

 無理もない。彼にとって、これは一種の賭けに等しかった。

 ややあって、ようやく口を開いたかと思えば。

 まるでそれは、泣きそうな掠れ声だったのだから。

 その心境が、どれほど逼迫したものであったかは想像に難くない。



「…………ああ、僕にも出来ることがあったんだ」

「…………」

「……あ、ごめんごめん。名だったね? でも、うーん。急には思いつかないなぁ……」



 半眼の龍を見上げ、微笑みを隠さぬ少年。

 思わずその頬を抓り上げたのも、今となっては懐かしい過去の話。




「凪、君には東に限らず、多くの場所を。広い世界を見て回って、知ってほしいんだ」

「…………知る? 何を知ってほしい?」

「僕には分からない、知ることのできない外の世界について。そうして知り得た知識で、君に助けてもらいたいひとがいる」




 凪いだ海の如き、穏やかな青の双眸。

 その色彩から名付けられた龍の筆致。

 彼はその時から、凪という名の筆致としてこの世に生を得た。

 彼を描いた隠の末は、当初から自身の能を伏せておきたいと考えていたようだ。

 呼び出されるのは決まって屋敷からは見えぬ、小高い丘の上。

 一度、聞いたことがある。

 それに対する答えは、彼の想像の斜め上を行くものだった。



「僕はね、一族において無能でいないといけない。……ううん、正確には無能でいたいんだ」

「無能であることで、何を得られる?」

「亜湖と一緒にいられる」

「……亜湖?」



 それが誰の名を示すものか、その時は知る由もない。

 それでもわかったことが一つ。

 それが、他ならぬ主にとって大切な人間であるという事。



「僕の一番大切な人」



 実際口を開けば、そう言っていた。

 その後の数年も、会うたびに彼が嬉しそうに話すのは『亜湖』のことばかりで。

 まるで、他に大切なものなどありはしないというかのように。

 ――――思うに、本当に他にはなかったのかもしれない。



 恢は、最期の時も『家族』ではなく『亜湖』を守ることしか誓約に含めなかった。



 兄の裏切りに、恢は恐らく一族の中で一番早く気が付いていた。

 それでも警告を発するには遅く、選べる選択肢は限られていただろう。


 夜陰に紛れるようにして、恢からの呼び出しに応じた。

 松明の炎が、森の茂みの間に点々と見渡せた。

 それを見下ろしながら、引き結んでいた口を開いたとき。


 恢の顔には、ただ微笑みだけがあった。

 まるでそれは、嘗て生み出されたあの時と同じ。


 けれども、その頬を抓ってやろうとはとても思えなかった。



「…………凪、最後の誓約だよ。今夜、僕の命は終わるからね」

「共に生きたいと、そう願わないのか」

「もって、あと半年――――薬師にそう、告げられた。いずれにせよ、摘み取られてしまう命なら。僕は、弱って死んでいく姿を亜湖に見せずに逝きたい。だから……不本意ではあるけれども兄さんには感謝してもいいと思うんだ。凪、お前は僕を狂っていると思うかい?」

「…………いや。それくらい、大切に思っているというだけのことだろう」



 瞬いて、微笑む。

 宵闇の中でさえ、そこだけ明かりが灯ったように儚く美しい表情だった。

 幼くとも、そこに宿った魂は既に十分すぎるほどに成熟したもの。

 迷いのない、ただ直向きな願いは。

 たとえ彼が死んだ後も、形を変えて引き継がれた。



 ――――それが、隠の一族が末 恢の遺した筆致である。


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