かくして彼は語る
…さて。
物語の始まりは当然のこと、様々あるものです。
この世に幾多と存在するもの。その数だけ物語が存在するといっても過言ではありませんから。
それ故、今宵こうして語る機会を頂けたことを光栄に思います。
おや、月明かりが差し込んできましたね。
前置きはこのあたりにして始めましょう。
…え?まずは名を名乗れと?
これはこれは…大変失礼致しました。
私、語り部を務めさせて頂くモンレーヴと申します。以後、お見知りおきを。
それでは、参りましょう。
この美しい月の下、今宵語るは水底から始まる一人の少女の物語。
***
時折、脳裏を過る暗い水面の底。それに蓋をして覆い隠そうとするようになったのは、一種の自己防衛に近い意識であると最近では気づいていた。
今も、遠目に眺める湖畔から目線を戻せば、一気に現実と朝ごはんに戻ってこられる。
現実は、依頼人。朝ごはんのメニューはトウモロコシのスープにライ麦パン。ついでに来客へ出すためのお茶の準備を兼ねて、湯を沸かし始めたところだった。
来客は、先程から気忙しげに狭い小屋の端と端を行ったり来たりしている。それを黙って観察しながら湯が沸くのを待っていた。まだ、早朝と言って差し支えない時間帯。窓から湖畔の手前に広がる野原へ目を向ければ、気が滅入りそうなほど厚い靄が立ち込めている。
「それで。君の話を纏めると、この件は依頼という形でいいのかね」
スープをかき混ぜながら問えば、せわしげに動いていた足が止まり、例のごとく訝しげな視線を向けられる。その反応は想定内。もう、慣れたものである。
「この口調が不快でも、慣れてくれと言う他ない。君からすれば、どうしてこんな小娘が年上である自分に向かってこんな口調で話をするのかと思うかもしれない。けれどもこれは遺言なのでね。許せないなら、他を当たってほしい」
もはや定型句のようになった言葉を一言の淀みもなく言い切れば、相手は大抵二通りの反応を示す。
一つは不快さを隠さずに、そのまま背を向けて出ていく人。一つは躊躇いつつも依頼を結ぶ人。
果たして彼はどちらだろうか。
ようやく沸いた湯でお茶をいれながら、小さな木製テーブルまでカップを運んでくると意を決したような目とかち合う。一拍置いて、彼は言った。
「他からは既に断られた。彼らは一様に、白蝶に関わることを恐れている。…正直に話せば、もうこの辺りで君以外の情報屋に頼ることはできない。お願いだ。どうか彼女を探してほしい」
向かい合う男は町の若衆のなかでも顔を知られた一人で、名をトマス・モルゲンという。
彼の依頼は、確かに個々の情報屋からすれば到底受けるメリットを見いだせない代物である。それは間違いない。善意から受けるとしても、果たせる依頼であるかがそもそも問題だ。逆に受けない姿勢は誠意とも言える。
依頼者本人からすれば、ひどく冷淡な対応に見えるかもしれなくとも。
あくまで仕事とあらば、現実はシビアにならざるを得ない。
「トマス、といったね。君は。…始めに一つ訂正しておく。私は正式には情報屋と名乗れない部類の人間だ。彼らに失礼に当たるので、早めに伝えておきたい。耳慣れないかもしれないが、私は人に職を名乗るときは嘘飼いと名乗るようにしている。父の代から変わらないのだがね…」
「…嘘飼い?」
「そう。嘘飼いだ。情報屋が彼らの言う真実、確証といったものを扱うのと対照的に私が扱うのはあくまで嘘。欺瞞。風聞。つまりは、人を騙し、語り、裏切る。それを手段に動くのが私。嘘飼いの仕事。依頼人としてやってきた人には事前に伝えている。仮に私が依頼を受けたらば、唯一忠実であるのは依頼のみ。依頼人である貴方が、依頼の遂行に障害となる場合は依頼人である貴方を裏切っても依頼の遂行を優先させてもらう。それが、嘘飼いの基本理念」
ここまで聞いても、依頼する人間は少数だ。観察させてもらった限りでは、彼はその少数には当てはまらない気がしていた。
だから言葉を区切り、もう一度問う。
「それでも私に依頼するかね」
普段ならばこうした依頼の際、抱いた勘は外れない。けれども予想外は何時でも起こりうる。時折、思い知らされるのだ。今回もそうだった。
ただ真っ直ぐに向けられる目には定まった意志だけがある。
「依頼するよ、嘘飼い」
「…了承した。ならば、トマス・モルゲン。君の望む依頼を果たすべく動かせてもらおう」
トマス・モルゲンとの契約はかくして結ばれた。