↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

婚約破棄された瞬間、好感度が見えるようになりました。殿下は2でした

掲載日:2026/10/21

「エリシア・ヴァルトン! お前との婚約を、ここに破棄する!」


その瞬間、ユリウス殿下の頭上に、ぽんっと数字が浮かんだ。


《好感度:2》


……二。


百点満点で、二。


*


建国祭の舞踏会。シャンデリアの真下、広間のど真ん中。


殿下の腕には、子爵令嬢のセシリア様が、守られるお姫様のような顔で寄り添っている。


私は、そっと目をこすった。


消えない。


それどころか――広間にいる全員の頭の上に、淡く光る数字が浮かんでいた。


『エリシア。あなたがいちばん困った夜に、一度だけ、本当のことが見えるおまじないをかけておいたからね』


亡くなったお祖母様が、幼い私の額に口づけて言った言葉を思い出す。


ずっと、おとぎ話だと思っていた。


数字の意味は、なんとなく分かった。たぶん、私への好感度だ。


その証拠に、セシリア様の頭上には《好感度:−48》とある。


……マイナスもあるのね。


「聞いているのか、エリシア!」


殿下が声を張り上げた。


「お前はセシリアの美しさと清らかさを妬み、学園で陰湿な嫌がらせを繰り返した! 教科書を隠し、ドレスにワインをかけ、あまつさえ階段から突き落とそうとしたそうではないか!」


「ユリウス様、もういいんです……私が我慢すれば……っ」


セシリア様が、殿下の胸に顔をうずめる。


その頭上で《−48》が《−52》に下がった。我慢しているのは、どうやら私への悪感情のほうらしい。


私は、殿下の《2》をもう一度見上げた。


三年間。


王子妃教育で、寝る間もなかった。


殿下の代わりに公務の書類を読み、殿下が忘れた式典の挨拶を考え、殿下の失言を各国の大使に詫びて回った。


その結果が、二。


……不思議と、涙は出なかった。


むしろ、肩の力がすとんと抜けた。


ああ、そうか。


もう、頑張らなくていいんだ。


*


ふと、周りを見回した。


ひそひそと囁き合う貴族たち。扇の陰から私を見る令嬢たち。きっと、みんな殿下と同じような数字なのだろう――そう思っていた。


《82》


《91》


《76》


……え?


壁際に並ぶ、学園の同級生たち。試験前に、一緒に図書室で勉強した子たちだ。


給仕の盆を持った侍女たちは《95》《88》《97》。


玉座の近くに控える、白髭の宰相閣下は《88》。


楽団のヴァイオリン弾きでさえ《64》。いつだったか、演奏を褒めたことがあったかもしれない。


私は、思わず口元を押さえた。


――ひとりじゃ、なかった。


ただひとつ、広間の扉の前だけは、見ないようにした。


そこには、黒い騎士服の男性が立っている。


ジークフリート・アイゼン騎士団長。


笑ったところを誰も見たことがないという、《氷の騎士団長》。


この三年間、王子妃教育に通う私の護衛を務めてくださった方だ。いつも眉間に皺を寄せて、口数も少なく、一度だけ「無理をなさるな」と叱られたことがある。


きっと、出来の悪い私に呆れていたのだろう。


あの方の数字だけは、見たくなかった。セシリア様より低かったら、さすがに立ち直れない気がした。


*


「証人もいるぞ! マリー嬢、アンナ嬢、前へ!」


殿下が、壁際の同級生を指さした。


呼ばれた二人の頭上には、《89》と《93》。


二人は顔を見合わせ、おずおずと前へ出てきた。


「お前たちは見たのだろう? エリシアがセシリアを階段から突き落とそうとしたところを!」


「……いいえ」


マリー嬢が、小さく首を振った。


「私たち、そんなものは見ておりません」


「なっ……昨日は、セシリアの言う通りだと――」


「殿下に『見たと言え』と言われましたけれど、やっぱり嘘はつけません」


アンナ嬢が、まっすぐに顔を上げる。


「エリシア様は、私が試験に落ちそうだったとき、毎晩図書室で教えてくださった方です。そんな方が、人を突き落とすはずがありません」


「私も、見ていません!」


「私もです!」


壁際から、次々と声が上がった。手を挙げる令嬢、うなずく令息。


「殿下」


令息の列から、眼鏡の青年が一歩進み出た。学園の生徒会で書記を務めていた、カイル様だ。頭上の数字は《84》。


「僭越ながら申し上げます。セシリア嬢が『階段から突き落とされかけた』とおっしゃる日、エリシア様は生徒会室で、殿下の代わりに予算案をまとめておられました。私が、ずっと隣で見ておりました」


「せ、生徒会の予算は私が――」


「殿下は、その日もご欠席でした」


カイル様は、静かに眼鏡を押し上げた。


「議事録もございます。お望みでしたら、明日にでも陛下にお届けいたしますが」


殿下は、ぱくぱくと口を開け閉めした。


壁際の同級生たちの数字が、ひとつ、またひとつと明るくなっていく。


セシリア様の《−52》は、《−80》まで下がった。


殿下の顔が、赤から青へと忙しく色を変える。


「エリシア嬢」


静かに歩み出たのは、宰相閣下だった。


「念のため伺いますが――セシリア嬢に嫌がらせをなさる時間は、おありでしたかな?」


「いいえ、閣下。ございませんでした」


私は、正直に答えた。


「ここ二年ほど、夜はずっと殿下の書類仕事をしておりましたので」


「ふむ」


閣下は白い髭を撫でて、殿下のほうへ向き直った。


「殿下。明日の三国会談の資料は、エリシア嬢なしでお読みになれますかな?」


「し、資料? 何の話だ」


広間のあちこちで、誰かがこらえきれずに噴き出した。


明日の会談のことを、殿下はご存じなかったのだ。


「さ、三国会談くらい知っている! あれは、その、来月の――」


「明日でございます」


宰相閣下の静かな訂正に、今度ははっきりと笑い声が起きた。


*


「――何の騒ぎだ」


重い声が響いた。


広間の全員が、一斉に膝を折る。


国王陛下だった。頭上の数字は《90》。


殿下が慌てて駆け寄り、早口で事情を説明する。陛下は黙って聞き、宰相閣下と、同級生たちと、最後に私を順に見た。


「エリシア嬢。婚約破棄を、受け入れるか」


「はい、陛下。謹んでお受けいたします」


「そうか」


陛下は、ふう、と長い息を吐いた。


「では、ユリウス。お前の望み通り、婚約は解消としよう。そしてもう一つ――立太子の件は、白紙に戻す」


「父上!?」


「国を支えてくれる者を、自ら手放す者に、国は任せられん」


殿下が、その場に崩れ落ちた。


すると、それまで殿下の腕にしがみついていたセシリア様が、ぱっと手を離した。


「え……王太子じゃなくなるなら、私……」


彼女はそれだけ呟くと、ドレスの裾をつまんで、人垣の向こうへ消えていった。


床に膝をついたまま、殿下は呆然とその背中を見送っていた。


陛下は、それから私に向き直った。


「エリシア嬢。三年間、愚息が苦労をかけた。……すまなかった」


「もったいないお言葉です、陛下」


「今後のことは、ヴァルトン公とよく話して決めるといい。望むものがあれば、何でも言いなさい」


頭上の《90》が、ほんの少しだけ《92》になった。


*


舞踏会は、そこでお開きになった。


広間を出ようとして――私は、とうとう扉の前で足を止めた。


ジークフリート団長が、そこに立っていた。


見上げるほど背が高い。眉間には、いつもの深い皺。


覚悟を決めて、その頭上を見た。


《好感度:999》


……。


…………え?


数字が、点滅している。


よく見ると、横に小さく《上限》と書いてある。


「エリシア嬢」


低い声で呼ばれて、私は飛び上がりそうになった。


「お屋敷までお送りします。……お疲れでしょう」


「は、はい」


団長が、一歩近づいた。


《999》が、ちかちかと激しく瞬いた。


もう一歩近づく。


《999》《999》《計測不能》《999》。


数字が、明らかに混乱している。


なのに、団長のお顔は、いつも通りの無表情だった。


試しに、私は小さく微笑んでみた。


「送ってくださって、ありがとうございます。団長様」


《999》《99■》《エラー》《999》。


……壊れた。


団長は、ふいっと顔を背けた。


「職務ですので」


「そうですか」


「……職務、ですので」


二回言った。


廊下を並んで歩きながら、私はもう一度だけ試してみたくなった。


「団長様は、甘いものはお好きですか?」


「なぜです」


「いえ、なんとなく」


「……好きです」


《999》が、ぴこん、と跳ねた。甘いものの話で跳ねる数字ではない、と思う。


「あの、団長様」


「何でしょう」


「失礼ですが……私のこと、お嫌いでは、なかったのですか?」


団長が、ぴたりと動きを止めた。


「……なぜ、そう思われたのです」


「いつも、怖いお顔をなさっていたので。てっきり、出来の悪い私に呆れていらっしゃるのかと」


長い沈黙が落ちた。


団長の耳が、ゆっくりと赤くなっていく。


「顔が怖いのは、生まれつきです」


「そう、なのですか」


「それに、呆れたことなど一度もない」


団長は、廊下の窓の外に目をやった。月が、白く庭を照らしている。


「三年前、王宮の庭で、泣いているあなたを見ました。王子妃教育が始まったばかりの頃です。誰にも見られないよう、薔薇の茂みの陰で」


私は、息をのんだ。


覚えている。初めての礼法の授業で、教師にひどく叱られた日だ。


「泣き終わったあなたは、顔を洗って、また授業に戻っていった。……それからずっと、目が離せなかった」


「では、護衛を引き受けてくださったのは」


「自分から願い出ました」


団長は、まっすぐに私を見た。


氷のようだと言われる灰青の瞳が、少しも冷たくなかった。


「あなたは殿下の婚約者だった。だから、何も言うべきではないと思っていた。『無理をなさるな』と言うのが、精一杯でした」


あの一言は、叱責ではなかったのだ。


三年間、ずっと。


「ですが、今夜――あなたは婚約者ではなくなった」


団長は、その場に片膝をついた。


廊下に残っていた侍女たちが、小さく悲鳴を上げる。


「エリシア・ヴァルトン嬢。お慕いしています。三年前から、ずっと」


頭上の《999》が、ぱちん、と弾けた。


そこに浮かんだのは、横倒しの八の字――《∞》だった。


「……団長様」


「ジークフリートと」


「ジークフリート様。数字が、壊れてしまいました」


「数字?」


「いいえ、こちらの話です」


私は、笑いながら泣いていた。


二と言われた夜に、無限をもらうなんて、誰が想像しただろう。


「ありがとうございます。……お受け、いたします」


団長の――ジークフリート様の無表情が、ほんのわずかに崩れた。


それが、私が初めて見た、この人の笑顔だった。


*


公爵邸へ向かう馬車に乗り込もうとしたとき、背後から足音が駆けてきた。


「待て、エリシア!」


ユリウス殿下だった。髪は乱れ、礼装の襟も曲がっている。


「さっきのは取り消す! 婚約破棄は撤回だ、やり直そう!」


殿下の頭上を見ると、数字が《2》から《41》に上がっていた。


「上がりましたね」


「何がだ?」


「いいえ。……殿下、ひとつだけ伺っても?」


「何でも聞け!」


「明日の会談の資料は、どなたがお読みになるのですか」


殿下は、ぐっと詰まった。


数字が、《41》から《43》に上がる。


ああ、やっぱり。


この人の数字は、私の“使い道”が分かってから上がったのだ。私自身を見てではなく。


「殿下。その数字、三年前に見たかったです」


「数字……?」


「でも、今はもう要りません」


私が一礼すると、ジークフリート様が、すっと殿下と私の間に立った。


「殿下。エリシア嬢へのご用件は、今後、私を通していただきたい」


背の高い騎士団長に見下ろされて、殿下は二歩、三歩と後ずさった。


そして結局、何も言えないまま、肩を落として広間へ戻っていった。


翌日の三国会談で、殿下は資料の一頁目から読み間違え、会談は宰相閣下が引き取ったという。


王太子には、学問好きで知られる第二王子殿下が立つことになった。


――それはまた、少し先の話。


*


ようやく走り出した馬車の中で、私はジークフリート様と向かい合って座っていた。


……沈黙が、重い。


頭上の《∞》のほうは、ふわふわと楽しげに揺れているのに。


「あの、ジークフリート様。ひとつ伺ってもいいですか」


「はい」


「王宮の書庫で夜遅くまで書類仕事をしていたとき、いつの間にか温かいお茶が置いてあったのですけれど」


ジークフリート様の肩が、ぴくりと跳ねた。


「……侍女の誰かでしょう」


「侍女の皆さんに聞いても、誰も知らないとおっしゃっていました」


「……」


「冬に、書庫の椅子に毛織のクッションが増えていたのも」


「……」


「春に、窓辺に白い薔薇が一輪だけ飾られていたのも」


「…………私です」


ジークフリート様は、片手で顔を覆った。指の隙間から見える耳が、もう真っ赤だ。


「名乗るつもりはありませんでした。あなたに、余計な気を遣わせたくなかった」


「どうして、お茶だったのですか」


「書庫の灯りが消えるのは、いつも真夜中を過ぎてからでした。殿下の部屋の灯りは、宵の口に消えるのに」


私は、言葉を失った。


この人は、ずっと見ていたのだ。殿下の分まで灯りを点けていた、書庫の窓を。


「腹が立っていました。殿下にも、何もできない自分にも。……だから、せめて茶ぐらいはと」


「とても、美味しかったです」


「そうですか」


「毎晩、あのお茶を楽しみにしていました」


「…………そうですか」


ジークフリート様は顔を覆ったまま、窓のほうを向いてしまった。


頭上の《∞》が、くるくると回っている。


私は、膝の上で手を握りしめた。


ああ、どうしよう。この人、とても可愛い。


*


馬車が公爵邸に着いたのは、東の空が白み始める頃だった。


「エリシア嬢、足元にお気をつけて」


先に降りたジークフリート様が、手を差し出してくださる。


その手を取って顔を上げたとき――頭上の《∞》が、朝日に溶けるように、ふっと薄くなった。


見回すと、門番の頭上にも、御者の頭上にも、もう何も浮かんでいない。


お祖母様のおまじないは、一夜限りだったらしい。


「……どうかなさいましたか」


「いいえ。少し、寂しくなっただけです」


これからは、もう数字に頼れない。


この人の気持ちも、言葉と顔で確かめるしかない。この、生まれつき怖いお顔で。


すると、ジークフリート様は、私の手を握ったまま、少しだけ目を逸らした。


「エリシア嬢。……その」


「はい」


「朝日の中のあなたは、夜より、ずっと綺麗だ」


ぼっ、と音がしそうな勢いで、彼の耳が真っ赤になった。


私は、思わず噴き出した。


――なんだ。


数字なんかより、ずっと分かりやすい。


*


あの夜から、一年。


私は今、アイゼン家の奥方として、騎士団の書類仕事を手伝っている。


夫は相変わらず、人前ではにこりともしない。騎士たちには今でも《氷の騎士団長》と呼ばれている。


けれど、私は知っている。


朝、私が「おはようございます」と言うたび。


お茶を淹れて、隣に座るたび。


名前を呼んで、笑いかけるたび。


この人の耳は、真っ赤になるのだ。


今朝も、朝食の席で名前を呼ばれた。


「エリシア。今日は、騎士団の視察が早く終わる。……その、王都に新しい菓子店ができたそうだ」


「まあ。連れて行ってくださるのですか?」


「甘いものは好きだと、言ったでしょう」


「ええ。覚えています」


あの夜、廊下で数字がぴこんと跳ねたことも。


にっこり笑って「嬉しいです」と答えると、夫の耳が、また赤くなった。


数字は、もう見えない。


だから私は、こっそり数えている。


今日は、これで十二回目。


(了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。