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魔断の剣7 幾千の夜を越えて  作者: 46(shiro)


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第11回

「彩煉……!」


 彼の姿に、信じられないと目を(みは)り、名を呼び口元をおおう。

 互いの声は巨大な地鳴りにかき消され、耳には届かなかったが、その意味は明確に伝わった。


 彩煉は、血にまみれていた。


 防ぎきれなかった指弾が防御壁を貫いて肩をえぐり、左脇腹を貫通していたのだ。

 血だらけとなり、片膝ついて浅い呼吸を繰り返している――そんな彩煉を前にして、はたしてレンに1人逃げることができるだろうか。


 レンの目には崩れ始めた岩壁も、そして少年の姿をした魅魎も入ってはいなかった。


「彩煉!!」


 矢も盾もたまらず駆け寄ろうとするレンの姿を見て、少年の手が上がる。その隙をついて一瞬早く炎を浴びせかけた彩煉はレンに向けて走り、乱暴に抱き上げると通路をひた走った。


「彩煉、血が……っ」


 躍動するたび、目前、肩から飛び散っていく血の塊に、レンが今にも泣き出しそうな震えた声で呼ぶ。

 彩煉は答えなかった。大丈夫だと彼女を安心させる言葉も口にせず、今まで1度たりと彼女に見せたことのない、険しい表情のまま前を見据えている。


 やがて周囲が明るくなって、出口が近付いていることを教えた。追いすがるように側壁をかけのぼってくる亀裂も、新たに奥で何かが崩れる地響きによってさらに速度を増す。彼らを追い抜いた亀裂が天井を崩落させ、出口が埋まると思われたが、からくも2人は地上へと出ることができた。


「彩煉、彩煉!」


 陽のもとであらためて見た傷の深さに血の気を失い、涙目でただただその名を繰り返す。

 彩煉の右肩は熟した果実のようにぱっくり口をあけて、傷は背の中ほどまで走っており、脇腹の傷は布を押しあてたそばから指を伝ってぼたぼたと音をたて、塊となって地に流れ落ちている。


 人であれば、受けた瞬間絶命していておかしくない深手だ。


「……レン……、きみは、逃げるんだ……。まっすぐ、幻聖宮まで、走れ。

 ほら、これを持って……」


 不規則な、荒い息を吐きながら破魔の剣を剣帯ごと外してレンの手に強引に握らせる。だがそれは彩煉の手から離れたとたん滑り落ち、彼女の手は唯一求める彩煉の胸へと伸びていた。


「いや! いやよ彩煉、あなたと離れるなんていや!!」


 胸にしがみついて泣く。今離れたらもう二度と会えなくなる、そんな、考えるだけで身も心もすくむ恐怖が今の彼女を支配していた。


「行ってくれ……! そして、一刻も早く、白瑛補佐長たちに、このことを――」


 強引に胸から引きはがして言うが、レンは目をぎゅっとつぶって彼を見ようとすらしない。


「一緒に来て! お願い彩煉! 早く……早く手当てしないと、あなた……!」


 すっかり気を高ぶらせて、頑なに首を振り続ける。どんなになだめようとしても袖端を掴んだ手を外してくれない。


「……お願いだから、レン……」


 ききわけのない彼女に困りはて、言いよどむ。

 いつ、どこからあの魅魑が攻撃を仕掛けてくるかしれないのだ。岩が崩れた程度でやられるような相手じゃないのは分かりきっている。


 そう思うと、とてもじゃないがいつまでもここでこうしていることはできなかった。


「……分かった、レン、僕も行こう」


 応じて、彼女の肩を借りて歩き出す。だが10歩と歩く前に、突然彩煉は手近な岩陰へとレンを突きこんだ。


「きゃっ……」


 力加減なしの荒々しさに岩に肩をぶつける。痛みに思わず声を漏らしたレンの前で、凄まじい力が彩煉を襲った。


 低く大気を振動させ、さながら豪雨のように直撃した力に弾かれて横の岩に肩を叩きつけた彩煉の口から、ぱっと血塵が舞う。


 頭を深く切ったのか、血が幾筋もこめかみを流れて次々とのどを伝った。


「逃げられやしないよ、分かってるくせに。

 おまえは弱い。ぼくには到底かないやしない。先ので十分悟れただろ。

 それともおまえって、無駄なことをするのが好きなの?」


 変わったやつだな。


 声が上から降ってくる。大人ぶった、子どもの声だ。だが耳にした瞬間、肌が粟立つほど力にあふれている。


「おとなしく従っていれば痛い思いなんて1度ですむのに、ヘタに逃げようするからそんなになるんだよ、弱虫」


 一体どこまでなぶろうというのか……そらぞらしい、とことんひとを小馬鹿にするようなもの言いで、少年が宙に足を踏ん張る。


 折れた肋骨に肺をやられたのか、咳きこむたびに黒くどろどろとした血が彩煉の口から吐き出された。

 近寄ろうとしたレンを目で圧し、そこから出るなと伝える。

 そして自身は、肩をもたせかけた岩の助けを借りて身を起こした。


「……魅妖……一体、何が、目的だ……」

「魅妖だって?」


 くすくすと少年が嗤う。


「ああ。こうして向かい合いながらも、おまえにはぼくが何者かすら、判断ができないのか」


 ――まさか。


 彩煉は言葉を失った。

 強力な技を連発してくることから、魘魅ではないと推測していた。おそらくその上の魅妖。そして魅妖としても、並の魅妖より図抜けて強いと。

 だがあの言いようは、そうでないと告げている。

 だとすれば、上級魅魎の魅魔、魎鬼帝しかあり得ない。


 しかしそれこそあり得ないことだ。


 はるか数千年の昔、彼らは弱すぎる生き物しかいないこの世界に失望し、退屈まぎれに互いに殺し合ったらしい。そして数十年後、生き残った数名はそうして戦うことにも飽きて、世界に散っていった、という伝説が残るのみだ。


 最後に現れたのは、千年以上前。歴史書によると、その魅魔は東にあった、とある国を丸ごと業火で飲み込んだ。その炎の壁は1週間たっても消えず、全ての人、物、土地を焼き尽くして、ようやく鎮火したという……。


 退魔師と魔断が数十人がかりでも、かなわなかった相手。


「……魅魔、か……」


 半信半疑で確認をとるように言うと、少年は眉をひそめた。


「あーもう。その呼び方やめない? なんだかそれってさあ、その他大勢って言ってるみたいじゃない。ぼくにはちゃあんと(しゅう)紫閻(しえん)って名があるんだからさ。いい?」


 にちゃりん。虹色の目を猫のそれのように細めて、少年・柊はあっけらかんと名を告げた。


「柊……」


「そっ。いい名でしょ? ぼくもすっごく気に入ってるんだー。

 えーと、それで、なんだっけ……。

 ああそう、目的ね。簡単だよ、見たとおり。あいつらに餌をやりたかったのさ」


 そんなはずはない、と小さくつぶやきながらそっとレンに視線を走らせる。

 逃げろ、と言っているのだ。自分が時間を稼いでいる間に、せめてきみだけでも、と。


「おまえ、が、それだけのため……に、この幻聖宮近くに……れた、と…」


 ごぼっと泡が水面に浮き上がるような音をたてて生温かい血の塊がのどを流れて落ちる。彼が言い終わるのも待たず、右胸に柊の発した光がめりこんだためだ。


 それはいともたやすく彩煉の体ごと岩を貫いた。


「おまえじゃないよ、ぼくは。言ったでしょ? シュ・ウ・シ・エ・ン。そのあとにもちゃんと『様』をつけてね。分かった?」


 などと少し不満気に言うと、柊はぷん、と顔をそむけて腕を組んだ。

 それだけを見ればどう見ても人間の、しかもなんとも子どもくさい仕草に思えるのだが、その内に秘めた力を知る彩煉には、ただの人まね、醜悪なものにしか見えない。


 柊は高く足を組み上げ、全く気分を害したと言わんばかりの声でさらにこう言いつのった。


「そんな、あったりまえのこと言わないでよ。わざわざ訊いて確かめようとするあたり、腹立つなあ。まさかほんとにばかなの? おまえ。

 ぼくはね、あいつらに退魔師を喰わせてやりたかったのさ。もしくはおまえのような魔断をね」


 その言葉の与えた衝撃は深く、凄絶さを極めた。


「ね? 面白いと思わない? 気溜まりが成長して妖鬼になる。それからまた気を蓄えて、変化をして魎鬼になる。でも、そうなるにはかなり時間がかかるんだよね。気の質にもよるっていうのに、あいつら砂漠の虫とかヘビとか、小物ばっかし襲うんだもん。ほんと、ばかじゃん? いくら襲ったところでクズはしょせんクズの気しか持ってないんだよ。

 でも、じゃあさ。はじめから餌の気質が上等だったらどうなるのかな」


 いたずらっ子さながらの表情を浮かべて言う。これはたわいのない実験だと、全く悪気を見せようとしない子どものいたずらのように。

 違っているのはただひとつ。知性の光に溢れ、すでに予想という答えを手に入れている者の余裕の伺える瞳だ。


「……だが、それは、もう無理……だ……」


 少年の背後に広がる崩れた岩たちへと目を移して、言う。

 巨大な岩は先の柊と彩煉の力の激突で完全に破砕し、岩くずの集まりと化している。あれだけの重圧がかかったからには、あの巣魂も押しつぶされてしまったに違いない、と。

 でなくとも、かなり地下に閉じこめられたはずだ。


 そんな彩煉の考えを見抜いてか、柊は甘いとでも言いたげにくすりと鼻を鳴らしてそちらに向けた目を下の彼に戻した。


「ほんとにそう思ってるのなら、おまえは救いようのない愚か者だよ」


 殺気と見紛うばかりの危ういきらめきが瞳中をよぎる。


 その言葉に含まれた意に、まさかと目を見張った彩煉の期待(正確には、戦慄だったのだが)に答えてあげようと言わんばかりに肩越しに振り返り、柊は大きめの岩の幾つかを宙に浮かせて粉砕した。


 音もなく塵と化した砂が舞い上がり、視界を曇らせた後風に吹き流される。そこにすり鉢状にあいた穴の底からぼこりと手を突き出して周りの砂礫を押しのけて出てきたのは、あの3人の封師たちだった。

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