氷山
氷を掘る仕事だった。
だが、何のために? 誰の命令で?
分からない。
そして、氷の底で見つけたものは──。
タイトル:氷山
サブタイトル:氷山掘削の仕事
俺の名前は、レン。それだけは覚えている。
目の前に広がるのは、果てしない海。 空には太陽が出ている。風は止まり、音もない。
俺は一人、氷山の上に立っていた。 どこから来たのか、なぜここにいるのか、それすら分からない。
ただひとつ、確かなことがある。
──氷を、掘らなければならない。
何故かは分からない。 だが、その行為が“当然”であるかのように思えた。
俺の手には、重くて無骨なドリルが握られていた。
スイッチを入れるとドリルが動作し氷が削られていく。
「……きついな。でも、やらなきゃならない」
氷の奥に何かがある気がする。
サブタイトル:氷山掘削 - 意識空間
──俺は氷を掘り進める。
何層も削った先、ドリルの振動に紛れて、声がした。
「まだやってないのか。……甘えるな。」
声の出どころは分からない。 だがそれは、どこかで聞き覚えのある口調だった。
──これは、誰の声なんだろう?
声は続ける。
「やるべきことをやれ。怠けるな。お前も社会の一員だろう」
吐き気がしたが作業を進める他なかった。
ドリルの先端が氷を削るたびに、氷の中の何かがこちらを見ている気がする。
──ふと、頭上に太陽が浮かんでいることに気づく。 いや、太陽というには冷たすぎる。 まるで監視されているようだ。
「……辛いな。でも、やらなきゃならないんだ」
サブタイトル:氷山掘削 - 前意識層
──太陽が見えなくなるまで氷山を掘り進めた。
氷を削り続けていたはずなのに、気づけば見知らぬ居酒屋のカウンターに座っていた。
照明は暖かく、空気はどこかぬるい。木の柱、ざらついたカウンター、湯気の立つ湯のみ。 耳には低く流れる音楽と、遠くの笑い声。
グラスの中には琥珀色の液体。酒だと思う。でも、アルコールの匂いはしない。
俺はひとり、誰にも相槌を打たれないまま、ただひたすらに愚痴を吐いた。
「はぁー……ったく、やってらんねぇよ……なんで氷なんか掘ってんだ、俺」
「誰が決めたんだよ、こんな仕事……バカバカしい……」
「“やるべきことをやれ”? うるせぇんだよ、俺の中の誰か……全部、勝手に押し付けやがって」
一口飲む。味はしないけど、喉の奥が少しだけ熱を持った気がした。
「なぁ……俺、いつからこんなに我慢してんだろうな……」
ふっと笑ってしまった。
こんな場所、現実にはあるはずがない。
でも、ここでなら少しだけ、本音を言っても許される気がした。
太陽はとうに見えなくなっていたが、それでも何かが、俺を見ているような気がしていた。
サブタイトル:氷山掘削 - 無意識層
──また氷を掘っている。
意識が途切れたはずなのに、気づけば手にはドリルが握られていた。
──ここはどこだ。
太陽の光はない。ただ、掘らなければという感覚だけが体に残っていた。
ドリルが振動する。氷が割れる音と共に、視界の奥に何かが見えた。
小さな空洞。その中に、何かがうずくまっている。
近づいて目を凝らす。
そこにいたのは、子供の姿をした俺だった。
子供のレンは、怯えていた。 そのそばには、二人の影が立っていた。
一人は教師だった。表情は硬く、手には分厚いノートを持っている。
もう一人は父親。腕を組み、無言で睨みつけていた。
二人は子供の俺を囲み、責め立てていた。
「なぜ我慢できない?」「お前は弱い」「大人になれ」「お前のせいで迷惑しているんだ」
言葉は冷たく、絶え間なく浴びせられていた。
子供の俺は何も言わなかった。
──これは……俺の中で、ずっと繰り返されていた光景なのか。
ゆっくりとドリルを構え直す。
俺は氷の中に踏み込むと、ドリルの先端を教師の腹に突き立てた。
音もなく氷が砕けるように、教師の姿が崩れ、消えた。
続けて、父親の胸元にドリルを押し込む。
彼もまた、音も叫びもなく、霧のように消えていった。
──そして、世界が白く光った。
次の瞬間、目の前にあったのは会議室だった。
気付けば上司が、床に崩れ落ちていた。
俺の手には、折れたコーヒーポットの持ち手が握られていた。
ガラスの破片が、会議机に散らばっていた。
周囲は凍りついていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
フロイトの氷山構造を参考にしました。