第二話 甲斐姫
今回は女武者として知られる甲斐姫が題材。
私の一番古い記憶は、どんどん小さくなる輿と、それを見ながら一筋の涙を流した父の記憶から始まる。
私の母はとても格好良く、女子にしては珍しく武芸に優れていた。その眼差しは力強く、幼いながらに強く憧れ、このような人間になりたいとよく思ったものである。
父と母はとても仲がよく、食事のときなども和やかな、大名家にしては珍しい家族であったと思う。
輿にはその母が乗っていた。よっぽどのことでなければいつもは馬で移動するというのに、なぜ輿に乗っているのだろうと思った。輿の周りは見覚えのない兵士たちがいる。
早熟と言われ、若干二歳にして言葉を覚えていた当時のわたしは、緊張した空気を感じ取り、父に問うた。
「ととさま、かあさまはどこへいくの?」
父は何かを少し考え、静かに、安心させるように答えた。
「ばあさまのところだ。すぐに返ってくるから、安心しなさい。」
その姿からは、私に話している筈なのに、まるで父自身を落ち着かせているように聞こえた。
父の言を信じ、待ち続けた私だが、母は全く帰ってこなかった。疑問を感じていたが、父が嘘をついたと思いたくなくて、あの美しく力強い母が自分を捨てたと思いたくなくて、とっくにその事実に気づいているはずなのに、なかなか言い出せなかった。
自分の抱いた違和感をごまかすように、寂しさを紛らわすように、母とともに練習していた武芸にのめり込んだ。
五歳の頃には薙刀を使いこなし、物足りなくなった私は刀、弓、槍そして馬術など、様々なものに手を出した。
七歳の頃には、もし男に生まれていればと言われるほどの実力をもち、並の男一人くらいならば倒せるようになっていた。
母が去ってから五年の月日がたち、いよいよ私の仮説には信憑性が増してきたが、見て見ぬふりをしていた。
だが、練習終わりのある時、廊下を通り過ぎる女中たちの声を聞き、真実を知ってしまうこととなる。
「ほんっと、うちの姫様はおかわいそう。物心がつき始めた頃に母は実家との関係悪化でこの城をおさりなって。」
「幼少のほんの少ししか母のぬくもりを知ることができなかったのですから。」
「「ね」」
やはり私の予想は当たっていた!その事実が明らかになった瞬間、絶望の二文字が頭に浮かんだ。信じていたもの、よりどころにしていたものに裏切られたという実感で、頭の中がぐちゃぐちゃになる。体中を蛇が這いまわるかのような悪寒がして、鳥肌がたった。
母は私を捨てた。
すこし大きくになった私には、それが仕方のないことだとわかっている。この戦国の世で生き抜くには、母の、私の安全を考えれば、母が実家へ戻ることが最善だったのだろう。
だが!ほかに方法はなかったのか?
幼い私をなぜ連れて行ってくれなかったのか?
ああ、分かっている。すべてわかっている。幼い私を実家へ連れて行ったとして、どうなる?
いくら娘、妹、姉の子供だといえ、その血の半分には敵の血が入っている。
父は城の城主。権威を振りかざせば私に危害は及ばない。
だが実家に戻った母は、出戻りの姫。領主一族の中のものだとしても、父ほどの権力を持ち合わせてはいない。私を守れない。
そう、これが最善。
母が私をおいていくことが。
父が私に嘘をつくことが。
「ふふ、ふふふ。」
気が狂いそうだった。頭ではわかっているのに。理性が働かない。
戦国の世の、この残酷さに。
この滑稽さに。
笑いが出る。
反吐が出る。
私の名は甲斐。忍城城主成田氏長の娘。
この戦国の世で、女の私は守ることしかできない。
それならば、この城を、この領を、領民を。守ってやろうじゃないか。
これより私は修羅となる。
何があっても守り抜く。
七歳の少女としては成熟しすぎた彼女はこの日、修羅となった。その生涯はとげだらけの血に濡れた道。その道の真ん中で、大輪の真紅の花として、狂い咲いた。




