第一話 武田信玄
武田信玄とは、甲斐の虎と呼ばれ、恐れられた名将である。様々な猛者たちを従え、戦国の荒野を駆けまわっていた信玄だが、他の武将と比べても子供たちを政略の駒として使い、更に嫡男であった長男を幽閉し、自害にまで追い込んでいる。(理由は定かになっていないが、おそらく仲たがいと思われる。)
そんな信玄がもし死の直前に後悔するならばどのようなことなのだろうか。
夢を、見ていた。ありえない、こんなことが起きる訳がないような、そんな夢物語。そう、夢物語だ。もう少しで上洛できるというのに、戦場で倒れてしまった。
そして起きると、いつのまにか野営地に戻ってきていた。その中で己が見たのは、本当にありえない、そんな夢であった。
家族みなで仲良く食卓を囲み、みなで飯を食いながら笑い合っている。己のせいで自害したはずの長男、諏訪家に養子に出されたはずの五男、己が同盟を破棄したばかりに婚約者と敵同士になってしまった娘。
政略、軍事。子供達のことをそのようなことに使える、己の盤上の駒のように思っていた。
だからこそ、子供達には恨まれていたと思う。長男とあった因縁も、悲しみのあまり塞ぎ込み、父に恨みを募らせていた娘も、みな、笑顔で己を見ているのだ。思えば己の息子、娘たちはほとんどがみな、不幸になった。
己は武将としてはとても優れた才を持っていたのだろう。戦への、頂点への欲というものを、この戦国の世で生き残るために必要なそれを十分に、いや十分過ぎる程に持っていた。
だからこそ、父として、1人の親としては最低だったのではないか。ふと、そんなことが頭をよぎった。今更そのようなことを思ったとて、もう遅い。死んでしまった長男は戻らないし、一度募った恨みはそう晴れない。さらに、晴らす時間も残されていないのだ。 己の体のことは己が一番わかっている。
もう時間がないのだ。早く、天下を取らなければ、もっと上に行かなければ。己が上を目指したのはなぜだったか、もう、分からなくなっていた。
ただ、盲目に頂点を目指していたのだ。今思うと、甲斐に、武田に繁栄を、安寧をもたらすためだったように思う。己たちの代がそれを果たし、息子たちの代からの不安をなくすためだったはず。
だというのに、ただ頂点を目指していた。本当に、少ない点に集中した過度な才というのは人を無能にする。いや、その才に頼りすぎた人間は無能になる。
十分にわかっていた、いや、わかっているつもりだったのだ。気づけばいつの間にか、ただ頂点を目指していた。そしてそれも、叶わぬ儚き夢となりかけていた。あんなに忘れたくない、忘れてはいけないと願っていたというのに。いつのまにか忘れてしまっていた。神を呪おうか、このような才を与えた神を。
だが、それはお局違いだということなど、分かっていた。あのあまりにも幸福すぎる、夢物語を見て。与えられた才をどのように使うかはその人間次第であるし、それを正しく使うこともまた、才なのであろう。
あの夢は、一つの可能性であったのだ。己が過信せず、子供達のことを考え、その上で頂点を目指した姿だ。あの優秀な長男と意見をかわし、より高みを目指す。婚約者の自慢をしあう娘たちを微笑ましく、少し悔しい気持ちで眺める。確かに、確かにそんな未来もあったのだ。だが、その存在に気づけなかった。
ー父上。
父の姿を見て、あのようにはなるまいと、固く誓った筈だというのに。
己にとって父の背中はとても、とても大きかった。武将として、とても優れていたのだ。
父としても良い父だったように思う。だが、領主として、統治者として。領民を連日戦に駆り出す姿、内政に使う銭をどんどん減らし、軍資金に回す姿は、よき領主としての理想とは程遠かった。
家臣たちの心も少しずつ離れていったように思える。そのため、武将として憧れるのと同時に、このような領主にはなりたくない、と幼心に思ったのを覚えている。
だから家督を奪い、より良い地にするよう努めた。
軍資金が多いというのは負けず劣らずだろうが、そのようにしたとて領民が苦しむことなどないよう、懐を潤わせた。商売、軍事など、さまざまなことに気を回し、領のために奔走することはできたというのに、それよりも更に近くで己を支えてくれた家族を蔑ろにしていた。思えば最近は、その領地のことすらも後回しにしていたかもしれない。上洛を目指したのは、天下を目指したのは、甲斐に安寧を与えるためではなかったのか。家族に、娘に息子に妻に、安寧を与えるためではなかったのか。
己が当主としてしたことは、己が生きている間の武田、甲斐の安泰であった。今まで己がしてきたことは、己がいたからこそ成り立つものなのだ。
そう、”甲斐の虎”がいるからこそ、この武田家は生き残ってきたのだ。もうすぐ己は死ぬ。
そして、武田家は間違いなく窮地に陥るだろう。この窮地を抜け出せるほどの力を、己のあとを継ぐことになろう、息子たちは持っているだろうか。
あの長男なら、うまく再生させてみただろう。そもそも己が長男を幽閉したのも、一代の栄光を築こうとする己を長男が止めたからであった。
あの長男が、何事もなく己の後を継ぎ、家督を握っていれば、生きていれば。
己がこの老境に立ち、死の境にて見出したことを、息子は見出していた。
あの若き武者のいく末は、とても面白かったろう。娘たちの瞳に光が宿り、家臣たちはより一層武田に忠誠を誓っただろう。息子の方がよほど、『戦国武将』として立ち回れたのではないか。己はなんと愚かなことをしたのか。
だが長男、あの男は、父亡き後を見据え、動こうとしていた。それこそ、戦国にふさわしい”才”であるのかも知れない。
己が成してきたことは、歴史に名を残すには十分すぎるほどのことであっただろう。
だが子供達は、己の影に隠れ、やがて枯れていくだろう。
本当の死とは、肉体がなくなることではない。誰の記憶からも本来の自分が消え去ることだ。
沢山の戦という命の奪い合いの場を乗り越えて経験から、そう確信していた。
たとえ足軽でも、覚えられていれば、肉体が滅びても本来の自分は消え去らない。
その反対に、誰にも覚えられなかった者は、たとえ武将であっても忘れられてしまう。
同じようにして歴史の波に揉まれ消え去った英雄は幾人いるだろう。
己は、自分の子供たちを、忘れ去られた英雄にしてしまうのだろうか。
己よりも大きな才を、大きな力を宿していたそれぞれ個性あふれる息子、娘たちという桜の花を散らせてしまったのだ。
これから生まれる芽を、種を絶やしてしまった。おおきな大木が数多生える森の中で、この後眩しいほどに綺麗な花を咲かせる筈だった、種たちを。
枯れてしまった花は、徐々に忘れられていくだろう。子供達は、本当の死を迎えてしまうかもしれない。
己の肉体の命の灯火はもうすぐ消えてしまうだろう。だが、本当の死を迎えることはあるまい。
「すまぬ。」
誰にも届くことがないその声は、夜の闇に紛れ、やがて溶けていった。そして信玄の命の灯火もまた、暗闇にまじり、やがて消えていった。その様を、大きな満月はただ、静かに眺めていた。
(この物語はあくまでもフィクションであり、歴史小説であるため歴史をまねたものですが、実際のこととは異なることがある可能性があります。)