王太子に婚約破棄されたけど、私に国母は無理なのでありがたいです!
「エレノア・ローズカッスル公爵令嬢! 今をもって貴様との婚約を破棄させてもらうっ!」
怒りを含んだ、良く通る声が辺りに響き渡った。
王都ミースフィアの宮廷で開かれている夜会。婚約破棄を宣言し誇らしげに微笑んでいる彼、ハロルド・ザックウィル王太子は――何を隠そう私の婚約者である。元か。
彼の隣にいるのはおそらくマーガレット・マイルズ男爵令嬢だろう。今にも泣き出しそうな顔でこちらを伺っている。ピンクブロンドの艶やかな髪にラズベリー色の瞳。顔立ちは大変愛らしい美少女で女の私でさえも庇護欲が湧く。
そしてたった今ハロルドから婚約破棄を言い渡された私は、エレノア・ローズカッスル公爵令嬢だ。
この国ではありがちなハニーブロンドに、薄い碧眼。顔立ちは悪くない方だとは思うが、吊り上がった目でキツい性格だと勘違いされがちである。しかしまあミースフィアでは量産型のどこにでもある顔だ。
普通の令嬢と違うところといえば、前世の記憶があることだろうか。私は微笑んで、ハロルドにこう言った。
「お心のままに……」
恭しく、お辞儀を添えて。
私の前世は、結婚し子育てを終えて過労で息を引き取った60歳の女である。
私の転生は、若いころ小説で読んだトラックで轢かれて異世界転生――といったドラマチックなものではなかった。それに前世は最初から覚えていたわけではない。
王太子との婚約が正式に公表されたその日の晩、酷い熱が出た。
三日三晩うなされた私は、おぼろげな意識の中で前世の記憶を思い出したのだ。13歳の春、思春期真っただ中の少女の精神に60歳女の精神が入り込めば、どうなってしまうか想像がつくだろうか?
狂人になってもおかしくはないほど苦しんだ。
だが、侍女たちの懸命な看病により私は正気を取り戻していく。そして18歳でありながら、やけに達観した大人しい少女が出来上がってしまったのだった。そういった面白みのないところが、王太子は気に入らなかったのだろう。精神年齢が全然釣り合わない相手と婚約するのは私だって嫌だ。彼のやり方は幼稚だが、気持ちはわかる。
そんな経緯がありつつ、婚約破棄をされてしまった私は今、夜会を去り宮廷の長い廊下を歩いていた。月が明るく、宮廷の中庭に咲いている青い薔薇を照らしている。
「肩の荷が下りたわ……」
そう。私は物凄くホッとしてしまっていた。
だってよく考えてほしい、前世の世界はとても自由だった。車や電車、飛行機でどこへだって行けた。仕事は大変だけれど休みがあればたまに旅行を楽しめた。恋愛も自由だし、子供もつきっきりで世話できる。ここでは産まれてもすぐ取り上げられ、乳母が赤子の世話をするのが常。
それに――。
「元義母、超怖いし……。出会って最初の一言が『男児を産むように』とかやばすぎる……。まだこちとら少女よ? 王太子の婚約者ってだけで、令嬢たちがすんごい睨んでくるし……。王妃教育厳しすぎるし、外交とかなにそれ美味しいの。少女なのにぜんっぜん自由がない。やばいこの世界」
私は、前世ではものすごく怠惰だった。
この世界で生まれ育った令嬢なら覚悟が決まっているだろう。だが性根がめんどくさがり屋の私は、国母になるなんて『マヂ無理』であった。朝起きて分刻みの予定表確認するとかマヂ無理。
「前世でも義母にはしこたまいびられたなあ……。同居は失敗だった。何か決定的な出来事があるわけじゃないのよ。ただ『あんたの風呂は最後ね』とか『この子がアレルギーなのはあんたのせい』とかそういう細かい嫌味の積み重ねが憎しみに変わっていくのよ」
ちなみに夫はマザコンで義母の味方しかしなかったので、気が狂いそうなほど毎日が地獄だった。なので死ぬ寸前ぐらいでとうとう熟年離婚してしまった。子供は可愛かったけれど。
誰もいない暗い廊下でブツブツ何かを呟く私は、完全に不審者である。
前世でもそこそこハードモードな人生だった私は、とにかく自由を求めていた。なので王太子がマーガレット嬢に惚れて婚約破棄してくれて、本当に彼に感謝している。こっちから婚約破棄は絶対に無理だしやろうと思えば家族に迷惑がかかるので、あちらから切ってくれて本当に良かった。でもなんか怒ってたな~マーガレット嬢をいじめたということらしいけど記憶がない。まあとにかく。
「ありがとーハロルド!」
「あのう、さっきから全部聞こえていますけれど」
「うわあああ!」
心臓が喉から出るかと思った。
1人だけかと思っていた廊下には、人が居たらしい。きょろきょろと辺りを探すと、目の前の大きな柱の影から、1人の男性が現れた。
一見女性かと見間違う漆黒の長い髪に、ラピスラズリのような青い瞳。
人間離れしたすさまじい美貌、スラリとした長躯に品のいいローブを羽織った彼は――。
「ファラサール・アレゼル宰相閣下……!?」
名前を呼ばれて、ファラサールは優雅に微笑んだ。その美貌と魔塔の主であり宰相という地位から、数多の令嬢が熱を上げている。そんな有名人がなぜここに。
「僕のことを覚えていただけたとは、恐悦至極です」
やけに古風な礼をされ、私もあわててカーテシーを返す。『ファラサール』って名前は古風なんだけど、そこが良いのよねえと友人の令嬢が言っていたのを思い出す。
「ええと閣下、さっきのことですけど……」
「はい、全部聞かせていただきました。義母が――」
「あああ! すみません広まったら不敬罪で処刑されるかもしれないので、勘弁してくださいませんか」
涙目で必死に頼み込むと、ファラサールは口をつぐみ、再び微笑んだ。その美しい笑みにドキリと胸が高鳴る。ときめいている場合じゃないのだが、彼は本当に物語から飛び出してきたんじゃないかと思うくらいの美丈夫なのだ。一瞬魂を持っていかれそうになったが、気を持ち直す。
「ところで閣下はなぜこちらに? 夜会はあちらですが……」
遠回しにどっか行ってくれと催促してみる。
「エレノア嬢が心配で参りましたが、寂しいことを仰りますね。……僕が邪魔ですか?」
「えっ。そんな邪魔だなんて。いくらでもいてください」
捨てられた子犬のような瞳で見つめられ、反射的に言葉がでてしまった。
「嬉しいです。……これから苦労されるだろうと思い、なにかお助けできたらと思った次第なのですが」
「そ、そうですよね。はー、一体これからどうしたらいいのやら」
ファラサールの言葉で、現実に引き戻される。
王太子に婚約破棄された公爵令嬢の末路は一体いかなるものか?
「王妃になる未来は回避したものの、公爵令嬢だしまた縁談が来るだろうし。良く知りもしない人と結婚するなんて絶対嫌だけど断れないし、物語みたいに公爵家とか隣国の王子から『なら私と婚約してください』って言われても無理。女主人としての能力が皆無すぎる。修道院に行っても修道女って結構修羅の道だしああああ」
「エレノア様……おいたわしい」
思っていることが全部口に出てしまう。頭を抱える私の肩を、ファラサールがそっと支えてくれた。なんか女の私よりすごくいい匂いがする。色々考えた後、私は勢いよく顔を上げた。
「閣下……私、冒険者になりたいです」
「藪から棒に、一体どのような所以でそうお思いに?」
「冒険者って自由じゃないですか。自分一人の力で魔物を倒して日銭を稼ぎ、いろんな場所にも行けるし」
「エレノア様は、貴族令嬢として生きることがお嫌なのですか」
「はい、嫌ですね……」
ファラサールは僅かに目を見開き、何か考える仕草で顎に手を添えた。こんなやばい女のために1秒でも悩んでくれるなんて優しい人だ。
「ご提案なのですが、エレノア様さえよろしければ僕とこの国から旅立ちませんか?」
「へぇっ!?」
淑女らしかぬ間抜けた声が出る。宰相閣下が旅……? 外交のついでとか? だとしたらお断り申し上げたい。私の複雑そうな表情を察したのか、ファラサールが眉を下げてくすりと声を漏らす。
「長年、魔塔主と宰相という仕事をこなして参りましたがそろそろ引退しようと考えておりまして。いろんな国を見て回りたいと思いを馳せていたのです。しかし僕は妻もおりませんし、一人でしたらやはり寂しいでしょう。エレノア様がお嫌でなければ、寂しい僕についてきてくださらないかと……」
ファラサールが目を伏せ、物憂げに俯く。東屋で彼がこんな表情をしてたら、令嬢たちが絶対放っておかないだろう。だれが声をかけるかで取っ組み合いの喧嘩が発生しそうだ。でもよく考えると、ファラサールは超絶優良物件である。そんな彼がなぜ今まで妻をめとらず、しかもこんな婚約破棄された限界公爵令嬢に声をかけるのだろうか。おかしい、これは陰謀だ。思わず『はい! 行きます!』って言いそうになった自分に心の中で平手を打つ。
「お気持ちは嬉しいのですが、閣下はこの国の輝く星です。そんな有望な方を私なんぞがさらえば逆賊だと罵られてしまいますわ。悲しいことを仰られず、これからも国を支えてくださいまし。まだお若いのですから」
「エレノア様……」
そんな悲しい声を出さないで、私が虐めているみたいじゃない。彼の申し出はかなり魅力的だったが、なにかを隠している感じがした。もしかしたら旅先で私を亡き者にしようと王太子が企んでいるのかもしれない。そんな不穏な事を想像していると、ファラサールが再び口を開いた。
「失礼ですが、僕の年齢はいくつに見えますか?」
……なんだその酒の席でオッサンが女の子に聞くような台詞は。ファラサールじゃなかったら青筋立ててたわよ。
「25歳くらいに見えます」
「ふふ、実を申し上げますと僕は80歳なんです。嘘ではないですよ、魔法の研究をしすぎた副作用で歳をとりにくくなってしまいまして」
「は、はちじゅう!?」
嘘でしょう、オッサンどころかおじいちゃんだった。でもこの場面でこんなしょうもない嘘をつくだろうか? この世界には確かに魔法があり、摩訶不思議なことが当然のごとく起きる。
「ほら、左の手指だけ歳をとっているのです。ここだけ魔法の暴発から免れましたゆえ」
そう言うとファラサールは左手に嵌めている黒い手袋を外した。見れば、指先だけ老人のように血管が浮き、しわしわになっている。私は驚きで口が開いてしまった。――本当なんだ。
「治そうと思えば治せるのですが、面倒くさくて放置しています。信じて、いただけましたか?」
「はい……」
「それで歳ばかり取っているのに見た目は変わらないので、孤独なのも本当なのです。王宮は若者が多いですから。しかしエレノア様、貴方は――。貴方は、私とそう歳が離れていませんよね?」
ドクン、と胸の鳴る音がした。
ファラサールの紺碧の瞳から、目を逸らせない。
「責めているわけじゃありませんよ。むしろ逆だ。僕は嬉しかったんです、同じような境遇の方を見つけられたことが……。いつ声をかけようかと悩んでいたところ、貴方が婚約破棄された。そして困っているご様子だったので、是非お助けしたいと思ったのです」
そうだったんだ……。でもわかるなあ、中身が60プラス18で私も実質80歳だもの。周りと気持ちのスピードが合わないって言うか、ふとしたときに虚しくなるんだよね。
「まだお疑いでしたら、魔法誓約書にて誓いを立てます」
魔法誓約書って、大国同士が協定を結ぶために使うあれ? 確か小国であれば買えるくらいの値がするとんでもなく高価な?
「いやいやいや、私に信じてもらうためにそんな大それたこと!」
「お気になさらないでください。何枚も持っていますし、なんならいくらでも買えますから」
ファラサールは優しく微笑むが、違う、そういうことじゃない。私の制止を振り切り、ファラサールは誓約書を開いた。月明りだけの廊下に、幻想的な青い光が広がっていく。
「甲ファラサール・アレゼルは、乙エレノア・ローズカッスルに対し契約を締結する。甲は乙を裏切らず、故意に害をなした場合は甲の命をもって乙に償う事とする」
――は?
「いやいやいやいや、命って! ちょっと待ってください。いますぐその誓約書破ってくれませんか!?」
「エレノア様を裏切ることなどありませんから、問題ないですよ。それで……信じていただけますか?」
激重なのだが。ちょっと仕事しすぎておかしくなったのかな。ファラサールは何事もなかったかのように涼しい顔をしている。
「信じます、信じますから。お願いですから無効にしてください」
なんなら土下座でもする覚悟だぞこっちは。
「そこまで仰るなら……ですが条件がございます」
「なんですか!?」
私は少々キレ気味に返してしまう。
「僕と一緒に、旅をしてください」
そんなこと、私がお願いしたいくらいなのに。なんだが涙が出そうになって、唇が震える。男の人とふたりきりで旅行なんて、産まれて以来初めてだわ。ファラサールが静かに手を差し伸べる。
「私……黄金平原と謳われるミッティナ大陸に行ってみたいです。何処までも広がる黄金の野原を駆ける、ユニコーンを見てみたい。でもそこからうんと離れた妖精たちが暮らす国も行ってみたいです。美味しいものを食べて、豪華な宿に泊まったりして――」
「僕の魔法でひとっとびです。旅の過程を楽しまれたいならもちろんそういたします。魔法で家も収納してますからいつでも取り出せますし、料理も作りますよ。80年国で働いたのでお金の事も御心配なさらず」
「――ご一緒させてください!」
夢のような提案に、私はとうとう彼の手を取った。
異世界で、公爵令嬢に生まれてがんじがらめに生きる人生しかないかと思ったけれど……。本当婚約破棄されて良かった。男爵令嬢さん、大変だろうけど頑張ってね。あと、ありがとーハロルド!
今から私、ファラサールと旅に出ることにします。
差し伸べられた手に、エレノアの細い指が重ねられた。ああ、夢にまで見た瞬間だ。僕はエレノアの手を掴んで引き寄せ、ぎゅっと抱きしめたい衝動を必死に我慢する。
僕は、意識すれば人の心が読めてしまう。それに魔法の暴発で歳をとりにくい体質になってしまったため、自然と周囲と心の距離ができてしまった。僕に群がるのは、見た目や権力に目がくらんだものばかり。皆、上へ這い上がるために自分を殺しそれが当たり前という顔をしている。自分も含めて――。
それが、どうしようもなく嫌だった。
そんな中、彼女に出会った。王太子の婚約者だ、二心が無いかと心を覗いてみれば、彼女の心は平穏でそこには静かな湖があった。ある時は満開に咲くかぐわしい薄桃色の花。陸地に入りこんだ海に高く飛ぶ真っ白な鳥。彼女の心は、いつも醜い愛や権力から遠く離れたところにあった。その凪いだ心の片隅に、僕も棲みたくなった。
もちろん探せばきれいな心を持っている者はいくらでも居る。しかし、王宮という欲望渦巻く鳥かごの中では、そんな者は皆無に等しい。
彼女が実際の年齢よりずっと歳をとっている事にも気づく。同じ境遇に、ますます親近感がわいた。親しみはやがて憧れに、憧れは恋へと変化していく。王太子の婚約者でなければ良かったのに。思いを燻らせていると、ある日突然エレノアが大衆の前で婚約破棄を言い渡されてしまった。はやる心を抑え、彼女を追いかける。
きっと傷ついているだろう、大丈夫だろうかと思えば、彼女は逆にこの事態を喜んでいた。僕はほっと息をついて、安堵で笑ってしまう。聞けば、彼女は自由になりたいらしい。
――そうだな。長年この国に仕えてきたが、このように愚かな者が王太子とはほとほと愛想がつきた。旅に出ても良いだろう。それにもしエレノアがいてくれたら最高だ。僕の薄暗い欲望に、優しい彼女は手を差し伸べてくれた。幸せで胸がいっぱいになる。
これからは、目の前の美しい花を愛でていたい。僕だけの、美しい花を。
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