『ウェーイ、王太子くん見てるー?』
「シンシア、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「――!」
国中の貴族が集う華やかな夜会の最中。
私の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるセドリック殿下が、唐突にそう宣言した。
そ、そんな――!
「どういうことですか殿下! 理由をご説明ください!」
「フン、とぼけても無駄だぞ。君が裏でブレンダに陰湿な嫌がらせをしていることはわかっているのだからな!」
「嗚呼、セドリック様……」
「……!」
男爵令嬢のブレンダ嬢が、悲愴感漂う表情を浮かべながら、殿下にしなだれかかる。
「それは誤解です殿下! 私はブレンダ嬢に、下級貴族の身でありながら、私という婚約者がいる殿下と二人で会うのはいかがなものかと忠告したまで。決して嫌がらせでは――」
「だーかーら、それが嫌がらせだと言っているんだ僕は! 見ろブレンダを! 可哀想に、こんなに震えているじゃないか!」
「セドリック様、私、怖かったです……」
「ああ、ブレンダッ!」
殿下は雨に濡れた子猫を保護するかの如く、ブレンダ嬢を抱きしめた。
なんて白々しい……。
ブレンダ嬢は何度私が注意しても、「はぁーい、気を付けまーす」としれっとした顔をしてたわよ。
「挙句の果てにはブレンダを階段から突き落とすとは! これは立派な殺人未遂だ! 恥を知れ、この痴れ者がッ!」
「っ! それも誤解です! あれはブレンダ嬢が、自分で勝手に――」
「そんな! 酷いですシンシア様! 私が噓をついているとでも言うんですか? ふぇーん」
右腕に仰々しく包帯を巻いたブレンダ嬢は、明らかに噓泣きとわかる涙を流す。
こんな大根演技に騙されるバカがいるとは思えないのだけれど……。
「どうか泣かないでおくれブレンダ! 僕が今からこの、悪鬼羅刹を断罪してあげるからね!」
そのバカが自分の婚約者だという事実が、心底悲しい……。
「……ちょっと私、気分が……。本日はこれで失礼いたします」
「オイ! 逃げるのかシンシア!? まだ話は終わっていないぞ! オォイッ!!」
嗚呼、今日は人生最悪の日だわ……。
「ハァ……」
一人で会場を出て、雲一つない夜空を見上げる。
煌々と輝く満月が、程度の低い色仕掛けで婚約者を寝取られた私を嘲笑っているかのようだった。
これからどうしよう……。
心を落ち着かせるために、宝物である翡翠のネックレスをそっと撫でる。
正直セドリック殿下に対しては、あくまで家同士が決めた政略結婚の間柄だから、別に未練はない。
むしろあんなバカ王子と結婚せずに済んで、清々しているくらいだ。
だが、無実の罪を着せられているのだけは我慢ならない。
実家にも迷惑がかかるし、なんとかして無実を証明しないと……。
「ウェーイ、どしたん彼女? 元気ないじゃん」
「っ!」
その時だった。
胸元をザックリ開け、身体中にジャラジャラと装飾品をつけた、いかにも軽薄そうな男が声を掛けてきた。
誰……!?
この夜会には貴族しか出席できないはず。
主要な貴族令息の顔は暗記しているつもりだけど、こんな人見たことないわ……。
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「おっと、これは失敬失敬。オレはアルフォード商会の会長、グレン・アルフォードっていうもんさ」
「なっ」
グレンと名乗る男性は、金箔でコーティングされた名刺を差し出してきた。
アルフォード商会のグレンといえば、今や国で一番の商人と言っても過言ではないやり手(私の翡翠のネックレスも、その昔アルフォード商会で買った物だ)。
つい最近桁外れの財力で爵位を買い取ったという噂は耳にしていたけど、それがこんな若い男性だったなんて……。
「そのグレンさんが、私なんかになんの御用でしょうか」
「んー? いやぁ、オレってさぁ、困ってる女の子がいたら、放っておけなくなっちゃうタチなんだよねー。だからこうして声を掛けたってわけ」
「……」
グレンさんはキザったらしくウィンクを投げてくる。
「あなたは、私がブレンダ嬢を階段から突き落としたとは思ってないんですか?」
「もっちろん。これでもオレは商人の端くれだからね。――商人に一番必要なのは、目の前の人間が信用に足る人物なのか見極める目さ。そのオレの目が、君は罪を犯してはいないと判断した。だから君を助けたいと思った。実にシンプルな理屈だろ?」
「……!」
太陽みたいなグレンさんの笑顔に、私の胸がトクンと一つ跳ねる。
あ、危ない危ない……!
このくらいのことでトキメキそうになるなんて……!
私はそんな、チョロい女じゃないんだから……!
「でも、セドリック殿下はあの通り一切聞く耳を持ってくれません。いったいどうしたら……」
「その点はオレに任せてよ。明日までに、君の無実を証明してみせるからさ」
「グ、グレンさん……」
グレンさんは私の肩に左手をポンと置きながら、右手でサムズアップを向けてきた。
こんななんの根拠もない言葉、いつもの私だったら一笑に付すところだけど、何故か今は信じてみようという気になっている自分がいる。
やっぱり私は、チョロい女なのかもしれない……。
「はい、では、よろしくお願いします」
「りょーかい! じゃ、また明日ねー」
グレンさんは手をブンブン振りながら、会場に戻って行った。
私はそんなグレンさんの背中を、ただぼんやりと眺めていた。
「シンシア、よかったなぁ! お前の無実が無事証明されたぞッ!」
「っ!」
そして一夜明けた朝。
お父様が、嬉し涙で目を真っ赤にしながら私の部屋に入って来た。
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、本当だとも! 私も詳しい経緯は知らないんだが、ブレンダ嬢の証言が噓だった証拠が見付かったらしい。まったく、とんでもない女狐もいたものだ」
「……」
まさかこれは、グレンさんが……?
「罰としてブレンダ嬢は修道院送り。そして嘘の証言を鵜吞みにしたセドリック殿下も、廃嫡され辺境の鉱山で十年ほど強制労働させられることになったらしい。殿下は騙された側なのだからいささか可哀想な気もするが、まあ自業自得ではあるし、致し方ないかもしれんな」
「……そうですね」
本当に、気の毒な人――。
「お父様、私ちょっと、出掛けてまいります」
「え? 出掛けるって、どこに?」
「アルフォード商会にです!」
「アルフォード商会?? なんでまた?? オ、オォイ、シンシア!?」
居ても立っても居られなくなった私は、お父様をその場に残し、一人で駆け出した。
「いらっしゃいませ」
アルフォード商会に着くと、笑顔の眩しい好青年が出迎えてくれた。
「あ、あの、会長のグレンさんにお会いしたいのですが」
「ふふ、シンシア様でございますね。グレンからお話は伺っております」
「え」
まさか私がここに来ることまで、あの人に読まれていたってこと……!?
つくづく底が知れない人だわ……。
男性が奥に下がると、程なくしてグレンさんが、昨日と同じく軽薄そうな笑顔を浮かべながら現れた。
「ウェーイ、そろそろ来る頃だと思ってたよーん」
「グレンさん! あ、あの、このたびは、本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げていいか……」
「まあまあ、そう固いことは言いっこなしでヨロ。ちょっと奥で話そっか」
「……はい」
私はグレンさんに連れられるまま、応接室へと通された。
「わぁ」
応接室にはいかにも高級そうな絵画や壺が無数に飾られており、そのどれもが、上級貴族でさえおいそれとは手を出せない代物であることは想像に難くなかった。
「最近隣国から珍しい茶葉を仕入れてね。緑茶って言うんだけど、よかったら飲んでみてよ」
「あ、ありがとうございます」
これまた高そうなカップに入れて出されたお茶は、その名の通り淡い緑色をしていた。
カップを手に取って一口飲むと、爽やかな渋みが口いっぱいに広がり、思わず「ほう」と溜め息が漏れた。
「どう? 悪くない味っしょ?」
「はい。とても美味しいです。あの、それで――」
「どうやってオレが、君の無実を証明したか、だね?」
「……はい。いったいどんな魔法を使ったんですか?」
「ハハッ、魔法ね。まあ、確かに魔法っちゃ魔法かな」
グレンさんはおもむろに、一つの水晶玉を取り出してテーブルに置いた。
「これは?」
「これは最近アルフォード商会で開発した、『映像記録魔水晶』さ」
「映像記録魔水晶??」
とは??
「その名の通り、この水晶玉には目の前の映像を記録しておくことができるのさ」
「ほ、本当ですか!?」
もしもそんなことが可能なら、世界の常識が覆る――。
「まだ王家や、一部の上級貴族にしか卸してない代物だけどねん」
「ま、まさか――!」
「そう、そのまさか。王城の至る所にも、防犯のためにこの魔水晶が仕掛けられてるのさ。もちろん、君がブレンダ嬢を階段から突き落としたとされる現場にもね」
「……」
そういうことだったの……。
「そういうわけで、オレも王家の警備室にはツテがあったからさ。頼み込んで映像を確認してもらったら、ビンゴ。ブレンダ嬢が勝手に階段から落ちていく様がバッチリ映ってたんだよ」
これで種明かしはお終いとばかりに、グレンさんは両手をポンと合わせた。
「疑問は解けました。――ですが最後に一つだけ、教えてくださいませんか?」
「んふふ、何かな?」
「……何故あなたは、私のことを助けてくださったのですか?」
昨日は困っている女性がいたら放っておけないと言っていたけど、あれが本音だとは私にはどうしても思えない。
何故ならこの人は、根っからの商人だからだ。
商人がなんのメリットもなく動く生き物ではないことくらい、私だってわかる。
「……それはね、君がオレの――いや、アルフォード商会の恩人だからさ」
「……は?」
グレンさんの口から出た意外すぎる言葉に、思わずマヌケな返事をしてしまう。
恩人??
私が??
……まったく身に覚えがないのだけれど。
「君がしてくれてるそのネックレス、うちで買ってくれたものだろ?」
「あ、はい、そうですけど」
宝物の翡翠のネックレスを、軽く掴む。
「自分じゃ気付いてないかもしれないが、君は全貴族令嬢が憧れる、言わばインフルエンサーなんだよ」
「わ、私がですか!?」
そんな、私なんかが、まさか……。
「ふふ、やっぱ自覚はなかったか。――そんなインフルエンサーの君が買ってくれたネックレスだ。決して安くはない代物なのに、国中の貴族令嬢たちがうちから挙って買ってくれたのさ! その資金を足掛かりに、うちはここまで大きくなれた。……だから君には、いつか誠心誠意、お礼をしたいと思ってたんだよ」
「……そうだったんですか」
人生って本当に面白いわね。
個人の何気ない行動が、世の中に大きな影響を与えることもあるのだから。
「というのは建前で、ホントは可愛い君を口説く口実にしたかったってのが本音なんだけどねー」
「か、可愛い!?」
グレンさんは昨日と同じく、キザったらしくウィンクを投げてきた。
もう!
「……そうやって星の数ほどの女性を口説き落としてきたんですね」
「いやいや、オレはマジずっと君一筋だったから! マジ信じてよ! マジのマジだからさ!」
「……本当かしら」
「よーし、そこまで言うなら、今夜二人で食事でもしながらじっくりオレのこと教えてあげるよ。そしたらオレがホントは誠実な男だってこと、絶対わかってもらえるからさ」
「ふふ、わかりました。精々頑張ってくださいね」
「まっかせてよ」
そう言いつつも、心の底ではグレンさんに惹かれつつある自分がいるのを否定できなかった。
こうしてこの日から私とグレンさんは密かにデートを重ね、何度目かのデートの夜、豪奢なダイヤモンドの指輪と共に、私はグレンさんからプロポーズされた。
私は喜んでそれを受け、晴れて私たちは夫婦となったのである――。
「あら? グレン、どうしたの、それ?」
とある夜。
グレンが寝室に映像記録魔水晶を持って来た。
「ふふ、いやぁ、シンシアの元婚約者の王太子くん――いや、今はただの平民か。まあ便宜上王太子くんて呼ぶけど、王太子くんも毎日鉱山での激務大変だと思うからさー。オレたちから、労いの映像レターでも送ってあげようかと思ってさ」
「まあ」
グレンが悪巧みする時の、意地悪な笑顔を浮かべる。
「もう、あなたって本当に性悪ね」
「でも、そんな悪い男が好きなんだろ、シンシアは?」
「――ええ、そうよ」
もう今の私は身も心も、あなたに首ったけだもの――。
「王太子くんさぁ、まだ仕事終わんねーのー?」
「そんなんで王太子なんて務まると思ってるわけー? あっ、今はもう王太子じゃないんだっけ? ガハハハハ!」
「くっ……!」
今日も鉱山で筋肉しか能のない平民たちからいびられる僕。
クソッ、なんでこんなことに――!
それもこれも、あのブレンダの妄言を信じてしまったため……。
嗚呼、なんて僕はツイてないんだ!
こんな苦行がこれから先何年も続くかと思うと、とても耐えられる気がしない……。
――こんな時、シンシアが側にいてくれたら。
やはり僕には、シンシアしかいなかったんだ。
僕はやっと気付いた。
僕の運命の人は、シンシア一人だったんだ。
よし、次の休みは、王都に帰って久しぶりにシンシアに会おう。
きっとシンシアもまだ僕のことを好きでいてくれるはず。
シンシアから口添えしてもらえれば、僕が王族に返り咲くことも可能かもしれない――!
「ん?」
やっとのことで今日の分の仕事を終え、這うように自室に戻ると、一つの小包が届いていた。
――差出人はシンシアだ!
ああ、やっぱりシンシアも、僕のことが忘れられなかったんだね!
慌てて小包を開けると、そこにはあの忌まわしき映像記録魔水晶が――。
くっ、これにはいい思い出がないが、まあ、せっかくシンシアが愛を込めて僕宛に贈ってくれたものだ。
僕は逸る気持ちを抑え、映像を再生した。
すると――。
『ウェーイ、王太子くん見てるー?』
「――!?」
いかにも軽薄そうな男が、薄着のシンシアと並んでベッドに座っている映像が流れてきた。
シ、シンシア!?!?
『オレはシンシアの旦那の、グレンていいまーっす』
旦那ッ!?!?
旦那と言ったか今こいつッ!?!?
『お久しぶりですセドリック殿下。私は今、このグレンと二人で幸せな夫婦生活を送っています』
あ……、あぁ……、嘘だ……。
噓だと言ってくれシンシア……。
『そういうわけなんでー、シンシアのことはオレが王太子くんの分まで愛してるから、心配しないでねー』
『セドリック殿下も、どうかお元気で。……やっ、ちょっとグレン、いくらなんでもそれは……』
『へへっ、いいじゃん別に。王太子くんにオレたちが愛し合ってるところ、特別に見せてやろーぜ。――なっ?』
『あっ……』
ああ……、やめてくれ……。
お願いだからそれだけはやめてくれ……。
「……うわあああああああああああ!!!!!!!」
こうして僕の脳は破壊された――。
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