第3話 桜と如雨露
親類ではない。年齢が近いわけでもない。
遊佐明弘という人物とは、本来ならばもうとっくに縁が切れていてもおかしくない。それが何の因果か、二週に一度、晩御飯(とかその他いろいろ)を共にする関係になっている。
とはいえさすがに泊まっていくようなことはないから、土曜の朝はいつも通り一人で「いただきます」と手を合わせる。
遊佐さんは酒の缶と共に深夜に家を去った。車なら、遊佐さんの自宅までは……どのくらいだろうか、正直わからん。
というか、隔週で帰りの遅くなる遊佐さんって、同棲しているという彼女から見るとあれか、非常に信頼しにくいものがあるのかもしれない。
事情は説明して承知してもらっているというが、頭の理解に心の納得が追いつくかはわからないもので、きちんと挨拶しておくべきかもなんて遅まきながらに思い至った。それでどうこうなるとも、まったくもって思えないが。
最悪、喧嘩の一因だったりしないだろうな。
午前は特にやるべきこともないからまったり過ごすわけで、昨日の礼も併せて遊佐さんには軽く、探りみたいなメッセージを送っておいた。
適当に買い出しを済ませた頃、早速スマホに着信があったが。
「なんだ、清川か」
思ったのとは違う名前が表示されていた。「はい」と出てみれば『今ヒマか』。休日だし暇と言えば暇だけどね。
『ちょい頼みたい事あんだけど……暇なら会って話そうぜ。上土まで出て来られるか?』
「上土ぉ?」
時計を確認する。11時。
「下海まで来るんなら行ってやらないこともない」
『それは俺がめんどくせぇや。じゃあいいや。頼みたい事ってのは球技大会のアンケートなんだけどよ』
話を聞くに、昨日の委員会で、明けて月曜に各クラスで球技大会の出場種目を決めるように伝達されたらしい。六限目を丸々使って、ついでに簡単な説明も一緒に。
それに対して『先に希望調査できたら早いよね、って御堂がな』とのこと。
アンケート委員なんてそのものまんまな名称の委員会に所属しているせいで巻き込まれかけている。たまに実施される種々のアンケート時に旗振る程度の(学級委員と比較するまでもない)楽な役職だから断りづらい。
「いいけどね。それで、種目は何があんの? あー、あとで文面でくれ、種目と人数……くらいでいいか」
『サンキューな。すぐ送る』
通話を終えて5分程して届いた内容に目を通し、遊佐さんからは、ガキが妙な気を回すことはないんだよ、と思惑を察せられて窘められたり、ゲーム仲間には容赦なく詰られたり、etcetc、スマホの手放せない午前を過ごすことになるのだった。
昼御飯と配信視聴を並行しながら、もう一人のアンケート委員から返ってきた『任せた。勝手に引き受けたのは木村だしわたしは無関係~』に「薄情な奴め」と愚痴を零す。まったく仰る通り、俺が一人で相談もなしに請け負ったことだから、薄情でも何でもない。
それに、たぶんなんだかんだと当日には手を貸してくれるんだろうという気はしている。
『ふなぁあ!? なにこれぇ!? おか! しい! でしょ! んあー、また落ちるぅ~』
日幟レイラがまた同じところで自キャラの操作を誤った。
案の定、突然のアクション要素に四苦八苦している様子を肴に、うどんを喉に通す。
ゲームだって、ままならないことはある。
○
推し活したり勉強したり遊んだり作業したり、自分的充実した土日を過ごして月曜日。
昼はいつも平田と杉谷と食堂でいただくのだが、そのあとに一人、教室には戻らず廊下を歩いている。朝に配って昼休み入ってすぐに回収したアンケートの結果を集計するのに、賑わしい空間は適当じゃないからだ。
テーブルトーク部の部室ならば、まず間違いなく誰に邪魔されることもなく作業ができるはず。
今朝の最終チェックと印刷作業同様、アンケート委員二人で行うわけだが、丁度いい場所はないかということで部室を案内してある。集合予定は昼休みが半分過ぎた頃だが、時間にはまだ余裕があった。
そんな事情で人気のない区画を通り掛け、微かに人の声が聞こえた。気になって窓から顔を出してみる。
四階から見下ろす先、ほぼ後ろ姿だけどあれは「神辺さん」で、植えられた木々と角度の問題で対面しているらしい人(たち?)の方は姿は見えない。
別に、昼休憩にどこで何してたってその人の自由で、俺にはちっとも関係ないことではある。
あるのだけれど。
少しばかり険の乗った声色を、聞いて知らぬふり、ってのも、あとに尾を引く気掛かりになったりするよね。
盗み聞きというほど理解出来るレベルでは会話が聞こえてこないのをいいことに、しばらく盗み見に野次馬根性を発揮させてもらう。
わざわざ足を運ばない限り通らない場所、人目につかない(俺についちゃってるけど)校舎の陰、桜色。
時節を外れて花を咲かせ、一片散らす桜の木の下、なんてなんとなく美しさを感じさせるシチュエーションでありそうな可能性は、定番としては『告白』だろう。
とはいえ、相手の性別も人数すらわからないし、神辺さんの様子は嬉し恥ずかしなんて甘酸っぱさとはむしろ対極って感じだから、いまいち判然としないんだよな。
というか足元からして相手は「女子か」。
他に定番を挙げるなら……『喧嘩』や『いじめ』だけど……。
そういう類の厄介事は出来ればやめて欲しいな、なんて思いながら2分弱くらい、だろうか。
「行こ」
現場に、じゃなく、部室に。
進展が見えないので待ち合わせを優先させてもらうことにした。
○
それで、どうして、こうなったのか。
「なにやってんだよ」
昼休みももうあと残すところ10分少々という頃、雑事を終えた後に件の校舎裏に来てみれば、神辺さんはまだいた。神辺さんだけが、だ。
しかも、折良くだか悪くだか、桜の木の幹に如雨露を投げつけるなんてタイミングにやって来てしまった。
「は?」
振り返って声を上げる神辺さんが、つい今し方、見事なまでの投球フォームを見せてくれたというわけ。
どうして、そんなことになったのか。
思わず声掛けちゃったじゃん。
ポコッ、と軽い音で樹皮に弾かれた如雨露なら、地面に転がっている。
ポップな水色と、ぶつかった時の音からしてプラスチックかなにかなのだろう。見た目に分かる破損はなさそう。
全力投球といった様子からすると、随分と間の抜けた結果ではあるか。
数歩足を進めて如雨露を拾い上げながら「らしくないことしてるな」と言ってみる。今更、何もせず立ち去るのもおかしいが、かといってこの場に適切な話題なんて思い浮かばない。
となれば思ったことを口に出す以外にないというね。
「あーあ、汚れてら」
軽く如雨露表面の土を払い落としながら歩みは止めず、元あったところに置き戻す。上から見た時は、この位置にあったはず。
通り際、桜の木の方もちらっと窺ったがそこはこの軽量且つ柔らかな素材、木肌の方も傷はなさそうだった。
「なんで……こんなとこ来てんの」
それは当然の疑問で、そして困った質問だ。実は見てましたと言ってしまっていいものか。たぶん、よくないのかな。わからん。
「……桜を見に来た」
嘘は嘘ではあるけれど、たまにこの、奇妙な桜の木を見に来る、見る、というのは嘘じゃないから、ギリギリ嘘じゃないってことで。
「こんな時期に咲いてるのって珍しいよな」
できるだけ気さくな感じを装ってみたけれど、神辺さんの切れ長の瞳の目尻が上がるばかり。
ふっ、と軽く息を吐いて覚悟を決める。
「わるい。実はさっき、見てた。ほら上の、廊下通ってる時にたまたまな。あんま……穏やかな雰囲気じゃなかったから気になったんだ。すまなかった」
下げた頭で地面を眺めながら「なんとなく雰囲気良くないなって思っただけで、誰と話してたのかもわからないし、話の中身も全然聞こえなかった。ほんとだ」なんて言い募るほどに言い訳がましいだろうか。
いやでもほんとにほんとなんですよ。沈黙がちょっと怖いね。
「……別に……怒ってるとかじゃないから」
「あ、そうなの?」
「こんなとこで話してて、勝手に聞くななんてのも……勝手な話だし。それに……」
続く言葉は聞こえてこないから、俺の方で会話を進めさせてもらおう。
「そりゃまぁそうだな。よかったよかった、俺はてっきり盗み聞きしてんじゃねぇ、って怒られるかと思った」
はっはっはっ、てな具合だ。なんだ、取り越し苦労か。
「言っとくけど、誤魔化そうとしたことはちょっとだけ怒ってるから」
「すんませんでした……」
なんだ、思ったよりは、普通そうだ。らしくない真似してるからって俺が変に、考えすぎていたのかもな。
「桜を見に来たってのも、全部嘘ってわけじゃないけどな。知ってるか? こいつ、六月中旬まで咲き続けるらしい」
「知ってるよ。五月中旬に咲いて、一か月くらい、六月中旬に散るおかしな子がいるって。美化委員だよ? あたし」
たしかに、美化委員内だと有名な話なのかもな。
周りと同じ品種な(のだと思う)のに、たった一本、他が葉桜になってから花開く妙な桜の木。
俺は部室への道中、窓の外にたまたま見かけて知ったけど、校内の花壇の世話なんかもしている美化委員なら情報として共有されていてもおかしくない。咲く時期だけじゃなく、それこそこの桜の木に関する全部を。
「そうか」
入学当初に校門周りに見かけた木々に比べれば、随分とこじんまりとした咲きっぷりだ。
何か言うべきであるような、俺が口を挟むことではないような……。
「なに? そんな……なに、あんまこっち見ないでよ」
「わるい。……モノに、モノに当たるとあとで後悔する……らしいぞ。なんとなくでも大事にしてるモノなら猶更。当たり前だけど」
無言を嫌って口が動いてしまったから、それとなく一般論のようなものに落とし込む。
「……あたしの勝手でしょ」
うーんでもやっぱ言わなきゃよかったかも。
謝罪と共に逸らしていた視線を、戻していく。桜色から薄い茶色へ。そしてセミロングの髪から密やかに瞼を閉じる表情へ。
「邪魔したな。先に行く、教室戻るよ」
ほんとに。
ただひたすら邪魔者であっただけの俺は、この場を後にすることにした。結局なにしに来たんだって感じだ。
「神辺さんも、ほどほどにな。もう昼休み終わるし」
「わかってる」
去り際に焼いてったお節介も、必要なかったのかもしれない。
なんともままならないものだ。