3
「……知らないのか?」
何を? と心の中で呟く。
彼は少し驚いた表情で私を見つめている。なんだか、自分が無知みたいで恥ずかしい。
「庶民から貴族に上がる人がいるってことは、貴族から庶民に落ちる人もいる」
「え?」
衝撃の事実に、思わず思考が停止した。
そんな闇の深い制度だったとは……。てか、それならなおさら私は庶民のままでいい。
恨まれるなんてごめんだ。
私の表情を読み取ったのか、彼は話を続けた。
「貴族の中でも品位を失っていたり、非道徳的なことを行ったりした者が庶民になる」
「……たちの悪い人の立場を奪うってことですか?」
「そういうことだ」
「復讐されません?」
私の言葉に彼は何も言わなくなった。
まぁ、そりゃそうよね。貴族の世界は綺麗じゃない。むしろ泥沼化したとても汚い世界だ。
相手を蹴落とすためなら免罪になることもあるかもしれない。
「やっぱり嫌だなぁ、貴族になるの」
私がため息をつきながらそう言うと、王子はフッと口角を上げた。
「復讐されるのが怖いか?」
復讐が怖いのではない。
守らなければならないものが増えるのが怖い。守り切れなかった自分を許せなくなる気がする。
そんな風になりたくない。
「私はきっと、……庶民になるために生まれてきたので、貴族には向いていないです」
彼は目を丸くして私をじっと見つめた。
「そんなことをいう奴は珍しい」
きっと、この美形くんは貴族になる為に生まれてきた生粋の貴族なのだろう。
貴族の中でも立場がかなり上なのだと思う。
「私はどこを取っても普通です。髪色も、目の色も、顔も、体型も」
眩しいぐらいのイケメンから目を逸らさずにそう言い放った。
目立たぬよう、私はいたって周りと変わらない容姿にしている。……魔法で。
魔法なんか使ってせこい! って言われるかもしれないが、生きていくためには周りと同化しなければならない時もある。
ホワイトに限りなく近いブロンドの髪は茶髪にしているし、燃えるような赤い瞳はグレーにしている。
この世界で浮きそうな奇抜な容姿を必死に変えている。この世界に馴染むためにはアイデンティティとか言っていられない。
顔も眼鏡をかけて目をぼやかしている。体型は背は高くスレンダーで、胸がある方だったが、服の中に色々布を詰めて少しふくよかなに見せている。
毎日、私は別の誰かに生まれ変わる。これが「デニッシュ・クロワッサン」の姿だ。
人は皆秘密を抱えて生きている。貴族でも庶民でも、隠しごとがない人なんていない。
「こんな平凡な女を貴族にしたって、民衆は盛り上がりませんよ?」
「平凡だからこそ盛り上がるんじゃないか?」
……確かに。
彼の言っていることは一理ある。こんな私が貴族に成り上がれたとなると、余計に庶民の希望は大きくなる。
「どうして名前がデニッシュ・クロワッサンなんだ? 本名か?」
「本名です。両親がパン好きだったんですよ」
「今、両親は?」
「亡くなりました」
私が即答すると、彼は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
この気まずい空気が苦手だ。別に知らなかったのなら仕方がない。