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「親父は馬鹿なのか!?」
朝から稽古場で大きな声が響いた。剣の稽古をしている者たちが俺の方を一斉に振り向く。
俺は稽古で疲れた汗を拭いながら、目を逸らした。ハリーは俺の言葉に「落ち着いてください」となだめる。
落ち着いていられるわけない。
まさかデニッシュ・クロワッサンを公爵家に入れるなんて聞いていない。それもワッグ家だと……?
いくら面白いことが好きだからって…………、それともあいつにワッグ家に入れても耐え抜けるような素質があったっていうのか?
「本当に掴めませんねぇ、あの女性」
ハリーが目を細めてそう言った。
「なんであいつをワッグ家になんか」
「王家が最も信用しているワッグ家に送り込むということは、陛下がそれだけ彼女を見込んだということでしょう」
ワッグ家があるからこそこの国は動いていると言っても過言ではない。ワッグ家の支えがあるおかげで政が上手く進んでいる。
あの家では陰湿な虐めなどはないだろうが、ワッグ家の者になったことによって、周りからの圧力は半端ないだろう。
デニッシュ・クロワッサンがその重圧に耐えられるとは思わない。
ついこの間までは普通の平民だったんだ。いきなり公爵の地位を与えるなんて……。
「あいつ、潰されるぞ」
「……そうですね。街で随分と噂になっているようですし、いきなり命を絶たれた、なんてことがあったら王家へのバッシングは」
「ただでさえロイヤルチェンジは死人が多いのに、なんでわざわざ公爵令嬢にしてしまうんだよ」
ハリーの言葉を被せるように俺はそう言った。
イライラが止まらない。朝から何も考えないようにとかなり体を動かしたはずなのに……。
「珍しいですね、殿下がそこまで苛立っているのは」
「親父のせいだ。……そう言えば、デニッシュ・クロワッサンのことで他に分かったことがあるか?」
「いいえ」
申し訳なさそうにハリーは首を横に振った。
……王家が力を尽くしてもこんなに情報が出てこないなんて。一体あいつは何者なんだ、デニッシュ・クロワッサン。
「アンバーに随時情報を持って来るように言っておきます」
「ああ、頼んだ」
「……それにしても、デニッシュ・クロワッサン、ワッグ家の当主に嫌われそうですね」
「ジョゼフ公爵はなかなか気難しいからな」
彼を扱える、というよりも、ジョゼフ公爵が腹を割って話せるのは親父ぐらいだろう。
それぐらい腹の内を誰にも見せない。
……腹の内を見せないのはデニッシュ・クロワッサンもか。
ジョゼフ公爵は人の「黒さ」に敏感だから、デニッシュがワッグ家にそぐわない人間だと分かれば容赦しないはずだ。
「あいつも可哀想だな」
「……そうですね」
今までと変わらずデニッシュもロイヤルチェンジの犠牲者になるのだろう。




