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【改】メガネ屋さんに恋をした

作者: 蔵橋古都世

 ――メガネ屋さんの店員さんに恋をするって、年齢云々以前に、ほとんどチャンスないよね……。


 自室の窓際にある机の上で頬杖をつきながら、物思いに耽った。


 レースのカーテン越しに、湿気を帯びた生ぬるい風が、私の短い髪を撫でる。


 よほどのお洒落さんでもない限り、メガネはそうそう買い換えるものではない。


 ――もしも彼がカフェや書店の店員さんだったら、マメにあの優しい素敵な笑顔を見に行くこともできたのに。


 ものの数時間で、想いを伝えることなく儚く散った、私の恋物語。


 ――仮に私が今よりずっと若くて可愛く、財力とガッツがあったら、お店に通い詰めることもできたかもしれないし、彼とどうにかなる可能性も少しはあったかも……?


 そんなことを未練たらしく考えてしまうほどには、メガネ屋さんの店員さんのことが、好きになってしまった。


 私は近視と乱視で、外出時はメガネが欠かせない。


 家の中では勘で動き、自室でテレビを視聴する時のみ眼鏡使用。


 以前はコンタクトを使っていたのだけれど、四十歳を過ぎたあたりから、コンタクトを入れていると手元が見えにくくなってきた。


 当時眼科で、コンタクトをしたまま度の低い老眼鏡をかけても問題ないと言われ、安価な物を買って試してはみた。


 しかし電車やバスの中でスマートフォンをちょっと確認するために、いちいちバッグから老眼鏡を取り出してかけるのが億劫に感じられ、コンタクトからメガネにシフト。


 手元を見る時にはメガネをずらせば済むので、見た目より実用性を選ぶほどには、自分はオバさん化したなと思う。


 眩しさにも弱く、陽射しが強い日はサングラスが欲しくなるけれど。


 度付きのサングラスを買うほどではないし、屋内ではメガネに掛け替えねばならず、これまで手を出さなかった。


 一度だけ利用したメガネ店から、誕生月である今月、割引券の入ったダイレクトメールが届き、数日開封しないままでいたのだけれど。


 机の上の片付けをした際、目に留まり、同封のフライヤーに目を通すと、調光レンズなるモノが紹介されていた。


 紫外線に反応してレンズが色づき、屋外ではサングラスほどではないけれど紫外線と眩しさをカットし、屋内ではほぼ無色になるらしい。


 一本で二役、まさに私のニーズに適ったメガネだ。


 よく利用する、大手の安売りチェーン店でも調光レンズの扱いがないか調べてみると、前述のメガネ店より色の種類が豊富で、六色もあった。


 スマートフォンの画面上での比較にはなるけれど、中でもキャメルブラウンが、ややオレンジがかった柔らかな色味で気に入った。


 そのチェーン店では、使わなくなったフレームを持ち込んでもレンズ交換してくれるので、最初はそうしようかと思った。


 新品で作ると三十分ほどで仕上がるのだけれど、フレーム持ち込みの場合はどうなるのかわからず、しかも初の度付き調光レンズ。


 思い切って、最寄りの店舗に電話で問い合わせてみることに。


 応対してくれたのは男性の店員さんで、とても親切だった。


 ・当店購入のフレームであれば、ほぼ交換可能

 ・度数にもよるが、グレーとブラウンの調光レンズであれば三十分程度でお渡し可能

 ・キャメルブラウンは納期が五日〜七日程度かかる

 ・現在セール中で、物によっては新品購入のほうがフレーム持ち込みより安価に購入できる


 ご来店予定はと訊かれ、明日にでも伺うつもりですと告げ、お礼を述べ終話。


 翌日は雨降りで、まとわりつくような湿気を帯びた空気の中、店舗へ足を運んだ。


 昨夜の電話で店員さんが教えてくれたセール品をチェックしたものの、いちばん安価なものは二種類のみで、両方とも私の好みのデザインではなかった。


 ――やはり持ってきたフレームに調光レンズを入れてもらおうかな……。


 そう思案していると、背が高く、メガネの似合う柔和な顔立ちの男性店員さんが近づいて来て、


「何かご希望ございますか?よろしければご案内しますので、必要でしたらお声掛けください」


 そのように声を掛けられた。


 平日の日中だったこともあり、店内は客もまばらで、手が空いていたのだと思う。


 私もこれ幸いと、度付き調光レンズのこと、フレーム持ち込みか新規で買うか迷っていることを相談してみた。


「ひょっとして、昨夜お電話いただきましたか?」


「ハイ、しましたが……?」


「あの時、僕がご案内をさせていただいたんです」


 店員さんはにっこり微笑みながら、


「お色はキャメルブラウンをご希望……でしたよね?」


 よく憶えてくれてたなと、嬉しくなった。


「昨夜はご親切にありがとうございました。さっきセール品、チェックしたんですけど……」


 そのように語尾を濁らせると、店員さんは私好みのフレームがなかったことを察した様子で、


「そうなんですよね、今はこの二種類しか在庫がなくて」


 少し申し訳なさそうな顔をしながら、その二種類のフレームを手にして、私の顔に視線を向け、


「どちらも、お客様の雰囲気とは少し違うかなと、僕も思います」


「ですよね?やっぱり使わなくなったこのフレームのレンズを、調光レンズに換えてもらおうかしら?」


 そう言いながらバッグから持参したメガネケースを取り出し、蓋を開けて見てもらおうとしたのだけれど。


 店員さんが距離を縮めながら、声のトーンを下げて、


「実は明日からセール品が増えるんですよ。フレームの種類がもっと増えて選択肢が広がりますし、可愛いデザインのものも出す予定なんです」


 そう教えてくれた。


「ただ週末にはほとんどの在庫が出てしまうので、もし可能であれば明日、もう一度ご来店されてはいかがでしょう?」


 そのように提案してくれたけれど、今日の明日でもう一度は来られない。


「雨の中せっかく来たので、できたらこの場で決めたいです」


 勇気を振り絞ってそのように告げると、嫌な顔ひとつせず、承知しましたと頷いてくれたので、一安心。


 店員さんが個人的に推しているフレームと、店舗が推している商品、他にも私に似合いそうなものを、いくつか提案してくれた。


「今かけてらっしゃるメガネ、丸縁ですが、なかなかかけこなすのが難しい形なんです」


 店員さんは柔らかな口調で、


「とてもお似合いですので、他の形もお勧めし甲斐があります。お好みのデザインを選んでいきましょう」


 そのように言われて、セールストークなのだとは思いつつも、ついつい浮かれてしまった。


 どれにしようかと目移りしている間に、店員さんが調光レンズのサンプルも出してきてくれて、ブラウンとキャメルブラウンの比較もできた。


「ブラウンであれば三十分ほどでお渡しできますが、妥協はしないほうがいいと思います。短期間に何本も購入するものではありませんので……」


 そのように勧められ、初志貫徹でキャメルブラウンに決め、レンズの色味に合うフレームを選び、新規で作ることに。


 当初の予算より割高にはなってしまうけれど、店員さんがとても熱心で親切だったこと、さらに言うと、この笑顔が素敵な彼に貢献したいと思ったのだ。


 彼が個人的に推しているというフレームのうち、四色の中から、レンズの色に馴染む色のフレームに決め、残るは度数。


「お使いのメガネの度数に合わせてお作りすることも可能ですが、そちらはいつ頃お作りに?」


 と訊かれたので、少し恥ずかしくなったけれど、


「実は四月に作ったばかりなんです。一目惚れで」


 すると彼、いつもありがとうございますと言いながら、柔らかで優しい笑顔を見せてくれた。


 営業スマイルだとはわかっていたけれど、私は店員さんに恋をした。


 もっとこの笑顔を見ていたい……そう思った。


 かけていたメガネを手渡すと、度数を確認したのち、


「ではこちらの度数でお作りしますね。早速ですが、新しいフレームのバランスを調整させてください」


 椅子を勧められ、腰をかけると、彼が私の正面に立ち、ぐっと顔を近づけてきた。


 鼻パッドと耳の左右のバランスを見てもらうためとはいえ、至近距離で彼を感じられて、年甲斐もなくドキドキした。


 そのせいなのか、更年期によるホットフラッシュなのか、急にのぼせがきて大量に汗が噴き出てきた。


 ハンカチで汗を拭っていると、今日は蒸しますよね、俺もパーカー着て来たんですけど湿っぽくなりました、と。


 油断したのか『僕』が『俺』になっていることに気付かない彼、ますますときめいてしまった。


 調整後、上下に頭を動かしてかけ心地を確認し、


「これで大丈夫です」


 と伝えて手渡すと、


「ではお会計の準備ができましたらお呼びしますので、お掛けになってお待ちください」


 そのように言われ、ソファーを勧められた。


 ――ああ、芸能人以外の異性にときめくなんて何年振りだろう……?いくつくらいなのかな?やっぱり彼女はいるんだろか?


 呼ばれるまでの間、そんなことを考えつつ、作業中の彼の姿を目で追った。


 会計を済ませ、納期は五日後との説明を受け、優しい微笑みを浮かべた彼から引換票を手渡された。


 彼の指先が微かに触れて、まるで少女に戻ったかのように、胸の鼓動が高鳴った。


 ああ、もう完全に恋に落ちてしまった……などと思いつつ、ではよろしくお願いしますと告げ、お店を後にしたのだった。


 その日から今日まで、彼のことを考えてはため息をつき、恋煩いなのか食欲も若干、落ちてしまった。


 仕上がったメガネの受け取りを明日に控え、またため息をついた。


 私が行く時間帯に勤務中であってほしいし、またあの素敵な笑顔が見られたら、それだけでもいいなと思う。


 ――買いに行ったのは午後二時頃で、その前の晩に電話に出たのよね?ということは、彼のシフトは遅番がメインということかな……?


 明日、開店と同時に受け取りに行こうかと思っていたのだけれど、どうしても彼に会いたくて、またあの笑顔が見たくて。


 彼のシフトは遅番の可能性が高いと推察し、前回と同じ二時頃、行くことに決めた。


 興奮してしまい、その日はなかなか寝付けなかった。


 当日は念入りにメイクをし、キャメル色のロングワンピースを着て、ちょっとしたお出掛け用の指輪とネックレス、腕時計をして、お気に入りのバッグを持って家を出た。


 ドキドキしながら、店舗の入っている商業施設の二階までエスカレーターで上がり、他所のアパレル店に寄って、姿見で全身を確認。


 よし!と心の中で気合を入れて、メガネ店に向かうと、遠目からでも彼の姿が確認できた。


 ――いた!やっぱり遅番なんだな。


 店内に足を踏み入れ、真っ直ぐに彼のところに行ったものの、何と声を掛けていいやらわからず。


 黙って引換票をバッグから出して手渡すと、


「あ!先日はどうもありがとうございました。僕のこと覚えてますか?先日、担当させて頂いた、ニタガイと申します」


 ――ニタガイさん!なんとお名前が判明!


 内心ホクホクしつつ、


「ハイ、先日はご親切にありがとうございました。いろいろお世話になってしまって……とても助かりました」


 そのようにお礼を述べると、ニタガイさんは、あの包み込むような優しい微笑みを浮かべ、


「こちらこそ、楽しかったです。では少しお待ちください」


 そう言ってガラスの向こうの棚から、仕上がった調光レンズ入りのメガネを出してきてくれた。


「お待たせしました。こちらですね。かけていただいて、遠くを見ながら店内をゆっくり歩いて、違和感などないかお確かめください」


 言われた通りにしてみたけれど、特に違和感もなく、


「大丈夫です。ありがとうございます」


「ケースは黒と赤の二色からお選びいただけますが、いかがなさいますか?」


 ――ケースを決めたら、もうきっと、会うことも会話する機会すらない。


 そう思い、咄嗟に口から出た言葉が


「ニタガイさんは、黒と赤、どっちが好きですか?」


 一瞬、面食らったような顔をしたけれど、ニタガイさんはニコッと笑って、


「どちらも好きですね。メガネケースでしたら、黒のほうが飽きは来ないと思います。あくまでも僕の感覚ですが」


「じゃあ、黒にします!それから……もう一つ、いいですか?」


 勇気を振り絞って、訊きたいことを訊いてみることにした。


「何でしょう?何かご不明な点があれば……」


「ニタガイさんって、漢字でどのように書くのですか?」


 ニタガイさんは、とても愉快そうな顔をして、メモ帳とボールペンを取り出し、サラサラっと書いて手渡してくれた。


『似外 彰』と記されており、


「ニタガイアキラ、と読みます」


 ニタガイさんは、照れたような顔をして、そのように教えてくれた。


「ニタガイ、アキラさん……ありがとうございます!また寄らせていただきますね!」


 そう言ってメモをバッグに入れ、その場から立ち去ろうとした私の背後から、


「待ってください!」


 ドキッとしながら振り返ると、


「お品物のお渡しがまだでした!」


 一瞬でも何かを期待した自分が恥ずかしくなった。


「あら、お喋りに夢中になっちゃいました!ごめんなさいね」


 紙の手提げ袋に入れられたメガネを今度こそ受け取り、


「またきますね!」


 そう言ってお店を後にしたのだった。


 ――またきますね、とは言ったものの……そうそう通えないよね。メガネを何本も買うわけに行かないし、用もないのに通い詰めたら、営業妨害どころかストーカー扱いされてしまう。


 そんなことを考えながら、トボトボと俯いて歩いた。


 帰宅後、メガネより先にニタガイさんからもらったメモを取り出して、眺めていたのだけれど。


 メモの裏側に、十一桁の番号が記されていることにようやく気づいた私。


 終わったと思っていた私の恋物語には、まだまだ続きがありそうだ。

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