0(1).バニーガールと太った男
「クァーッハッハッハッハッ! 愉快じゃのぅ!」
燃えている。
森が、城が、燃えている。
崩れ落ちていく石柱。空き缶のように蹴とばされるシャンデリア。
ぽっかりと空いた天井からは、無駄に綺麗な空が見える。
そんな大広間で高らかに声を上げ笑う――――スーパーモデルめいた体形の、妖魔が一人。いや、一匹。
「クるる……、クるる……、」
喉を鳴らしながら獲物を追い詰めていく彼女の姿は、燃え滾る炎という戦場に場違いな、バニーガールである。
黒く長い耳飾り。主張の小さいリボン付きチョーカーの下には、巨大な双丘が実っており、それをぎちりと締め付け支える黒のレオタード。
エグいくらいのくびれの下部には、ちょこんと丸尻尾の飾り。形のよい尻を経由して、ストッキングで包まれた太腿とふくらはぎは煽情的なまでに地面へと伸びている。
「そこじゃの」
カツ、カツ、と、赤いハイヒールが迫る。
敷かれた絨毯はまるでブロードウェイだ。カフスのついた手の先には、残念ながら給仕のための酒類は持たれておらず、代わりに炎を放出しているのだが。
「クァハ」
大きな口は歪み、悦の吐息を漏らす。
熱があり、艶があり――――殺気があった。
女は吐息と共に黒い髪をなびかせ、静かに静かに、圧をかけ前進していく。
「ひ、ひぃぃッ! た、助けてくれぇ! 頼む、この通りだぁ……!」
長身の影は止まらない。
命乞いをすればするほど、しなやかな足は前進していく。
「駄目じゃ。殺す」
美しくも殺気を帯びた瞳は、ぎょろりと相手を見据えていた。
白い肩を惜しげもなくさらし、揺らし、黒炎の中――――その影は対象へと軽やかに迫っていく。
この城の主人。アッシャンデリ・ドラノフ・スロロビッチ……なんだったか忘れたがナントカ三世は、……四世だったかともかくその人は、もう逃げ場のない壁際へと圧されていた。
ややぽっちゃり気味の体型に、三十代後半から四十代くらいの老け方。威厳がありそうで無さそうなところも含めて、どうも俺にそっくりですね……。
「さて、」
「ひぃぃッ!」
いかん。
俺っぽい人が可哀そうな目に遭おうとしているのに対し、どこか親近感を覚えている場合では無い。
勇気を出せ。前に出ろ。
今この場でアイツを止められるのは――――俺しか居ないのだから。
「やめろッ!」
「……ほう?」
震える足で何とか立ち上がり、俺は妖魔に声を投げる。
首だけをひねり、こちらへ視線を移す。邪悪に満ちた黒瞳が、俺を見て離さない。
尻のあたりまで伸びた黒い髪が、纏った殺気でざわりと揺れたような気がした。が、それでも俺は止めなくてはならない。
「その人を……、殺すんじゃない……!」
「クハ。何故じゃ?」
「いや、何故って……」
口ごもる俺の言葉を無視して、妖魔の魔手が主人へと伸びる。
彼女の手にかかれば最後。その手から放たれる黒炎で、その身体は骨も残らないほどに消し飛ばされてしまうだろう。
「いやそういう命令だっただろベル!? その人は生け捕りなの! 悪徳領主で散々町の人に迷惑かけたから、生け捕りにしたまま国側に引き渡すって言われたじゃん! だから殺しちゃだめ!」
「えー……、つまらんのう……」
あ、言い忘れてた。
このバニー、味方側です。敵なのは目前の、アッシャンデリ・ドラノフなんとかさんの方ね。
「俺のコントロールが効かなくなった途端、本気モードに入りやがって! そもそもこれくらいの城、お前の力の百分の一もあれば簡単に陥落できるレベルだろ!?」
「がーん! そ、そうなの……? わ、わしの精鋭たち……」
あ、すまんアッシャンなんとかさん。
けど、ショックを受けてらっしゃるところ非常に申し訳ないのだが、戦ってきた規模が違うのです。普通レベルの精鋭くらいだと、コイツを十秒留めることすら難しいだろう。
「なんじゃなんじゃ、やかましいのう。元はと言えば、キサマが変な依頼を請け負ったから悪いんじゃろうが」
「し、仕方ないだろう!? だって、ここまで歯ごたえがないなんて思わなかったんだからよ!」
「は、歯ごたえがない……」
あぁうん。いちいちショックを受けないで欲しいぜアッシャ……悪徳領主の人。
もうここまで来たらほぼ勝利しているようなものなのだ。せめて、俺がベルを説得し終わるまでは黙っていて欲しい。
「ほら、制御戻すぞ」
「ちぇー……。
まぁええかの。どうせまたそのうち外れるじゃろうし」
「う、うるさい!」
俺が手をかざすと、ベルの首元にある蝶ネクタイリボンがわずかに光り、再び収まる。
よし……。もう一度俺の制御下に戻ったぞ。これで下手に暴れまわることもないだろう。
「とにかく、この男は生け捕りにして町の人たちに渡すんだ。じゃないと、ここいらの地域は平和にならないぞ」
「心配するな。殺しはせんよ」
「殺す手前まではやるかもしれないだろうが……」
俺がげんなりしていると、ベルはやや遠い目をしてつぶやいた。
「平和……、平和、のう……。クァハハ、笑えるのう」
「何だよ、不服か?」
「いやいや……。くるる……。そうじゃの。ニンゲンの平和のために、頑張らんといかんのう」
ごきりと首を鳴らし、館の主人を生け捕りにする算段を立てる俺とベル。
しかして。思わぬところに落とし穴はあるもので。
「――――余裕をブッこいてられるのも今のうちだぞォォっ! は、『発動』だぁぁぁッ!!」
「は?」
一瞬彼から目を離した隙だった。
ほぼ崩落し終えていた城が、完全崩壊を始めると共に――――地面からとてつもない魔力エネルギーが放出されてきた。
「ッ!?」
「チッ! コースケッ!」
「おわぁッ!?」
城が光る。まるで爆弾が一気に起爆したかのような熱量だった。
巻き込まれれば、肉体だけはただのヒトである俺は、粉みじんになっていただろう。
「ベ、ベル! すまん!」
「よいよい。無事のようじゃの」
城の外部の上空に、俺はお姫様抱っこで抱えられていた。
長く白い腕に、俺の背中と膝裏を抱えて、ベルはふよふよと浮遊する。
「落ち着かんか? なら、乳でも吸うておけ」
「す、吸わねぇよっ! そもそもお前の身体、今めちゃくちゃ熱いんだよ! 顔で触れたら焼け死ぬわ!」
とんだおっパブだよ。
「クァッハハハ! そいつは残念じゃったのうコースケ。なら、自力でどうにか落ち着くがよいぞ」
「端からそのつもりだよ!」
上空にいるのと、巨大な乳が近くにあるのと、そしてそれが顔の近くで超高温の熱を持っているのとで、心臓は色んな意味で落ち着かない。
そんな風に軽口を叩きつつも、ベルは次第に降下していき、俺を石畳に降ろした。
一息ついて城の方を見やる。
うぉ……、なんだ、アレ……?
「でっかい……、何だ?」
俺が今足をつけている石畳。それと同じような色や材質で城の外壁は出来ていたワケだけど……、それらがどうやら、一つの意思を持ち組み上がっていっている。
サイズは……、先ほど俺たちが訪れていた、『城』と同じくらいの大きさだ。
どんどんと寄り集まって行き、青空に届くのではないかと錯覚するほどの、巨大な人型に姿を変えた。
「つまり……、城のパーツを使った超巨大ゴーレムってワケか!? めちゃくちゃだな!?」
確かにこの力は危険すぎる。
なるほど……。コレを有していて悪事を働いていたのだ。『女神』に目を付けられるのも頷けるぜ……。
使ったら自身の城が崩壊してしまうから、本当に追い詰められた時の奥の手だったんだな。あそこまでベルが城を破壊してしまえば、もう関係ないということだったか。
「あぁ……、だから、出来るだけ静かに生け捕りにしろってことだったのか……」
なるほどねー……などと、思っている場合では無い。
「しまった、ベル……あ、遅かったか」
ヤバイと思い、彼女の方を見やる。
彼女は今まで以上の臨戦態勢に入っていた。
猛禽類のような爬虫類のような……、いや、竜種の瞳が、ぎょろりと光っている。
「あぁ……」
スイッチは、完全に入ってしまった。
戦闘狂の、チャンネルだ。
こうなれば最後。気のすむまで暴れ、対象を破壊する以外に鎮める方法はない。
「クァハハハッ! のうコースケ、イッてもよかろう? なぁ、なぁ、なァッ!」
「ッ……!」
目を爛々と輝かせ、……ちょっとどうかと思うくらいに輝かせて、ベルは発情した犬のように涎を垂らしてそわそわしていた。
「……なるほど。ちょっとだけ、俺の制御も戻ってきてるくさいな」
「ハッ、ハッ、こ、コースケ……ッ! はや、くぅ……! はやく……ッ!」
「誤解を招く息遣いはよせ!」
割愛するけれど。
基本的に彼女は、俺からのゴーサインがあったときしか戦うことが出来ない契約なのだ。
時折。先ほどのように、俺の疲労によって制御が外れるときもあるんだが、それも一瞬時間の出来事で。
「ハッ、ハッ、ハッ……、」
こうして、首輪に繋がれた状態になっている。
猛犬――――どころではないんだけどな。
「よし、分かった……」
「はやっ、はや、くぅ……、こーしゅ、け……、」
巨大ゴーレムを見ながらも、本能なのか、彼女は四つん這いになって首を上下に振っていた。カチューシャについた黒い耳飾りが揺れ、ばさばさと綺麗な黒髪が舞っていた。
「……もう、我慢の限界みたいだな」
後で恨まれても仕方ない。それに、あそこまで危険度が増した以上、生け捕りだなんだと言っていられないだろう。
「よし――――それじゃあ、ゴーだベル!」
俺は。
枷を外す言葉と共に、彼女の身体を縛る見えない魔力を解除する。
「勇者としての責務を、実行してこいッ!」
「クァッハァァァァァッッ! こーしゅけ、だいしゅきぃぃぃぃッッ!!」
瞬間。
ぐっと、
身体を縮めたかと思えば。
勢いの付いたバネのように。もしくは射出された弾丸のように。
目にもとまらぬ速さで、石畳を蹴り壊し、彼女は檻から放たれた。
中空を舞う。
空を滑る。
ぴたりと空で止まったと思うと、一閃。巨大な右肩部分を目掛けて右拳を振るった。
炸裂する。
崩壊する。
瓦解していく。
放たれた一閃はゴーレムの右腕を完全に吹き飛ばし、粉みじんにしていた。
「うぉ、すっげ~……、って、やべっ!」
呆けていた脳を慌てて戻し、走り出す。
俺自身の体を出来るだけベルの近くに置いておかなければ、アイツの力はたちまち無くなってしまうのだ。
アイツと出会って一週間ほどだが、未だに慣れないことである。
「ベ、ベル! あんまりそれ以上遠くに行くなぁ!」
超巨大な城ゴーレムに対し、空を駆け巡りながら戦うアイツを、目で追いつつ、駆け寄っていく。
俺が完全に駆け付けたころには、その戦いは、もうほとんど終わりを迎えていた。
「クァァラララッ! スッキリした……わい!」
喉を鳴らして笑いながら、ガゴンっと城ゴーレムの残骸を蹴っ飛ばしながら、一匹のバニーは上機嫌に瓦礫の上を闊歩していた。
俺はその後をついて行きながら、ふぅとため息を落とす。
「はぁ、まったく……。えらい目に遭った……」
「クァハハハ! まぁそういうなコースケ。良いシェイプアップになったんじゃないか?」
「そうだな。心労的な意味で、やせ細るかもなァ!」
ちなみに同じような体形だった館の主人がやせ細っているのは、魔力と共に生命力を絞り出したからという理由らしい。
おかしいなぁ……。俺だって結構なレベルで、胃とか痛めてるんだけども。一向に痩せる気配が無いのは、こう、年齢的なところなんですかね……。
「ともかく……、ギリギリ生け捕りにできて良かったよ。城に駆け付けた兵隊の人たち、めっちゃびっくりしてたけど」
「そりゃあんなにやせ細っとればの」
「この瓦礫のあり様にだよ! 普通思わねぇよなぁ! 人間二人で城を崩落させられるとかよぉ!」
「思慮浅いことじゃのうニンゲンは」
「いや、ニンゲン側に非は無いと思うの」
企画外すぎるんだよ。お前の力も。そして――――俺の力も。ある意味。
「クるるる……。しかしのうコースケよ。今回も何だかんだ、無事に終わったのう?」
「ん? ……えーと、」
まぁ確かに依頼には、『城を破壊してはならない』とは記されてはいなかった。……いなかったけども。
「……結果だけ見ればそうかもなぁ」
「そうじゃろうそうじゃろう? ワシはよくやったじゃろ!?」
「うん……、まぁ、その……、結果だけ見れば、成功かな……」
歯切れ悪くも俺がそう言うと、くるると再び喉を鳴らし、俺の顔へと頬ずりしてくるベル。
「どわっ!? ちょ、ベル……!」
「ふふー♪ 褒めよ、褒めよ♪ ちゃんと命令に従っとるじゃろ? ワシ」
「えぇ……、」
途中思いっきり命令無視したじゃん。とは、面倒なので言わないでおくけども。
しかし……、負に落ちないな……。
けど。
「くるるる、くるるる♪ さぁさぁ、よーやったと言えコースケ。終いには噛みつくぞ♪」
「怖いよ! あと、普通に喉慣らしてるけど、お前威嚇行為のときにもソレやってるからね!? 両方聞いてる俺としては、ただただ恐怖の音だからねソレ!?」
「えぇじゃろ。いいから早うせい。まだワシの手は熱くなるぞ?」
「だから怖いって!」
あと近いんだ、ベル。毎度のことだけども。
超絶美人で長身スレンダー爆乳という、暴力的なまでに性的な存在が、バニースーツなんていう鬼に金棒なものまで装備してやがるのだ。
ただでさえ目のやり場に困るのに、それがゼロ距離なのは勘弁してもらいたい。
「……ッ、」
ふぅと一息をついて、俺は意を決して……、彼女の頭を撫でる。
さらりとした絹糸のような黒髪が心地いい。どこまでもすべすべとした流線は、いつまでも触っていたくなる程に滑らかだ。
俺よりも高い身長を持っているため、犬の『おすわり』のような姿勢で、黙って撫でられている。
「今日も……、よくやったな、ベルアイン」
「クァハハハ。流石じゃろ? ワシ。流石は史上最強の生物じゃての」
そんな風にして。
今日も俺たちの一日は、膜を閉じる。
さあて、明日はどんなトラブルが待っているのか。
まぁどうせ、今日と大差ないんだろ?
「行くぞ、ベル。願いを叶えるまで、俺たちは『勇者』だ!」
「おうとも。片っ端から、この勇者ベルアインが、殺戮し尽くしてやるわい」
これは。
とある二人組勇者が織りなす、
魔を討伐するまでの冒険譚。
魔、あるところに、勇者あり。
すなわち。
戦禍の中に、人は、バニーガールの姿を見たという――――