プロローグ.出会い・B(後編)
――――そんなことが、あって。
次第に、意識は回復していった。
取り戻していく感覚の中、二人の男女の会話が聞こえる。
「お前……、ホントさぁ。無闇に人を襲うの、マジでやめろよ……」
「襲うとらんわい。ただちょっと性的なことをしようとしただけじゃ」
「それを襲うっていうんだよ……!」
「やかましいのう。それにホレ、これを着とる限り、下手に手出しは出来んじゃろ? 脱げないんじゃし」
「それは……、そうかも、だが……」
「まぁこっちが脱がずともあっちを脱がせばええんじゃがの。クァハハハ」
「やめろ! やめてくださいお願いします!」
……愉快な会話、というわけではないようだ。
一方は三十半ばから四十代くらいの男性。もう一方は、やたら神々しく美しい、私を襲った女性だ。
どうやら私を木陰に寝かせ、二人は何やら話をしているらしい。
内容的には男が女を叱っているようだが……、どうやら、上手く通じていない様子で。
パワーバランスがおかしい二人組と見た。
「ん……、んん……」
どうにか起き上がり、軽く頭を振って脳を覚醒させる。
それを見て、二人はこちらへと近づいてきた。
「だ、大丈夫……ですか? すみません、うちのその…………、バニーが」
「あぁ、えぇ……。…………どうしてバニー?」
「起きてすぐ聞くことがそこかぇ。面白いのう」
いやだって、気になるでしょバニー。
改めて見ても、自然あふれるこの場所にそぐわなさすぎる。
もっとこう……、地下街とか、賭場とか、そういった場所であれば問題ないのだろうけれど。
「しかも貴女……、色々と放り出しすぎでは?」
「そうかえ?」
「それはもう……」
乳も尻も、脇も背中も首筋も、タイツが薄いことを加味したら鼠径部と足も。
女性としての大事な部分を放り出し過ぎである。
「もっとその、一般的な格好をするべきでは? 人として」
「人として?」
「えぇ」
私の言葉の何が面白かったのか。彼女は「クァハ」と笑い口を開く。
「そうは言うてものう。ヒトとしてまともな格好をしたことなんぞないもんでのう」
「え……?」
「ちょ、おい、ベル!」
彼女の言葉に対し、傍らで見ていた男性が、自らの口に一本指を立てて「しーっ!」と息を吐いていた。
何かの……、秘密があるのか?
「クァハハハ! それにのう娘。このかっこうは、こやつの趣味じゃ。ワシの趣味と言うわけではない」
「………………貴様」
「違う! 誤解だ! 違わないんだけど誤解です!?」
あたふたと更なる狼狽を見せる男性に対して、ベルと呼ばれた女性はバニーガール姿のまましなを作り、本気のような冗談のような言葉を発する。
「まぁワシのことじゃ。何でも似合うてしまうからのう。喜んでくれるなら、何でもえぇわい」
艶姿と言って差し支えないほどのセクシーポーズだったけれど。
その顔つきはどこか、臨戦態勢を思わせるほうの意味で挑発的だった。
細くも力強い、爬虫類のような――――もっと別の何かのような瞳が、彼を見つめている。
「と――――とにかくだ、えっと……、女の人」
「アリスだ」
「えっと……じゃあ、アリスさん。うちの変なのがご迷惑をおかけしました! 何かお詫びをしろっていうならします! ……持ち合わせ少ないですけど」
うろたえながらも頭を下げる男に対し、バニーガールは「なんじゃ」と口を挟む。
「あの小女神にたんまり貰っとるじゃろうが。中くらいの村なら即買い出来るくらいの額があったんじゃないかえ?」
「お前の迷惑料を考えたら、一瞬で消し飛ぶ可能性があるんだよ! これから先もナニやらかすか分からないだろうが!」
中くらいの村を即金で買える額というのは、王都に仕える騎士……の最高峰に位置する私の年俸三十年分くらいだ。
中央でトップに君臨する騎士団長ですらも、そんな額は手にしたことはないのではなかろうか。
つまり、二十億か三十億……?
……嘘を言っているわけではなさそうなのが、また。
私の視線に気づいたのか、男は「はっ!?」と口を紡ぎ、おそるおそるこちらを向きなおす。
「す、すんません……」
「貴様ら……」
さて。
聞きたいことはある。
所持金額のこともそうだが、それ以上に。
中央の王都にも努めたことがあり、この近隣区域でも三指に入る騎士の私を、いとも簡単に組み伏せた謎の女。
――――そして。
それに対して、どうやら同等の立場でものを言い合える関係にある、どう見ても三十億もの大金を所持できる器には見えない男。
こんな奇妙奇天烈な二人を前に。
何も情報を聞かずにいられるほど、私の騎士道は脆くはない。
「貴様ら……、いったい何者なのだ?」
正直に言うと。
つらつらと考えはしたが、疑問を解消するというよりは、訝し気に感じたむかっ腹を晴らす感情の方が上回っていた。
そんな私の気持ちを、勿論受け止めず。
男は「えー」と、情けない眉間の間を軽くかきながら、「何と言ったら良いか」とつぶやいたところ。脇から黒髪の女の方が割り込み、大きな口を楽しそうに開いた。
「ワシらはな。『勇者』じゃ」
瞬間。
私の頭は、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
勇者という単語を日常的に聞かなくなってから、実に三百年ほど経っている。そんなことを歴史の授業で習ったことが、頭をよぎった。
その昔。
この世界は魔王や、それに連なる邪悪な存在に支配されていて。
そのたびに、世界を救う『勇者』もしくは『英雄』という者が現れ、世を平和に導いていたのだという。
それは大国をまとめる王のようであり。
それは一騎当千の豪傑であり。
それは叡智を秘めた才人であり。
それは。それは。それは。
伝説は数あれど、そのどれもが精良に満ちた逸話の持ち主であるとされている。
そんな『勇者』が……、この男、だと……?
憤りよりも呆れが先に来る。
勇者という伝説の存在を騙れるほどに卓越したチカラを、この男からは見いだせない。
「って、ん……? ワシら?」
「そうじゃ。ワシとこやつ。二人揃って勇者じゃ」
「おいベル……! 言うな、言うな……!」
男が止めに入ると、ベルと呼ばれた女性は「あぁそうじゃったか」と首をひねった。
……言うのを止める、ときたか。
なんだ。それではまるで、本当に勇者であるみたいじゃないか。
しかも、それは秘匿されるべきことである、と。
止めに入るという行動が、ベルが発する信憑性を後押ししてしまっている。
「…………勇者」
「えっと……、ですね」
「あぁもう、頭が痛くなってきた」
情報としてはとても単純なことなのに、全然頭が追い付いて来ない。
「……貴様ら、私について来い。ここだとなんだ。
軍の部屋へ案内する。そこで詳しく話を聞かせてもらうぞ」
「わかり……ました」
まったく。
まったく、まったく、まったく。何なのだ。
今日はとても好調な日で。何が起こってもいつも以上にスムーズにコトを熟せる日で。仕事が終わったら早めに帰ってゆっくりしようと思っていて。
空は晴れていて、世はことも無くて。心穏やかに過ごせる――――はずだったのに。
「……ん? 何だか、下腹部に違和感がある?」
立ち上がって歩き出そうとした矢先。腹部よりも少し下のほうに、微かに熱を帯びた箇所があることを確認した。
先ほどベルと組み合ったときに、どこか痛めたのだろうか。
まぁ傷を確認するほどでもないかと思った矢先、私の言葉にベルが合わせて言う。
「おぉそうじゃ。先ほどのタイミングで、ちょっくらイタズラしたのを忘れておったわい」
「イ、イタズラ……?」
「うむ。ワシの眷属にしてやっても良いかも……と思ってのう。ちょっくら卑猥になる紋章をのう」
「はぁ!?」
慌てて、両名に見えないように全面部分の鎧だけを外し、インナーの下を覗き込んでみる……と、確かにそこには、煌々と輝く、赤い紋章が浮かび上がっていた。
スペードのような……、あぁいや、逆からだから……、ハートマークみたいな、それでいてところどころから棘みたいなのが出ているカンジの……。
「なんじゃおぬし、ツルツル属であったか」
「ちょぉッ!? みっ、見るなッ!?」
「よいではないか。おそろいじゃのう」
「おそ……っ、べ、別に嬉しいことではない!」
ベルから覗き込まれていたので、慌ててインナーと鎧を着戻した。
こいつの生毛事情など別に知りたくもない。
「どうしてこんなことをする……!」
「上玉じゃったから逃げられとう無かったんじゃ。一定時間経過すると、紋章は効果を発揮して、ワシの唾液を求めてくるようになる」
「恐ろしいものを勝手に付与するな!?」
というか、逃げないで欲しいのはこちらの方である。
「何が勇者だ! どちらかと言うと魔王のような振る舞いをしおって!」
「なんじゃ。説明せずとも分かっておるではないか」
「は……?」
あっけらかんと言うベルに、私はぽかんとしてしまい、後ろの男性も「あちゃー」と顔を覆い天を仰いでいた。
「現勇者。以前は、魔王と同じ扱いをされておったわい。
ニンゲンにとっての邪悪な存在。ベルアインじゃ。よろしくな、ニンゲンの女」
脳が処理を仕切れなくなったので。
立ったんだけど。私はぺたりと、再びその場に座り込んだ。
そうして。
時間は巻き戻る。
私、アリス・アルシアンと。
奇妙な二人組。
三人が出会うよりももっと前、奇妙な二人組が辿ってきた話を、私は聞くこととなる。
世界は平和に満ちていて。
ほど良く危険で溢れていて。
世界は滅亡することはなく。
ほど良く人々は営みを行っていて。
その裏で。
実はとっくに崩れていた世界のバランスを、秘密裏に修正していた者が居たことを。
――――聞かされる。知らされる。
これはそんな、影で世直しを行ってきた二人組の。
奇妙奇天烈な。
魔を討つ怪奇譚。
人は、戦禍の中に。
バニーの姿を見たという。