プロローグ.出会い・B(前編)
その男を最初に見たとき、何とも覇気のない顔つきをしていると思った。
背は高くなく、やや小太り気味。小動物のようにうろたえており、とても物腰が低かった。いや、低すぎた。
困り眉。
脂肪のついた目頭。
主張の弱い眼光。
これが。
こんな者が、勇者を騙ったというのか?
怒りと言うよりも困惑が勝る。
男の、歯切れの悪い言葉が、中空へと消え去っていく。
「――――俺は」
その日は、朝から調子が良かった。
目覚めもスムーズ。頭に靄がかかることなく、ベッドの上から起き上がることが出来た。明け方の空は薄暗く、窓を開けると、やや冷たい空気が入り込んでくる。
「少し冷えるか」
水を一杯飲み、軽く体を動かし、湯を浴びる。いつものルーティンだ。
肌艶もどことなく良い。最近買ったネイルも剝がれていないし、良い調子だ。
「気に入った色だからな。もう少しもってくれよ」
まぁどうせ、軍の戦闘服に身を包めば、隠れて見えなくなるのだが。
それでも気分の問題だ。……アレです。かわいい下着を着るのに似ている。女性がカワイイ下着やお洒落なものをつけるのは、異性に見せるためのものではないということを、そろそろ世の男たちは本格的に理解してもらいたい。
「……そんなことを考えているから、男が出来ないのだったか」
情報局のレイラにまた小言を言われそうだ。『イイカラダしてるのに勿体ないわよね~』『うるさい。別に嬉しくない』『そうなの? ヨロコばせそうそうなのに』『ヨロコ……?』『あのねぇ~……、まず胸を、』
…………うん。
昨日無理やり与えられた性知識を思い出してしまったので、慌てて思考を遮った。赤面した己が顔を誤魔化すように、思い切り湯を顔から被る。流れ落ちる水滴が自身の凹凸を滑り落ちていく。
「ううむ……」
ぴしゃり。と、顔に水滴を当てて唸る。
鏡に映る自身の顔と身体を改めて確認しながら、髪と身体からしずくを拭いとっていく。
最近は兵士生活が長いからか、眉間に皺が寄ってきていた。顔も体も高レベルなのにも関わらず、そんなだから男が寄ってこないのよとは、レイラの言葉。
特に興味がないので気にするつもりはないが、性格に難ありなのは自他ともに認めるところか。
「あぁそういえば。このタオルも、ヤツからいただいた物だったか」
十八歳の誕生日のときだったか。そうするとヤツとの腐れ縁も、最低でも四年は続いているということだ。兵士学校では堅物の二人ということで有名だったが、いつの間にやら彼女は男を知っていた。
「……問題なのは。これについて、特に悔しいという感情が湧かないコトなのだろうな」
あの状況からうまいことやったな、という感情しか湧いてこない。もしくは――――良かったな、か。
学生時代から、レイラは恋愛願望や結婚願望があったから、特に驚きもしなかったけれど。
「まぁ男のことはどうでもいい」
良い気分で起きたのだから、良いことを考えよう。
肌艶が良く、ネイルも良く、調子も良く、闘志も昂っている。
王宮に仕える騎士としては、これ以上無いコンディションだった。
その後も私はよどみない動きでルーティンを終えていく。
街を朝日が照らし始める頃。私はいつも通り軍靴を履き、軍服を纏い、宿舎を出るのだった。
続いて。
その日は良いこと尽くめだった。
軽い朝礼が終わったあと、私は騎士装備を纏い街の外へと警備に出るのが、一日の業務の流れだ。
が、その際に手配した馬車はジャストタイミングで来るし、気候はほど良い涼しさで、雲は在るが見晴らしはよく、支給された簡易弁当の揚げ物も一個多かった。
そして何より良かったのが、何事も起こっていないことだ。
街への脅威が無いこと。これは素晴らしいことだと言えよう。
「もしかしたら。日ごろの警備が魔物側へも行き届いていて、周囲から逃げおおせたのかもしれないな」
着実に成果は上がってきている。
隊の皆も士気を高めているようだし。いいこと尽くめだ。
「おっと。いつの間にかこんなところまで来ていたか」
ルモールの泉。
綺麗な滝が流れ、泉が湧いているこの土地の名所の一つだ。
王都と隣町の丁度中間地点にあり、遠征の時にはそこで隊列を整えたりもする。
木々に囲まれていて見晴らしは良くないので、女性隊員だけのときには、これ幸いと水浴びをしたりもする。……そういえばそのときにも、やたら乳や尻を褒められたりしていたっけ。
「……浮ついた気持ち、良くない」
自身を律して気持ちを静める。
そう……。いくら心地の良い場所だとはいえ、魔物が出現しないわけでは無い。それに今は単独行動中だ。
「ただ、まぁ――――」
流石に水浴びまではしないまでも、清流を見て心を休めるくらいはしても良いだろう。
私はそう思い、泉へと足を伸ばした。
先んじて言っておくけれど。
それが、間違いだった。
鉄靴とすね当を外し、脹脛部分だけを外気に晒す。
そのままちゃぷりと水面に足をつけて、泉の縁に腰を下ろし、一息入れた。
「ふぅ……」
警戒しながらも、足元がすっきりしていく様と、木々の間から流れ込んでくる風を受け、一時穏やかな気分に浸る。
これくらいならばサボタージュにもなるまい。慌ただしい軍務の中における、ひと時の休息だ。
「帰ったら報告書と書類整理だ。
ここを出たら、また気合いを入れなおそう」
もう五分したら立ち上がるとしようか。そう思い、私はひと時の休養に身を任せることにした――――直後。
『おぉおぉ、コレはエエ足じゃわい。食らいとうなるのう』
と。
泉の中より、地獄の底のような、不気味に響く声が聞こえた。
「……ッ!?」
『クァハハハ! 鍛えられた良い足よ。――――どれ』
べろりと。
明らかにニンゲンではないナニカの舌触りが、私の脹脛を啄んだ。
ぞわぞわとした感触が、足先から背筋へと走る。された行為もではあるが、得体の知れないナニカが足元に存在しているという事実が、一番強烈に私の恐怖心を駆り立てた。
「ッ!」
『クァ?』
ざばりと勢いよく両足を引き抜く。
……よし、足自体は無事だ。麻痺や毒、機能不全の何かを受けた形跡は見られない。となると、本当に嗜好品としての愛撫だったのだろうか。
とにかく。
不気味なことだけは確かだ。
水中に居る黒い影を見やる。
影は黒く。長く。流れるように蠢いていた。
ある程度の塊であることから、何かの個体なのだろうが……。そんなことよりも。
「私が……、気づけなかったほどの、ナニカ……」
過信しているわけでは無いが。
この辺りの魔物であれば、気を抜いていても気配に気づくことが出来る。それくらいには、日々の鍛錬にも自信を持っているし実績もある。
中央の大王都で研修を受けたときも、並みいる兵士の中でも上位の成績を収めることが出来た。自他ともに、国の中でも三指に入るくらいの実力を秘めていると自負もしている。
そして何より、今日はすこぶる調子が良い。全てのチカラをいつもの一割増で発揮できるのではないかと思うくらいの全能感だ。
そんな私が――――、気づけないだと?
もしかしたら。
コレは、とんでもない魔物で。
下手をすると、中央のトップですらも太刀打ちできない妖魔である可能性もある。
「……っ」
先ほどまでの涼やかさから一変。私の首筋を嫌な汗がつたう。
腰元の剣に手をかけ、水面の影を目で追っていく。
そして、
水面から、ぴょこりと、何かがはみ出してきた。
「黒い……、ん……?」
それは。
布か何かで出来ている――――ような。耳だった。
「うさぎの……耳?」
ぴょこり、ぴょこりと。縦長の黒い耳は、水に揺られて上下する。
そして一気にざばりと、勢いよく水面から、大きな影が飛び出した。
「ふぅ~……、浸かった、浸かったわい。やはり久々の水浴びはえぇもんじゃのう。クァハハハ」
「ヒ、ヒト……?」
それは。女だった。
そして。女は、バニーガールだった。
「……は、」
不思議なことに。髪や露出された肌は濡れているのに、身にまとった衣装はまったく濡れているようには見受けられない。
「クァフフフ……」
不気味な笑い声とは裏腹に、女は、とてつもなく見目麗しい外見を持っていた。
美人だ、麗人だと日ごろから言われる私でも、この美貌には叶わない。そんな容姿。
黒く――――足先まで伸びた麗しい髪。
身長は百八十に届きそうなほどなので、髪も同じくらいの長さがあるはずなのだが、一本一本が絡まることなくストレートに伸びているせいで、それほどボリュームを感じないのが不思議だった。
そんな細長くしなやかな身体に、ある意味不釣り合いに、それでいて自然に実った、胸と尻。おそらく自分よりも一回りほど大きいだろう。よく見ると腰回りもえぐいくらいに引き締まっている。バニーガール衣装の体形補正によるものなのだろうか。それとも元からなのか――――
「……あ」
そう。
そして極めつけは、自然の中に置いて最もふさわしくないであろう衣装。
「バニーガール……だよな?」
天へと黒く伸びた二本のうさぎ耳。大きく肩と背中を出した、黒いボディスーツ。巨大な乳は先端部を含め、半分くらいしか隠れておらず、ハイレグの角度はえぐい。とてもえぐい。ぴっちりとしているので、腹部のうっすらとした筋肉や、へその形までもがくっきりと見える。
細く白い腕の先には、黒いカフス。むっちりとした素足の上には薄いストッキングをまとっており、赤く、やたら目立つピンヒールを履いていた。
白い尻尾と黒い髪(そしてついでに巨大な乳)を揺らしながら、彼女は私に近づいてくる。
「さて……、続きを楽しむとしようか……」
「くっ……!?」
あまりの見目の美しさに思考が止まっていた。
そうだ。私はコイツに、何かをされそうになっていたのだ。
細い目の奥で、鋭い眼光が光る。やはりこの者、ヒトガタではあるが、得体の知れないナニカなのでは――――
「隙ありじゃ!」
「くぅっ!? な、何を……!」
一瞬だけ意識が外れる。その隙。
音もなく獣は、こちらへと飛び掛かってきた。
「なっ……、なん、だ、この力、は……!」
草むらにどさりと叩きつけられ、尋常ではない力で押さえつけられる。
身動きが取れない状況に陥ったことなど、子供の頃以来だ。よもや騎士である私が、赤子の手を捻るように組み伏せられるとは……!
「ほう……。想像以上によい足をしておるのう……。べろべろ」
「ひゃぅぃっ!?」
バニーガールは体制を変え、本格的に私の足を愛撫しにかかっていた。
どういう原理なのか、彼女(?)の髪の毛はうにょうにょとうねり、触手型モンスターが捕食を行うように私の四肢を絡めとっていた。
「なん……、は、離せ……ッ!」
「クァハハ……、大丈夫じゃ。おぬしも楽しめ楽しめ……。じき、気持ちようなるぞたぶん……」
脹脛から腱を通り、かかとへ。
そこから舌は徐々に上昇していき、甲の部分へ至る。
「あ……、ッ、あ……」
「れちゅ……」
唾液と肌と舌が交わる、何ともなまめかしい音が聞こえてくる。
甲から一直線。その下へ。
指と指の合間を、丁寧に丁寧に。
まるで少しずつ味見をしていくように――――撫でつけられた。
「ぎ……、く、……ッ、~~~~~~~……………………ん、」
自身から。こんなにも甘い吐息が出ることを、私は今知った。
足で性的興奮に至るなど……、変態みたいではないかっ……!
「~~~~ッ! き、きしゃ、ま……!」
「ふむ。至ったか? ならそろそろ本格的に――――」
バニーが再び体制を変えようと身を捻った瞬間だった。
「ストップストップストップ~~~~~ッ!!」
情けなくもよく響く、青年と壮年の間くらいの声が、泉へとこだました。
「なんじゃ、もう着いたのか」
「おま、お前……! 何してんだお前、お前ッ!」
「何って食事じゃ。あっちのほうの食事」
「どっちの方だよ! か、仮にそういうのをしたかったとしても、同意の下で行いなさい!!(?)」
――――ひどく。
ひどく意識が、狼狽、している。
「大丈夫ですか……うぉッ!? め、めっちゃアヘってる!?」
あ、あへってるって、なに……?
まだまだわたしのしらないことばは、いっぱいあるのだ……、な……。
薄れていく意識の中。
響いてくるのはバニーガールの変な笑い方と。
私以上に狼狽している、小太りの男の顔だった。
【読者の皆様へ】
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