古き良き時代のミステリー小説風婚約破棄
<登場人物紹介>
・リーン:主人公。悪役令嬢。婚約破棄されてしまう。
・エイベル:リーンの婚約者で第三王子。
・グレタ:男爵令嬢。エイベルの浮気相手。
・オーナー夫妻:小さな山荘を夫婦で経営している。
・シャーロック:謎の私立探偵。
「リーン、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「――!」
吹雪が荒れる山荘でのディナーの席。
そこで私の婚約者であり、第三王子でもあるエイベル殿下が、唐突にそう宣言した。
「……いったいどういうことでしょうか」
「どうもこうもあるか! 君はか弱いグレタのことを、いつも陰でイジメているそうじゃないか!」
殿下は隣に座る、男爵令嬢のグレタの肩を抱きながら私を責める。
グレタはそんな殿下に頭を預けながら、瞳を潤ませた。
「……確かにグレタさんに対して、何度か苦言を呈したことはございます」
「ホラ見たことか! それがイジメだとボクは言っているんだ!」
「ですが、それはあくまでグレタさんのためを思ってのことでございます。私と婚約済みである殿下とグレタさんが親しくなさるのは、双方にとって外聞が悪うございますから」
「開き直るというのか!? この痴れ者め!」
いえ、開き直っているわけではないのですが……。
「もういい! 君みたいな女は、ボクの婚約者には相応しくない! ――ボクは今後はグレタと、真実の愛を育んでいく!」
「まぁ! エイベル様……!」
グレタは感極まった顔で、殿下に抱きついた。
「話は以上だ」
乱暴に立ち上がり、グレタと二人で食堂から出て行こうとする殿下。
「グレタ、後でボクの部屋に来てくれるかい? ボクたちの今後について、ゆっくり話し合おう」
「はい……!」
「まったく、君が評判がいいと勧めるからわざわざこんな寂れた山荘まで来てやったというのに、料理も大して美味くもないし、つくづく君には失望したよ、リーン」
「……!」
殿下はそう吐き捨てながら食堂から消えた。
私のことだけにとどまらず、丹精込めてオーナー夫妻が作ってくれた料理まで馬鹿にするなんて……!
確かに料理は若干薄味で、決して美味しいとは言えないものだったけれど、それをオーナー夫妻の目の前で言うのは、いくら王族とはいえモラルが低すぎる。
それを言うなら、ディナーの席で婚約破棄するのも大概だが……。
案の定オーナー夫妻は、大層気まずそうな顔で私を窺っている。
「ハァ……」
私は溜め息を一つ零しながら、ポケットから指輪を取り出した。
「――! そ、それは、もしやニャッポリートシリーズでは!?」
「え? ああ、はい、そうです。ニャッポリートシリーズのナンバー66になります」
「そんな……!」
オーナー夫妻が目の色を変えて迫ってきた。
ニャッポリートシリーズは我が国で一番有名な指輪職人――ニャッポリート・ヒジカワが作り上げた指輪の総称で、同じナンバーの指輪は世界に二つとない貴重品。
ニャッポリートシリーズを持つことは、全女性にとってステータスなのだ。
「今から二ヶ月ほど前に、エイベル殿下からプレゼントされたものなのですが、これも殿下に返さなくてはなりませんね……」
「何と……」
オーナー夫妻は、眉間に皺を寄せながら、じっと指輪を見つめている。
「うーん、流石はニャッポリートシリーズ。実に蠱惑的なデザインですね」
「――!」
その時だった。
一人で食事をしていた男性客が、不意に私の隣の席に腰を下ろした。
「おっと、名乗りもせず失礼いたしました。僕はシャーロックと申します。しがない私立探偵をしております」
「私立探偵……!?」
シャーロックと名乗った謎の男性は、裏が読めない不敵な笑みを浮かべてきた。
インバネスコートを羽織っており、頭には鹿撃ち帽、そして年季の入ったパイプを咥えている。
顔はいかにも理知的で、その透き通るような瞳は、見つめていると思わず吸い込まれそうだ。
「そうですか、シャーロックさん。私はリーン・オウドルと申します。どうかリーンとお呼びください」
「リーンさん、とてもいいお名前ですね」
「そんな」
微笑みながらそう言われると、お世辞とはわかっているものの、ついつい口角が上がってしまう。
シャーロックさんは先ほどの婚約破棄宣言も聞いていたはずだが、それを気にした素振りは一切見せていない。
もしかすると私を元気づけるために、わざわざ話し掛けてくれたのかも。
それから私は時間を忘れて、シャーロックさんと世間話に興じた。
シャーロックさんはとても話し上手で、且つ聞き上手でもあった。
私の拙いお喋りにも、時にはオーバーリアクションを交えつつ、熱心に耳を傾けてくれる。
ついさっき婚約破棄されたばかりだというのに、私は心が少しだけ解されていくのを感じた。
「おや? この写真は」
「え?」
ふと、シャーロックさんが食堂の隅に立て掛けられていた写真に目線を向けた。
そこにはオーナー夫妻と、夫妻によく似た若い女性が写っている。
「ご夫妻の娘さんかもしれませんね」
「そうですね、とてもお美しい方だ」
あら、シャーロックさんはこういう女性がお好みなのかしら。
何故か私は胸の奥が、チクリと痛んだ気がした。
「ご夫妻が戻られたら、お聞きになってみてはいかがですか?」
今はオーナー夫妻は食器を洗っていると思われるので、食堂にはいない。
「ああ、いやいや、別にそういうつもりで言ったわけではないのです。誤解をさせてしまったのでしたら、謝ります」
ペコリと頭を下げるシャーロックさん。
いや、別に、私とあなたは今日知り合ったばかりの赤の他人なのですし、誤解もなにも。
「エイベル様! エイベル様ぁ!!」
「「――!」」
その時だった。
グレタの耳障りな声が、廊下の奥から響いてきた。
「はて? 何かあったのでしょうか。――何だか嫌な予感がします。我々も行ってみましょう」
「え、ええ」
シャーロックさんに促されるまま、声のした方に向かう。
「エイベル様ぁ!!」
「どうかされましたか、お嬢様」
「それが、エイベル様が全然ドアを開けてくださらないんです!」
グレタはエイベル殿下の部屋の扉を、無遠慮にドンドンと叩いていた。
「もうお休みになられているのでは?」
「そんなわけありません! エイベル様は私のことを待っててくださるって仰ってました! 先に寝てしまうなんて、有り得ません!」
「ふむ、だとすると、何か不測の事態があったのかもしれませんね。――例えば突然の発作で、声も出せない状態とか」
「そんなッ!!」
途端、グレタの顔が青ざめた。
「わ、私、オーナーさんを呼んできます!」
グレタは目を血走らせながら、駆け出した。
「あ、開きました」
マスターキーを持ってグレタと共に現れたオーナーが、殿下の部屋のドアを開けた。
「どいてくださいッ!」
そんなオーナーを押しのけて、部屋に入ろうとするグレタ。
「あ、あれ!?」
が、部屋には内側からチェーンロックがかかっていたらしく、ドアは途中までしか開かなかった。
「エイベル様! エイベル様ぁ!!」
グレタは隙間から室内に顔を突っ込み、殿下に呼び掛ける。
私もそっと室内を覗き込むものの、真っ暗でよく見えない。
だが、何故か私はこの時、異様な違和感を覚えた。
「これだけ呼び掛けても反応がないところを見ると、本当に何かよくないことが起こっているのかもしれません。――オーナー、ニッパーのようなものはありませんか?」
冷静な声でオーナーに訊くシャーロックさん。
「は、はい! すぐにお持ちします!」
オーナーは慌ててニッパーを取りに走った。
オーナーが戻ってくるまで、グレタはずっと殿下の名を叫び続けていた。
「エイベル様!!」
オーナーがニッパーでチェーンロックを切断すると、いの一番にグレタが室内に突入した。
――が、
「……き、きゃあああああああ!!!!」
「「「――!!!」」」
明かりを点けると、そこには目も背けたくなるような光景が広がっていた。
――心臓に深く包丁を突き刺されたエイベル殿下が、仰向けに倒れていたのだ。
「いやあああああ!!!! エイベル様!!! エイベル様ぁ!!!!」
殿下に縋り付きながら絶叫するグレタ。
「……これは酷い。心臓だけでなく、全身をめった刺しにされていますね」
シャーロックさんがパイプをグッと握りながら、そう分析する。
「どうかされましたかお客様!? あ、あああああ!!!」
そこへ、騒ぎを聞きつけたオーナー夫人も現れた。
顔面蒼白になっている。
「よくも……、よくも私のエイベル様を……!! あなたがやったんでしょッ!?」
「――!」
グレタが激しい剣幕で、私に掴みかかってきた。
「そんな……、私は神に誓ってやっていません!」
「そうです。彼女はずっと僕と二人で食堂にいました。それに、この部屋には内側からチェーンロックがかかっており、窓の鍵も閉まっています。――つまりこの部屋は、完全な密室だったのです」
「「「――!!」」」
密室……!
小説の中でしか聞いたことのないような陳腐な単語が、まさかこうやって現実として叩きつけられるなんて……。
「じゃあ、いったい誰が私のエイベル様を殺したっていうの!?」
「それはまだわかりません。――ですが、これがただの異常者の犯行ではないことは確実です。犯人は、悪魔のように知恵の働く人間ですよ」
そう断言するシャーロックさんの顔が少しだけ上気しているように見えるのは、私の気のせいだろうか……。
「で、でも、この中に犯人がいるかもしれないんでしょ!? 私もう、こんなところいたくない! 帰らせてもらうわッ!」
「それは危険です。外はご存知の通り猛吹雪です。今出て行ったら、それこそ命の保証はないでしょう。――ある意味この山荘も、巨大な密室なのですよ」
「「「――!!」」」
巨大な、密室……。
「もう嫌ぁ!! わ、私は自分の部屋で休ませてもらうわ! 絶対に誰も入ってこないでねッ!」
グレタは半狂乱になりながらも、部屋から出て行った。
「……仕方ない。僕たちも今日は休みましょう。――みなさんも、くれぐれも誰か訪ねて来ても、絶対にドアは開けないように」
「はい……」
シャーロックさんに促されるまま、私たちはそれぞれの部屋に戻った。
ベッドの質があまりよくないせいもあったけれど、私は朝まで一睡もできなかった。
翌朝、ぼんやりした頭で食堂に行くと、シャーロックさんが一人でコーヒーを飲んでいた。
「……おはようございます」
「ああ、おはようございますリーンさん。昨夜はよく眠れましたか?」
「いえ、実はあまり……」
「うん、そうですよね、無理もありません」
そう言うシャーロックさんは、とても殺人事件に巻き込まれているとは思えないくらい、優雅にパイプを燻らせている。
私立探偵だけあって、こういったことには慣れているのかしら?
殺人事件を解決する私立探偵なんて、小説の中だけの話だと思っていたけど。
程なくしてオーナー夫妻が、私の分のコーヒーも持ってきてくれた。
オーナー夫妻は目に見えて憔悴していた。
その後はグレタがなかなか起きてこないので、私たちは先に朝食をご馳走になった。
相変わらず薄味であまり美味しくはなかったものの、こんなシチュエーションでは、どの道味は感じなかったことだろう。
だが、朝食を食べ終えてしばらく経っても現れないグレタに、場の空気は徐々に緊迫したものになった。
「流石に少し心配ですね。みなさんでグレタさんのお部屋に様子を見に行きませんか?」
シャーロックさんからの提案に、私たちは無言で頷いた。
「グレタさん? 起きられていますか、グレタさん?」
シャーロックさんがグレタの部屋をノックするも、グレタからの返事はない。
昨夜とまったく同じシチュエーションに、一同は顔を見合わせる。
「……オーナー、鍵を開けていただけますでしょうか」
「は、はい」
今回はあらかじめマスターキーとニッパーを用意していたオーナーは、震える手で鍵を開けた。
「失礼します。……む?」
シャーロックさんがドアを開くと、またしてもチェーンロックがかかっていた。
「グレタさん。グレタさん!」
隙間から顔を入れ、シャーロックさんが呼び掛けるも、依然としてグレタからはいっさい返答がない。
私もコッソリ室内を覗くと、ベッドがこんもりと膨らんでいた。
「オーナー、ニッパーを」
「はい……!」
オーナーはふうと深く息を吐くと、ゆっくりとチェーンロックを切断した。
「グレタさん!」
シャーロックさんは早足で室内に侵入する。
そしてバサァと、ベッドの掛け布団を剥ぐ。
――すると、
「い、いやああああああ!!!!」
オーナー夫人の悲鳴が、室内に響き渡った。
――そこには昨夜同様、全身をめった刺しにされたうえで、心臓に深く包丁を突き刺されたグレタが、虚ろな瞳で天井を見上げていた。
「……またしても密室ですね」
シャーロックさんがボソッと呟く。
確かに今回も窓の鍵はしっかりとかかっている。
完全な密室状態だ。
いったい犯人はどうやって、この状況を作り出したというのかしら?
「密室……、密室……、待てよ! そういえば!」
「?」
途端、シャーロックさんは目を見開いた。
「シャ、シャーロックさん?」
「解けましたよ。この密室の謎が」
「「「――!!」」」
シャーロックさん!?
「そして犯人の正体もね」
「「「――!!!」」」
そんなッ!
シャーロックさんは私たちの顔をぐるりと見渡し、言った。
「エイベル殿下とグレタさんを殺害した犯人は――この中にいます」
<読者への挑戦状>
物語の途中だが、ここで作者である私から読者の皆様へ、挑戦状を送らせていただく。
唐突に何だよと思われるかもしれないが、古き良き時代のミステリー小説では、このように真相を明らかにする前に、読者へ挑戦状を送るのが一つの文化だったのだ。
ということで僭越ながら私も、偉大なる先人に倣ってみようと思った次第である。
私からの出題は、シンプルに以下の二つ。
・犯人は誰か。
・どうやって密室を作り出したか。
以上である。
では、健闘を祈る。
「ほ、本当ですかシャーロックさん!? 犯人がこの中にいるというのは……!?」
「はい、リーンさん、それは――」
「そ、それは……!?」
シャーロックさんはゆっくりと、目線を私の横に向けた。
「あなたたちですね、オーナー夫妻」
「「「――!!!」」」
シャーロックさんに射竦められたオーナー夫妻は、わなわなと口を震わせた。
「そ、そんな、言いがかりはよしてくださいッ! 証拠はあるんですか!?」
「そうです! それに、私と主人が犯人だと言うなら、この密室はどう説明するんです!?」
確かに。
部屋の鍵自体はマスターキーを持っている夫妻なら問題なく閉められるけれど、チェーンロックはかけられないはず。
「それはこれからご説明します。――そしてそれこそが、あなた方が犯人だという、物的証拠にもなります」
「「「……!」」」
シャーロックさんはパイプを燻らせながら、ドアの辺りまで移動した。
「これです。このチェーンロックこそが、密室の正体ですよ」
「「「――!!」」」
チェーンロック……が?
「このチェーンロック、異様に長すぎるとは思いませんか?」
「え? ――あ!」
シャーロックさんが掴んだチェーンロックをよく見ると、確かに一般的なものに比べると、あまりに長いように見える。
「これなら部屋の外からでも、手で簡単にチェーンロックをかけられます。わかってしまえば何ということはないトリックですがね」
なるほど……。
昨日エイベル殿下の部屋を開けた時の違和感は、これが原因だったんだわ。
グレタはドアの隙間から室内に顔を入れてたけど、普通チェーンロックをかけた状態でそんなことできないものね。
「おそらく昨夜オーナーは、大事な話があるとでも言って、エイベル殿下の部屋を訪れたのでしょう。――そして隙を見て、隠し持っていた包丁で、殿下を刺した」
「……」
オーナーは無言で、シャーロックさんをじっと見つめている。
「その後部屋のチェーンロックを、この長いものに変えたのでしょう。この山荘を管理しているオーナーのあなたであれば、予備のチェーンを加工して、長いチェーンロックを作ることなど造作もないことでしょうから。あとは部屋の外に出てチェーンロックをかけ、マスターキーで鍵をかければ、密室の完成です」
「くっ……」
「あ、あなた……」
オーナー夫人は涙目で、オーナーの肩に縋り付いた。
「グレタさんの場合も同様です。夜中にこっそりグレタさんの部屋をマスターキーで開けたあなたは、ニッパーでチェーンロックを切断し、ベッドで眠るグレタさんを殺害した後、チェーンロックを長いものに変え、鍵をかけた。――これがこの事件の真相です。何か申し開きはございますか?」
「……いえ、あなたが仰ったことは全て合っております」
「あ、ああああああああぁ……!」
オーナー夫人は遂に、その場で泣き崩れた。
「いったい何故こんなことを?」
シャーロックさんは神妙な面持ちで、オーナーに尋ねる。
「娘のためです……」
「娘さんの? というと、あの食堂に飾ってあった写真に写られていた――」
「はい。可愛い一人娘だったのですが、今から二ヶ月ほど前、馬車に轢かれて死んでしまったのです……!」
「それは……! まさかその馬車に乗っていたのが……!」
「ええ、この女と、あの悪魔みたいな王子だったんですよッ!!」
オーナーはグレタの遺体を、心底恨めしそうに睨みつけた。
「とはいえ、当初は娘を殺した犯人が誰かは、私たちもわかりませんでした。警察にいくら犯人を尋ねても、『調査中だ』の一言で門前払いされてましたから。そりゃそうですよね、一国の王子が乗った馬車が人をはねたなんてことが公になったら、一大スキャンダルだ。何とか執念深く調べ上げ、若い男女が馬車に乗っていたことと、すぐに助けを呼べば娘の命は助かったかもしれないのに、その男女は娘を放置したところまでは判明したのですが、それまででした……」
「う、うぅ……」
オーナー夫人は当時のことを思い出したのか、嗚咽を漏らした。
「――ですが昨夜、あなた様から見せていただいた指輪で、私たちは確信したのです!」
「え?」
オーナーはカッと目を見開き、私を見る。
「これですか……?」
私はポケットから、ニャッポリートシリーズのナンバー66を取り出した。
「はい……! その指輪は、元々私たちの娘の持ち物でした……!」
「「――!」」
「常に指につけて大事にしていたのですが、あの事故以来、指輪はどれだけ探しても見つかりませんでした」
「そんな……」
「なるほど、つまり経緯はこんな感じでしょうか」
シャーロックさんがパイプを燻らせながら、自分の考えを口にする。
「馬車で轢いてしまった娘さんの指に、ニャッポリートシリーズが嵌められているのを見たグレタさんは、思わずそれを盗んでしまった。ニャッポリートシリーズは、全女性の憧れですからね」
「……ああ、確かにグレタさんなら、やりかねませんね」
私からエイベル殿下も奪ったのだし。
「ですが、すぐにそれを自分で持っているのが怖くなってしまった。事故の物的証拠なわけですから。そこでその指輪を、エイベル殿下に預けることに」
「そして殿下がその指輪を、私にプレゼントしたわけですか? ――まったく、どんな神経をしているのだか……」
呆れるわ。
「でも、そのお陰で私たちは娘の仇を討つことができました。あなた様には感謝しております……! もう思い残すことは何もありません。これから、警察に自首します」
「ありがとうございました……!」
夫妻は私に深く頭を下げた。
「そ、そんな……! どうか顔を上げてください。……この指輪はお返しいたします」
私はオーナーの手に、指輪をそっと置いた。
「あ、嗚呼……! ありがとうございます……! ありがとうございますぅ……!」
「あああああああぁ……!!」
夫妻はその場で、泣きながら頽れた。
私とシャーロックさんはそんな二人のことを、奥歯を噛みしめながら見下ろしていた。
「シャーロックさん、それで、お話というのは?」
シャーロックさんが二人だけで大事な話があるというので、夫妻を残し、私とシャーロックさんは山荘から外に出た。
昨日の猛吹雪が嘘のように、晴れ渡った空が広がっている。
「ええ、では単刀直入にお訊きします。――この事件を裏で操っていたのは、あなたではないですか?」
「――!!」
なん、ですって……。
「……いったいどういうことでしょうか」
「最初に違和感を覚えたのは、昨夜エイベル殿下が食堂から出て行く際に放った一言です。――あの時殿下はこう仰っていました。『君が評判がいいと勧めるからわざわざこんな寂れた山荘まで来てやったというのに、料理も大して美味くもない』、とね」
「……!」
大した記憶力ね。
「確かにお世辞にも料理は美味しいとは言えませんでした。そのうえベッドの寝心地もイマイチ。とても評判がいいと言える要素はありません。現に宿泊客も、僕たちだけだ。――なのに、あなたは殿下とグレタさんをこの山荘に誘った」
「……」
「そしてオーナー夫妻の前で、あの指輪を見せる。――その結果どうなったかは、言わずもがなです。どうです? これがただの偶然で片付けられると思われますか?」
「……あなたが私に話し掛けたのは、私を探るためだったんですね」
「まあ、それもありますが、あくまで一番の理由は、あなたがお美しかったからですよ」
シャーロックさんはキザったらしく、片目をつぶった。
どうだか……。
「おそらくあなたは殿下とグレタさんの浮気に、前々から気付いておられたのではないですか? そして二ヶ月前の事故の真相も知っていた。――あなたはオーナー夫妻を操って、浮気の復讐を代行させたのです」
「……」
大した慧眼だわ。
「……仮に、仮にもしそうだったとして、私は何か罪に問われるのでしょうか? 私がしたことといえば、二人をこの山荘に誘ったことと、オーナー夫妻に指輪を見せたことくらいなのですが」
「いえ、あなたの罪を立証するのは難しいでしょうね。僕が今言ったことは、証拠のない、ただの憶測に過ぎませんから」
「……」
じゃあ、何故わざわざそんなことを……?
「あなたはとても強かな方だ。――そしてあなたのような方を、僕は長年探していました」
「……は?」
シャーロックさんはおもむろに、私の前で片膝をついた。
んんんんんんんん???
「あなたを偽っていたことは謝罪いたします。――実はシャーロックというのは偽名で、僕の本名は、シャイロック・ホムルズというのです」
「――!!」
そ、それって、隣国の王太子殿下のお名前……!?
「そろそろ王太子妃を娶らねばならなかったのですが、僕はどうしても結婚相手は自分で決めたかったので、こうして家出して、結婚相手を探す旅をしていたのです」
「っ!?」
随分アグレッシブな王太子殿下ですこと!?
「あなたの強かさに、僕は一目惚れしました。――どうか僕の、生涯の妻になってはいただけないでしょうか」
「――!」
シャーロックさん――いや、シャイロック殿下は、真っ直ぐな瞳で私を見つめながら右手を差し出した。
――ふふふ、これはこれで、面白い人生になりそうね。
「ええ、私でよければ」
私はシャイロック殿下の右手に、自らの左手をそっと重ねる。
空には私たちを祝福するように、太陽が燦燦と輝いていた。