第2話 捨てられるのを待っていた
私は、はじめて人の悪意に触れた。
それは去年の夏、仔猫を飼いたいと思った事がきっかけだった。
我が家には十二歳になるメス猫がいる。
その猫は、食事とトイレは必ず家へ帰ってするような神経質で内向的な一面と、外で野良の友達を作る社交性を持っていたが、歳をとるにつれ、外出の回数が減りストレスを溜めているように見えた。
仔猫の世話をさせ、生活にハリを与えれば改善できるのでは?と考えたのである。
それ以上に、単に私が仔猫を可愛がりたかったほうが、動機としては強い。
しかし、お金を出して買ってくるのは抵抗があるし、野良の親がいる仔猫を家に連れて帰るのも気が引ける。
そこで、何かの縁があれば飼う心づもりでいることにした。
十月、その縁はやってきた。
捨て猫を拾って困っている小学生の女の子と出会ったのだ。
私はその子に連絡先を教え、仔猫を引き受けて動物病院に連れて行った。
顔は目やにでぐちゃぐちゃだったが、模様は黒っぽい縞で、とてもきれいな子だった。
たとえ家で飼えなくても、すぐに里親は見つかろうと思った。
その考えは、甘かった。
動物病院で両眼瞼欠損症といわれた。
「はあ?」
生まれつき『まぶた』がなかったのだ。
「それと……」と、先生は続けた。
「右目は萎縮して見えていないだろう。左目も白内障と緑内障を患っていて、視力があるか疑わしい」
たしかに、きれいに洗ってもらった仔猫の顔を見ると、右は小さな目が少し見えるくらいで穴がぽっかり開いているだけ、左は目ではなく青白い玉が、はまっているように見えた。
歯が生え、耳は立っている。
生後一ヶ月。
痩せているが元気。初乳は飲んでいるようなので捨てられるまでは親猫といた。
タオルに包まれ、ゴミ集積場に置かれていた状況を考えると、この目が原因で飼い主が捨てた事は容易に想像できた。
手術でまぶたを再生させることはできる。
抗生剤の点眼と眼軟膏を処方され、専門医を紹介してもらい、猫を連れて帰った。
私は専門医に診てもらえば、多少の時間とお金はかかっても治ると思っていた。
治ったら、あの場所に「捨てた方へ こんなに元気です」と、張り紙をしてやろうと思っていた。
しかし、治るものではなかった。
「おそらく、産道でヘルペスウイルスに感染し、網膜剥離を起こしている。右目は完全に萎縮し器質的に変化しているため、治しようがない。左も重度の白内障でレーザー治療はできず、緑内障のため眼圧が上がり、いつ破裂してもおかしくない状態です」
元気に動き回っているので、多少は見えていると思っていたが、医学的には完全失明だった。
この時、私には三つの選択肢があった。
ひとつは、環境を整えて飼うこと。
もうひとつは、保健所に連絡し処分すること。
そして、元の場所に置いて来ること、である。
三つ目の選択はすぐに打ち消された。
元の場所に置いて来ることは「運が良ければ生きていてもイイよ」という意味であり「べつに死んでもイイよ」という意味でもある。
障害のあるこの仔にとって、即「死」だろう。
私はそんなことはできない。
ここまで考えたとき、私の心に鳥肌がたった。
悪意がそこにある。
この小さな身体は人の悪意を受け、今、私の手の中にいる。
それは、仕事で誰かを陥れたり、陰口やいじわるといったモノではなく「いなくなってくれ」という願いだ。
殺すよりも残酷で、自ら手を下さずにすみ、自責の念と自分の罪を軽くしようといった「自分の前からきえてくれ」「この世からいなくなってくれ」「自分の見えない所で死んでくれ」という身勝手な願い。
おそらく捨てた飼い主も治らないことを知っていたのだろう。
テレビで虐待や虐殺を知り、怒りを感じていたのは、しょせん他人事だったのだ。
たかが猫である。
しかし、この小さな身体は生まれてきたことを否定された。
ただ、生まれて来ただけなのに「いなくなって欲しいモノ」にされた。
自ら保健所に連絡し、安楽死させるほうが捨てるよりも飼い主としての責任を果たしたといえるのではないか。
いや、死んでしまったらそれまでである。
この仔にとって、我が家にとって、どちらが良い選択なのであろうか。
目が見えず、家の中でさえ壁にぶつかり怪我をする。
エサ場にもたどりつけない。
通常の猫としての生き方はできないであろう。
なにより、今後どのような病気を発症するか、分からないのである。将来、苦しむことがあるなら今いっそ……とも考えた。
自分はこの小さな命の運命を握っている。
(なんで、こんな仔を拾っちゃったんだろう)って、おい、私は縁があればと言いながら、どこかに捨て猫がいないか探していたじゃないか。
私は、捨てられるのを待っていたじゃないか。
待っていたものが来ただけだ。
そんな自分に気が付いたとき、ショックだった。
私は捨てた人間とどう違うのだろうか。
捨てた人間とそれを待っていた人間。
同罪ではないか。
捨てた人を責めることはできない。
そして、ここでこの仔を手放すことは、それ以上の罪ではないか。
罪ならば償わなくてはならない。
この仔の障害は誰の罪でもない。
この仔自身が償わなければならないことでもないはずだ。
仔猫はタオルの上で丸くなり、青白い左目は開いたままで、小さな寝息をたてている。
私は不幸な命を待っていたことを反省した。
私は拾って救った人間になろう。
この仔を生かし、共に暮らそう。
不安はある。
自分の生活が変わるだろう。お金もかかるだろう。
生きていくことは、この仔にとってつらいかもしれない。でも、楽しいことや、好きな物を増やしていけるようにしてやろう。
たとえ短い命になったとしても「まあ、悪くはなかった」と思えるように、努力をしてやろう。
そう私は、決心と覚悟をした。
あれから半年。
450グラムだった仔猫は4キロに成長し、大きな病気もせず、とても元気だ。
目は光さえも感じなくなってしまったが、器用に走り回っている。
好きなものは、キリンのクッションと丸めたスーパーの袋。
嫌いなことは、一日四回の眼薬。
楽しいことは、いたずら各種。
ボロボロになったソファーを見ては、ため息をつく毎日だが、日々成長する姿を見て、顔がほころぶ。
たかが仔猫の小さな命に、いろいろなことを教えられた。
どうか、このまま元気に過ごせますように……。
この仔猫『たく』は、17年の寿命を全うして亡くなりました。
他にも4匹の猫を飼いましたが、この仔は本当に明るい性格で、毎日、何か新しい発見をしては楽しそうに過ごしていました。
ヌンは神様を信じませんが、この仔との出会いは感謝しています。
この捨て猫から「〜トラブル〜」の捨て子の設定が生まれました。