第六十八話 歌人の夢
気が付くと世界は赤く染まっていた。
どこに行っても鉄の強いにおいが鼻を刺激する。
視界には倒れた骸が無数に転がっていた。
もうこの地に生きている者はいないのかと思わせるほど死に溢れていた。
僕は赤い水たまりを飛び越え、安全な場所を探して走る。背中に背負った大きな楽器が、走る動きに合わせて最中を叩く。
去り際に母から託されたものだ。それが、唯一僕の心を冷静にしてくれていた。
でなければ、幼心でこの惨状を目の当たりにして正常でいられるはずがない。
どれだけ走ったか、体に疲れが出始めた頃に道端の石に躓いて顔から落ちる。
口の中に鉄の味が広がり、膝からも破れた服に血が滲んだ。
何故僕は生きている?
どうして皆いなくなった?
頭の中で同じ疑問が駆け巡っている。それでも答えは出ない。凄惨な光景に思考が麻痺し、正常に考えられないでいた。
少し前に、眼前で繰り広げられた殺戮が脳裏に蘇る。
集まった兵隊が、逃げ遅れた民が切り刻まれ、時には突き刺されて死んでいく。
その中心にいた一人の怪物は、血がついた栗色の髪を翻し、血が滴る剣を振るい続けていた。
騎士達が束になって立ち向かっても、次の瞬間には急所を斬られて倒されていく。その圧倒的な強さを前に、この国はなす術もなく蹂躙されていった。
この国が何をした?
僕たちはただ平穏に暮らしていたはずだった。それなのに、隣国のあの兵士は突然攻め入ってきた。その者の振りかざす正義はなんだったのかは分からない。
ただ残虐に振るわれる力が、僕の心を恐怖に染め上げた。
「父上、母上……」
僕は両親の死ぬ瞬間を思い出し、再び逃亡を始めた。
あの残虐の刃に刺し貫かれ折り重なるように死んで逝った。二人は僕を庇うようにして死んだ。
そうだ、両親は死んだ。
でも僕が生き残れば二人は救われる。そのために犠牲になったのだから!
外の世界に救いを求め、赤く染まった空を背に僕は逃亡を続けたーー
「ーーさん、旅人さん!」
揺れる馬車の外から業者の人の声が聞こえた。
どうやら眠っていたようだ。しばらく長旅だったから仕方ない。荷台で寝ていたせいか背中が痛い。
起き上がって肩を解きほぐす。
さっきの夢は久しぶりに見たな。随分と昔のことだからもう見ないと思っていたが、体は覚えているようだ。
これから向かう先のことで、少し緊張しているのかもしれない。
「起きたかい? 随分うなされていたようだけど、悪い夢でも見たのかい?」
お年を召した業者の方が心配そうに顔を覗かせた。わざわざ運んでもらってる上に心配までかけてしまうとは。
「久しぶりに悪い夢を見ましてね、ご心配おかけしました。お心遣い感謝します」
僕は荷台から顔を出してご老人に礼を述べた。白髪のご老人はそれで安堵したのか、ほれほれと干し肉と水を差し出してきた。全く世話好きなご老人もいたもんだ。
再び礼を言ってそのご好意に甘えることにした。
揺れる馬車の中での食事も偶には乙に感じる。
「ほれ、王都リールが見えてきたよ。もうちょっとしたら到着だでな」
干し肉を口に頬張り水で流し込んでいると、ご老人は道の先に見える城を指差した。
ストルク王国の王都リールにそびえ建つ四つの巨大な塔が見えた。離れた農村地からでも見えるそこには、この国を治める王族達が住まうという。
「しかし、あんたも物好きだの。こんな時期に王都に行きたいだなんて、今は戦後の処理やらなんやらで大変な時期じゃよ?」
ご老人は興味津々という風に僕を横目で見た。確かに戦時中に王都に行こうとする旅人もそうはいないだろうな。
この時期に足を運ぶ余所者は、よっぽどの物好きか変人しかいない。
もちろん僕は前者の方だ。
「戦争が終わると各国の情勢も移ろうものです。そこには新たな繁栄と荒廃が乱立する。歌人からすれば、そんな情景は歌にしやすい。格好の場所なのですよ」
背中に背負った弦楽器に手を添えながら老人の質問に答えた。
「歌人といやあ、色んな土地を旅するんじゃろ? 前の王都での歌なぞあるかい?」
老人はかなり気を良くしたのか、私の歌に興味を示した。
王都に着くまではもう少し時間もあることだ。ここまで連れてきてくれた礼に歌を聴かせるのもいいだろう。
そう思って楽器を取り出して音の具合を確かめた。
「実は僕は王都に来るのは初めてなんですよ。代わりと言っては何ですが、今はもう滅んだケニス小国の繁栄歌をお聞かせしましょう。
そして、馬車の中は僕の歌で満たされ、王都に着くまでそれは続いた。




