第六十六話 灰の逃亡
組織の任務で動く人間には役割がいくつか決められている。
現地で実際に任務をこなす者、それを拠点で管理し新たな指示を出す者。そして、その二役を取持ち繋ぐ役の者がいる。
繋ぎ役は現地メンバーが任務に集中できるようにあらゆる面でサポートする。
情報共有はもちろん、必要な物資の調達や宿の手配など様々だ。
そして、最後は任務を終えたメンバーを回収して拠点まで無事に送り届ける。
王都に潜入していたフィオだが、全てを一人でこなしたはずはない。組織の一員であれば、他のメンバーが近くにいるはずなのだ。
特に仲間が追い詰められて、ピンチの時には助けに入る可能性があった。
それをあらかじめ警戒していた私は、僅かな衣擦れの音にも反応できた。
頭上を見上げると、フードを目深に被った新手が奇襲を仕掛けてくるのが目に入った。
私は突き出された剣を掌で弾き、空中でバランスを崩した相手を蹴り飛ばした。
フードの奥からはくぐもった男性の声が漏れた。
男はフィオの近くまで吹き飛んだが、すぐに立ち上がって剣を構えた。
こちらの男性の魔力強化もかなりの練度だ。その証拠に私の蹴りにも大きなダメージは見られない。
「来るのが遅いよ! もう少しで捕まるところだったのよ!」
「すまない、ボスの指令が来なくてな。とにかく、お前は先に逃げろ!」
男はそう言うと私に切り掛かってきた。
私は剣を持ってくればよかったと内心溜息をつき、伸ばした杖で攻撃を受け止めた。
高い金属音が周囲に響く。目の前には歯を食いしばって私を押し倒そうとする男が見える。
僅かに覗く髭面は鋭い目つきで私を睨んでいた。
「逃げろって、どこに逃げんのよ! 次の集結点は?!」
フィオの叫びに男は苦痛に顔を歪ませた。そして、後ろを向かずに言った。
「次の集結点はない! 俺たちは……ボスに見限られたってことだ!」
その予想外の答えに、私だけでなく、仲間であるはずのフィオも驚きを隠さなかった。
「はっ?! どういうことよ! 何で私たちが見捨てられるのよ!」
フィオは金切り声で叫ぶが、フードの男はすぐには答えなかった。鍔迫り合いをしていて口を開く余裕はなかったのだ。
そして一度仕切り直すように男は私から距離をとった。
「計画に失敗した俺たちに用はないってことだよ! 分かったらさっさと逃げろ!」
男が叫ぶと、フィオは顔を歪ませながらも目前にある森へと入って行った。
「シーズ、追って」
「了解した!」
私の命令を受けた雷獣シーズは、待ってましたとばかりに暗がりへと駆けて行った。
その速さは獲物を追う肉食獣だ。
シーズをこの場で止めようとした男も、それが叶わないと知ると小さく舌打ちした。
暗がりを睨んでいた男は諦めたように私に向き直った。
「……お名前を伺ってもよろしいですか?」
風の小さな音しかないため私の声はよく響いた。
「ベルボイドだ。しかし、こんな美少女と二人っきりになれるとは。これがデートだったら魅力的な場面だがね」
ベルボイドと名乗った男は両手を広げ茶化すように言った。
他に増援が来ることはないようだ。
魔力検知でも辺りに私達以外に人がいないことを示していた。彼が時間稼ぎのためにここにやってきたとみて間違いないだろう。
「自分を犠牲にして味方を助ける。素晴らしい精神ですね。敵ながら称賛します」
そう言って私は森から短剣を一振り呼び寄せた。先ほどフィオから弾いたものだ。
「ですが、フィオさんを逃す気はありません。じきにシーズが捕まえるでしょう」
魔力探知の状況ではシーズはすでにフィオに追いつき戦闘を始めたようだった。
ベルボイドはふっと笑って言った。
「だろうな、だが、俺にも譲れない意地がある。あんたを殺して、逃げさせてもらうぜ!」
一呼吸おき、二人同時に動き出した。
ベルボイドは私の首を狙おうと斜めに切りかかる。
私はそれを防ぐように、彼の外側から高火力で叩き込んだ。
金属同士がぶつかる高音が鳴り、太い木の枝が折れるような鈍い音が後に続いた。
そして、最大限に魔力強化された私の剣は、ベルボイドもろとも後ろへ吹き飛ばす。
木の幹に激突した彼は、小さく呻き声を上げて地面に落ちた。
一瞬の攻防で決着が着いた。
彼は膝をつき、あらぬ方向に曲がっている右腕を抑えていた。
「はっはっ……馬鹿な。純粋な力比べで、ここまでの力量差が出るのか……」
浅い息遣いをするベルボイドは、無事な左腕で剣を構え直した。
勝負はすでに決している。それでも彼の目に絶望は見えなかった。最後まで戦うつもりでいるようだ。
「もう終わりましょう。フィオさんの方も、そろそろ片付くはずですから」
「っーー!」
彼が反応する前に一気に距離を詰め、足を払って転ばせた。
そのまま身動きが取れないよう空間魔法で全身を固定する。
ベルボイドは動けないのを悟ると、私を射殺すように睨みつけた。
だが彼が何かを言う前に、ガサガサと茂みを進む音が聞こえてきた。
「おや、そっちも終わってたか」
声がした方を向くと、シーズが森から現れた。背中にはフィオが乗せられている。
気を失っているのか、四肢をだらんと下げ、シーズの移動に合わせて揺れていた。
「死んではいませんね?」
「安心せい、ちょっと気を失っておるだけじゃ」
シーズは上機嫌に笑って言った。




