第五百三十二話 消えた姉妹
ストルク王国のルードベル家の新しい当主は先代よりも優れていると専らの評判だった。
親の死後、十代で当主を継いだ少女は、家名に付いた汚点をたった数年の間に払拭した。
戦争中の物資の調達、搬入を担当、戦後の復興にも各地に支援を出す。それの救いの手は王国内に留まらず、近隣各国に行き届く。
ストルク王家が世界の危機を救った裏で、ルードベル家は崩れそうになった経済を支えた。数年も経てば経済を立て直した救世主と評されるまでになっていた。
そんなルードベル家の当主、シェリーは浮かない顔をして執務室の窓から空を見上げていた。その日の彼女は朝から一度も笑わず、何か思いつめたような表情をしている。
「はあ、どうしましょう。これじゃ仕事に集中できませんの」
今日何度目かも分からないため息を吐き出す。窓に手をついたシェリーは、薄っすらと映る自分の顔を見て顔をしかめた。
シェリーの悩みの原因、それは彼女も分かっていた。
その原因が燻り始めたのは二年前、リジーが黒髪の双子を引き取った頃から始まっていた。
最初は単なる気の迷いだと思い、見て見ぬ振りをしていた。だが日が経つにつれてその思いはシェリーの胸に絡みつき、ふとした時に締め付けてくる。同時にやってくる動悸も日増しに強くなっていくようだった。
この気持ちに向き合わなければ前には進めないことは知っていても、シェリーにその一歩は踏み出せていない。憂うように西の方角を向いて思いを馳せるだけだった。
シェリーが再びため息を吐くと、執務室の扉が静かに開き、栗色の髪と青い瞳のメルとイルが顔を覗かせた。
実はハイドが死滅した時、彼女達に縛り付けられていたハイドの力も消失して元の姿に戻ることができていたのだ。
普通の人間になった双子は、自分達の意思でシェリーの屋敷で暮らすと言って今に至る。
彼女の家で暮らして二年が経ち、二人は随分と成長していた。不死の呪いが消えた影響か背丈も少しずつ伸び始め、幼い面影は残っていたが表情も大人に近づいていた。
「シェリー、今日も浮かない顔してる」
「元気ない? 私達に何かできることある?」
メル達はシェリーの手を取って心配そうに見上げた。そんな二人の存在に気づいたシェリーは、安心させるように笑った。
「二人とも心配してくれてありがとう。あんまり悩んじゃだめよね」
シェリーはそう言って二人の頭を撫でると仕事に戻った。双子に元気付けられたのか、寂しさは消えていなかったが、シェリーの表情は少しだけ柔らかくなっていた。
当主が仕事に手をつけ始めると、メルとイルは勉強用の本を数冊抱えて執務室を後にした。
だが二人は勉強部屋に向かうことなく屋敷の外に出た。
「どこに行く? 王城にする?」
「でもリズお姉ちゃん忙しいよ? リジーお姉ちゃんのところまでだとシェリーお姉ちゃんに心配かけちゃう」
二人はどこに行くべきか悩むように天を仰いだ。
もちろんメル達は彼女の悩みに見当はついていた。短い時間だがシェリー達と過ごし、二人の仲が親密になっていることも気づいていた。
だが彼を連れてくることは二人には不可能だった。
ルードベル家に居候してシェリーから多くを学んでいた彼女達は、隣国の将軍を呼ぶ手段が一切ないことを理解していた。
少なくとも、ただの居候の子供では接触する機会は手に入らないのは確かだった。
悩みながら歩いていた双子はいつの間にかルードベル家の屋敷から遠く離れ、王城前にまでたどり着いていた。二人は無感動のまま王城を見上げ、がっくりと肩を落とした。
「結局王城に着いちゃった……どうしよう」とメルが言うと、すかさずイルが反応した。
「むー、私達って考えてると周り見てないもんね。お姉ちゃんに気付かれる前に帰る?」
「うん、王城に来てもやることないし、帰ろっか」
メルとイルは疲れたように頷くと、踵を返して歩き始めた。メルは最後に振り返り、せめて何かの拍子に誰かと会わないかと期待するように王城を見つめる。
だが彼女達が面識あるのはリズ女王くらいで、すぐには会えないところにいる。
諦めて帰ろうと首を振った時、メル達の前に二人の男が立ち塞がった。黒い外套を身につけた二人組は冷たくメル達を見下ろしている。
「だ、誰ですか? 私達に何かご用ですか?」
危険を感じたメルはイルを隠すように立って男達を見上げた。恐怖で足が竦んだ彼女は、イルだけは守ろうと手を広げる。
「ルードベル家に最近入った双子だな? 悪いが我々と一緒に来てもらおう。もちろん君たちに拒否権はない」
男の一人はそう言うとメル達の手首を掴み、魔法具の腕輪を装着させた。
その瞬間、メルとイルは強い眠気に襲われ気を失った。男達は深い眠りに入ったメル達を抱えるとすぐに姿を消した。
それは一瞬の出来事で、近くにいた人達は姉妹が誘拐されたことになど気づかなかった。
その後、メルとイルが戻らないと心配したシェリーの元に脅迫状が届く。
双子を助けたくば単独で来いと指示するものだった。
そしてシェリーが方々に救援を求め始めた頃、メルとイルの魔法が解けて目を覚まそうとしていた。
二人が寝かされていたのは窓がひとつしかない寂れた部屋だった。窓の外はすでに日が落ち、星が顔を覗かせている。
ゆっくり起き上がったメルは周囲を見回し、恐る恐る魔力を飛ばした。
近くにメル達以外には誰もいない。少なくともここが王都でないことは明らかだった。
「家……じゃない、ここはどこ?」
魔力探知を切ったメルは白い息を吐き出した。不安に押し潰されそうになっているのか、唇が震えていた。
「多分王都の外。でも、とりあえず温めないと凍えちゃう」
同じように起き上がったイルはメルの冷えた頬に触ると、魔法で小さな火を灯した。二人は少しでも魔力消費を抑えるため、肩を寄せ合う。
それからこれからどうするのか、小声で会話を始めた。
当然ながら、二人は自分たちが誘拐されたことには気づいていた。
問題はここがどこで、どうやてシェリーの所に帰るかだった。
だが夜に行動するのは危険と判断したメル達はこのまま一晩を過ごそうという結論に至った。
その時、彼女達以外に誰もいない背後から、楽しそうな男の声が聞こえて来た。
「ようこそ我が屋敷へ、ルードベルのご令嬢達。歓迎するよ」
姉妹が驚いて振り返ると、部屋の暗がりに男が一人立っている姿が見えた。男は薄ら笑いを浮かべて怯えるメル達を見下ろしていた。




