第五百二十九話 姫君の意思
リジーから飛び出した光がアイルの前でリジーと同じ姿を見せる。それがリリーだと見抜いたアイルは目を丸くした。
彼女は死んでからずっと深淵に囚われの身で、未来永劫出ることはできないはずだった。それはアイルであっても変えられない事実のはずだった。
「リリー? お主、本当にリリーなのか?」
アイルは光に包まれているリリーを凝視した。
目の前にいるのがリリーだと分かっても、アイルは珍しいものを見るようだった。そんなアイルを見たリリーは静かに微笑むと頭を下げた。
「お久しぶりです、アイル様。それにジークも、また会えて嬉しいわ」
「あっ、まさか、リリー様……なのですか?」
ジークは目の前で起きていることに理解が追いついていないようだった。
リリーは愛おしそうにジークを見ると、すぐに表情を引き締めてハイドを見下ろした。
リジーと同じ姿、だが彼女とは明らかに雰囲気が違う。死にかけていたハイドは、目の前にいる少女がリリーだと気づいて小さく唸った。
「貴様はわしの魔法にかかって死んだはずじゃ。死んでもなお、わしの邪魔をすると言うのか。わしの力を奪って消えた愚か者めが」
ハイドはかすれ声をあげてリリーを蔑む。だがリリーは優しく笑いかけると、膝を地面につけてハイドの額に手を当てた。
「もう休んでください。お父様は長く生き続けてしまったのです。死の国へは私が連れていってあげます。だからどうか死ぬことを怖がらないで、自分の命を嫌いにならないでーー」
そう言うとリリーの手から暖かい光が溢れ出し、ハイドの体を覆った。
リリーと同じ淡い光に包まれたハイドは閉じかけていた目を限界まで広げる。まだ生きたいと願うように。
だが程なくしてハイドは魔力を失い、ゆっくりと両目が閉ざされていく。これまで、暴虐の限りを尽くしてきたハイドの最期はあっけないものだった。
リリーはハイドの死を確認すると、額から手を離して魔力で灯った光を回収していった。
「あの深淵からどうやって……まさか、リジーが引っ張ったのか?」
アイルはリリーの行動を一部始終を見届けると、隣に立つリジーに尋ねた。
死ぬ運命にあったシェリー達を救い、混沌の魔法すらも消せたリジーの魔法はすでにアイルと並び立つほどに洗練されている。深淵に潜れるリジーなら、逆にリリーを掬い上げることも可能だろうと言う結論だった。
「前に深淵で会った時、リリーにお願いされたんです。ハイドを看取りたいって。それでリリーが内側から道を作って、私が外と内を繋いだんです」
リジーはアイルに頷いて言うと、右手に持っていた魔法具を地面に置いた。
先ほどまで魔法を行使していただろう魔法具が役目を終えたように光を失う。その上を浮いたリリーが新たに光を灯した。
「ごめんなさい、アイル様。ハイドは人の道を外れてしまいましたが、それでも私の血の繋がったお父様です。だから娘の私が看取りたかったんです」
ハイドを眠らせた魔法を胸にしまったリリーは、長い息を吐き出した。ハイドは長きに渡り多くの人の命を弄んできた罪があった。それこそ、未来永劫を深淵で過ごさねばならないほどの罪を背負っていた。
しかし、リリーはハイドを死の国で眠らせることにした。彼はすでに気が狂うほどの時間を生き、十分すぎるほどの苦しみを味わったのだとアイルに説明した。
「そうか、お主がそれを選んだのなら妾は何も言うまい……ただ、そうなるとハイドの罪はリリーが代わりに背負うことになるではないか?」
アイルはリリーに寂しげな視線を投げた。
リリーはハイドが死ねば深淵から解放され死者の国へと行くはずだった。それをハイドの代わりに罪を背負うとなれば、彼女は再び深淵に囚われ、もう二度と戻れないことを意味していた。
リリーはアイルの言葉を肯定するように頷いた。そして、ジークに目を合わせると困ったような笑みを見せた。
「リリー様、どうしてそんな……どうしてリリー様だけが救われない選択をされたのですか」
ジークは声を詰まらせてリリーに訴えた。もう会うことすらできないと理解して数千年、再会できた喜びも束の間に永遠の別れを突きつけられる。ジークの心は言いようのない焦燥感と怒りで一杯だった。
「ごめんね、ジーク。でも、これでいいのよ。私が生まれなければお父様はここまで狂わなかった。だからこの罪は、私の罪でもあるの」
リリーはジークに抱きつき、その背中を優しく撫でた。
愛しい人の温もりを忘れないために強く握りしめる。その手はすでに光に取り込まれ始めており、ジークの目で見てもリリーが薄れているのが分かった。
震える手でジークはリリーを抱きしめた。助けられないのなら、残された時間全てでリリーの存在を感じ取ろうとした。
「待ってリジー! そんなことしたら貴女まで連れ込まれてしまうわ!」
ジークが目を閉じた瞬間、今まで聞いたこともないリリーの悲痛な叫び声を聞いた。
目を開けたジークの目に飛び込んできたのは、歯を食いしばったリジーがリリーの背中に手を当てて魔法を構築している姿だった。
彼の見たこともない魔法は、深淵に引きずり込まれるリリーを必死に繋ぎとめようとしていた。
だが、リジーが発する力よりも、深淵がリリーを引き込む力の方が強かった。リリーの背中から現れた泡沫が、リリーはおろか、リジーさえも飲み込もうとその口を広げた。
「リジー! お願いだからジークを連れて私から離れて! このままじゃーー」
「だめ! リリーが一人だけ不幸になっていいなんて、私は認めない! 絶対助けるから!」
リリーはリジーを巻き込まないように懇願するが、リジーは語気を強めて否定した。自己犠牲のまま、リリーが消えてしまうことに我慢ができなかったのだ。
そして、泡沫はリリーとリジーを飲み込むと、ジークの前から姿を消した。




