第五百二話 水晶の館
アイルが住んでいる所は外観は古びれた屋敷だった。
年期の入った石壁は風化したように全体にヒビが入り、地面からは苔が広がり壁の下半分を覆っている。アネット山の麓の木が生い茂る土地に建っていることもあって、その存在に気づけないくらいだ。
一目見てもこんな僻地に神が暮らしているなど誰も考えないだろう。そう思えるほど自然に溶け込んだ屋敷だった。
だが屋敷の扉を通った瞬間、リジーは別世界に迷い込んだのではないかと錯覚してしまった。
屋敷内の壁は外の古い石壁とは全く違った。まるで磨きたてのようにツヤと光沢があり、石壁本来の白さがより引き立てられているようだった。
床と天井は半透明の水晶のようなものでできていた。天井は空から落ちて来た陽の光を投下するように全体が透き通っている。床は上からの光を吸い込み、乱反射によってキラキラと輝いていた。
そして最もリジーの目を引いたのは、屋敷の中を自由に飛び交う水晶達だった。
鳥の形を模したものは本物の鳥のように羽ばたく。四足歩行の小動物は床に寝そべり毛繕いの仕草をする。羽の生えた魚は床から飛び出しては再び床に入り、水晶の床は水面を再現するように見事な波紋を作った。
無機質の鉱物がまるで生き物のように振舞っている。アイルの屋敷の中は水晶の生き物達で埋め尽くされていた。
「すごく、きれいーー」
美しい水晶の世界にリジーは思わず言葉を失った。部屋中をキラキラした目で見回したリジーは、幻想的な世界を堪能するように感嘆の息を漏らす。
「ふふ、どうじゃ。ここの水晶達はなかなか生き生きとしておろう? 妾の自信作じゃ」
リジーのうっとりする表情を見たアイルは得意げに胸を張って言った。
アイルは普段は慈愛溢れる聖母のような雰囲気を見せるが、ごく稀に少し子どもらしい姿を見せることがある。それはアイルが得意な魔法を褒められた時だ。主人が久しぶりに見せる姿にパレイスは思わず笑みをこぼした。
「アイル様の魔法はいつ見ても惚れ惚れします。大胆な動きに繊細な魔力の流れ。どれもが極限まで洗練されている……ああ、素晴らしい」
リジーが隣にいることも忘れ、パレイスは恍惚とした表情で膝をついた。
アイルを絶対的な神と崇拝している彼にはいつもの姿であったが、いつもと違う雰囲気に隣にいたリジーは目を丸くした。
「これ、パレイス。リジーもおるのじゃからその姿勢はやめんか。妾が変な人と思われるじゃろう」
「はっ、私は一体何を……失礼しました。あまりの美しさゆえに見苦しい姿を見せてしまいました」
半目になったアイルが咎めるように言うと、パレイスはようやく現実世界に戻って来た。反省したように深々と頭を下げ、彼はアイルの後ろに控えるように立った。
アイルはパレイス以外の二人の顔を思い出して力なく首を振った。彼女に仕える者達は優秀だが、アイルを崇拝しすぎている節がある。パレイスですら先ほどのように視界を悪くすることもあるのだ。
しかし、彼らの奇行は今に始まった話ではない。
「全く、この間会ったばかりだと言うのにみんな浮かれおって、まあよいか。今はこっちの問題を解決する方が先じゃからのう。ほれ、リジーもそんなところにおらんと、こっちの席に座るが良い」
気を取り直したアイルはリジーを水晶でできた椅子に促した。
リジーはパレイス達のやり取りを見てアイルが気さくな神と気づいたのか、礼を述べると迷わず腰掛けた。その対面にアイルも同じように腰掛ける。
そこへ小さな盆を乗せた水晶の四足獣が現れ、リジー達の前に菓子と飲み物を机に広げた。そこにはリジーが特に好んで食べている銘菓達が並んでいた。
「リジーはお菓子が好きだと聞いたのでな。話さねばならんことは山ほどあるが、まずは一緒に食べぬか?」
呆気にとられているリジーをよそに、アイルは菓子をひょいとつまむと口に運ぶ。
甘いものには目がないのか、一口食む毎にアイルは目を輝かせる。相手は神だと構えていたリジーだが、アイルが菓子を嗜む姿には近しいものを感じた。
それに一緒に食べようと言われてしまえばリジーに断る道はなかった。
「はい、それではいただきます」
くすりと笑ったリジーはアイルが食べている同じ菓子を手にとって口に運んだ。甘い味が口いっぱいに広がり、リジーも目を輝かせる。
「これとっても美味しいですね。甘くてサクサクで、くどくもなく、程よくまとまっています」
「リジーは話が分かるのう。妾もこの食感には目がないのじゃ」
リジーが舌鼓を打つとアイルは楽しそうに笑った。菓子が好きな者同士は打ち解けるのも早いようだった。
そうしてしばらくの間、アイルとリジーの二人はパレイスが見守る中他愛もない会話を続けたーー
「よし、腹も膨れたことじゃろうから、そろそろ本題に入ろうかの」
菓子を食べ終えたアイルは一息つくとそう切り出した。飲み物を口に運んでいたリジーはカップを戻すと姿勢を正す。
「リジーに来てもらった理由は二つあっての。順を追って話そう」
咳払いを挟んだアイルはリジーの目をじっと見つめた。
「まず一つ目じゃが、リジーは命を狙われておる。まだ襲われておらんじゃろうが、近いうちに刺客がやって来よう。気をつけるのじゃ」
「……私の命を? 誰がーー」
アイルに尋ねようとしたリジーだったが、思い当たる節があり途中で言葉を切った。
深淵でリリーから教えられた情報が浮上する。
ハイドは己の力を強くするため、力を分散させて再び回収に走っている。その標的は生き残った姉妹とリリーの体から作られたリジーだ。アイルがわざわざ教えると言うことは、リリーの推理は間違いないことを示していた。
「私達を狙っているのは神の一人のハイド、そうですね?」
リジーが確認するように言うと、アイルは力強く頷いた。
「そうじゃ、妾の旧友だった男じゃ。なぜあの男が凶行に走るのか、その理由を知るには奴の過去を知る必要がある」
そう言うと、アイルは水晶でできた人形を二体取り出して机に置いた。髪が長い人形とそれよりも一回り大きい人形はかたかたと揺れると自立して動き始めた。
「これから語るのは、前文明のギエリスが繁栄するよりも前の話じゃ」
二体の人形が向かい合うと、アイルは過去に忘れ去られた昔話を語り始めた。




