第四百九十七話 深淵の姫君
姉妹は泣き始めると涙が止まることはなかった。
何百年と二人で支えあって生きてきた。ただ殺されるのを待つだけの運命に夢も希望もなかった。そんな絶望をリジーの一言が全てを変えた。
リジーの言葉は強く、それでいて優しい。彼女が側にいるだけで、メル達は今まで感じていた恐怖すら感じなくなっていた。
完全に安心した二人はリジーの胸の中で泣き続け、夜も更けた頃に疲れて眠りに落ちた。
リジーは静かに寝息を立てる二人を布団まで運び、あどけない寝顔を眺めて微笑んだ。
だがそれも一瞬のことで、リジーは二人の頭を撫で終えると早速準備に取り掛かった。
双子の素性と本音、そして敵の目的が分かった。そうなれば次の段階へ進む時が来たとリジーは覚悟を決める。
夜中ではあったが、水浴びをして集中したリジーは目的の場所を思い出しながら寝間着を羽織った。過去に偶然迷い込んだ場所に行くため、リジーは魔力を徐々に高め始めた。
そこへ眠っていたはずのシーズが現れ、四肢を投げ出すようにリジーの前で寝転がった。
「リジー、あそこは自ら行くところではない、危険な場所だ。それでも行くのか?」
シーズは腕を舐めながら気怠げに言う。どうやら寝ながらも聞き耳を立てていたようだった。次の行動を見抜かれたリジーは苦笑いで頷いた。
「深淵にいる彼女なら、敵のことは何か知ってるかもしれない。それに、リリーには、今会いに行かなきゃいけないような気がするの……だから私、行ってくるね」
リジーは心配そうに見上げるシーズの額を撫でた。
これは彼女の直感だ。
村が襲われた原因はその地に封印されていたハイドの力だ。同じくハイドの力を持つリジーは遠からず関係がある。もし仮に、村を襲った男が村の魔力以外の力も求めているなら、いずれ接触してくる可能性が十分にあった。
だからこそリジーはリリーに会いに行くことにした。
リリーがハイドの力を持っていた理由は今まで不明だったが、メルの話を聞いて、リジーにはある仮説が浮かんでいた。それを確かめるためには当事者に聞くことが一番だ。
主人の決意が揺るがないと知ったシーズも、腹が決まったように頷いた。
「分かった。それなら帰ってきてからの補助は任せろ。この手のことは昔よくやったから得意だからの」
シーズはそう言うと自身たっぷりに笑った。リジーもシーズに笑い返すと、
「ありがと。それじゃ、行ってきます」
と言って椅子に深く腰掛け目を閉じた。リジーが目指すはリリーの意識が存在する深淵。魔法で意識を切り離したリジーは死者の間へと向かった。
リジーの首は力が抜けたように垂れ下がる。倒れそうになる体を魔力で支えたシーズは、そのままリジーの膝に収まった。
「リジー、深淵では気をつけるんだの」
静寂に包まれる中シーズがポツリと言った。そしてリジーがいつでも戻れるように意識を研ぎ澄ましていった。
リジーが死者の間に入ったのはこれで五回目だった。最初の三回は無意識の内に飛び込んでいた。そこで自らが殺した教師と邂逅して和解し、自らの力を自覚した。
四回目は戦争が終わってからしばらく経ってからのことだ。その時、リジーは自分の意思で意識を切り離して潜り込んだが、誰にも合わずに帰った。
本当は会って話したい人がいたはずだったが、死者の間に降りた瞬間、リジーは思い直したようにすぐに浮上した。
そして今回、双子を守る決意をしたリジーは再び死者の間に向かった。暗い水底に沈むようにリジーの意識は沈み続け、やがて足が硬い床に触れてリジーの降下は終わった。
暗く何もない空間に薄っすらと光が灯る。これまで訪れた時と同じ死者の間が広がっていた。
以前自力で潜ったリジーは、何の問題もなく辿り着けたことに安堵の息を漏らす。
「ここは相変わらず静かで暗いですね。ごめんなさい、でも通らせていただきます」
薄暗い空間にリジーの声が吸い込まれて行く。
リジー以外に誰もいないはずだったが、リジーの目の前で僅かに光が灯った。小石よりも小さな光は弱弱しく明滅して奥へと流れて行く。まるでリジーの行き先を灯す道しるべのようだった。
リジーは導かれるようにその光に従って暗い空間を歩き始めた。
いつまで続くとも知らぬ暗い道をリジーは力強く踏み出す。道を誤れば深淵に辿り着くことはできず、生きて帰ることもできない。そんな危険な道だと知っていてもリジーは涼しい顔をして前に進んだ。
ふわふわと揺れる光は時折り進行を止めるとリジーの目の前を旋回する。まるで彼女が道を間違えていないか聞く人しているような動きだった。
そうして淡い光に導かれたリジーは死者の国のさらに奥へと進んだ。そしてどれだけ歩いたのか、リジーは気が付けば光の粒が周囲に漂う空間に移動していた。リジーを先導していた光はその中に埋もれて見えなくなる。
リジーはすでに死者の間を抜けて深淵へと到達していたようだった。
「私以外に意識を保ってるなんて、珍しいお客様ね」
光の中から鈴を転がしたような美しい声がリジーの耳に届く。懐かしい声に口元を緩めたリジーは声のした方へと振り向いた。
リジーの背後には黒髪の少女が目を閉じて浮いていた。漆黒の衣装を身に纏った少女はリジーの目の前に降り立つとゆっくり目を開ける。
「やっぱり貴女だった。久しぶり、リジー」
リジーと全く同じ姿をしたリリーは、少女の姿を目にして柔らかい表情を見せた。
「リリー、久しぶり。少し知りたいことがあるんだけど、聞いてもいい?」
「もちろんいいわよ。私もリジーに話しておきたいことがあるの」
二人はまるで旧知の仲のように挨拶を交わすと、どちらからともなく微笑んだ。




