第四百八十八話 学院長の朝
リジーは難しい顔をしながら朝食を食べていた。起きてすぐなのか、寝間着姿のリジーの黒髪は所々が跳ねて肩にかかっている。自身の姿を気にも止めないリジーは黙々と朝食を口に運ぶ。
孤児院の窓から差し込む光が眩しいとか、寝起きが悪かったと言う訳ではない。昨日シェリーから受け取った文書のことで頭が一杯だったのだ。
リジーが受け取ったのはリズ女王からの依頼書だった。
戦争が終わってからもリズとは変わらず姉妹として接していた。それは魔法学院長と女王という肩書きを持ってからも変わっていなかった。
もちろん普通に手紙のやり取りもしていた。そんリズから王族として正式な依頼書を送ってくるのは初めてのことだった。
何かよくないことが起きているのだろう、と思ったリジーの予想は当たっていた。
リズから送られてきた書簡には、セレシオン王国のとある村人達が惨殺されたという事件が発生し、その調査に協力して欲しいいう内容が書かれていた。
他国の、しかも僻地の村で起きた怪事件。多忙なリジーなら普段は他人事のように感じていただろう。
だがこの事件はリジーの興味を強く引きつけた。というのも、殺された村人達は珍しい黒髪と赤い瞳をしていたからだった。
リリーの血を引く者以外に黒髪と赤い瞳をした人間はいない。他にいるとすれば神と呼ばれる者達だけだ。殺された村人達がただの人ではないことは明らかだった。
彼らから近しい何かを感じたリジーは、リズの要請を引き受けることにした。
そして今日は王都でリズから正式に依頼を受ける日である。久しぶりに感じる緊張にリジーは落ち着かなかった。
だがいくら気を揉んでも仕方ない。気持ちを切り替えたリジーは上下を白で統一した衣装に身を包んだ。
「んお? もう出かけるのか?」
リジーが鏡の前で髪を梳かしていると、外の散歩から戻って来たシーズが言った。青く美しい毛並みをふわふわと揺らし、リジーの近くに寝そべる。その背中には戦利品のような干し肉が浮いていた。
「うん。謁見にはまだ時間はあるけど、学院にも寄って行くから、早めに出ようと思ってるの」
シーズの背中を見なかったことにしたリジーは、身だしなみを整えることに集中した。
リズとは旧知の仲とは言え、今日は女王と学院長の立場での会談だ。リジーの苦手な化粧をしなければならなかった。
そうして、リジーがうんうんと悩みながら化粧する様子をシーズは暖かい眼差しで見つめていた。
「それじゃ、シーズ、留守の間はよろしくね」
「ああ、リズによろしく言っておいてくれ」
ようやく身支度を終えたリジーは鞄を持つと、見送りに来たシーズの額を撫でた。そして、リジーは誰も起こさないように戸を開け孤児院を出た。
差し込んでくる朝日に目を細めたリジーは、手に持っていたつばの広い帽子を被り、町の中心にある学院棟を目指した。
彼女が住んでいるのはベネスの中心から少し外れた所にある孤児院だ。リジーは魔法学院の学院長を務める傍ら、戦争で親を失い行き場を失った子供たちの面倒を見ていた。
一人二役は多忙だったが、シーズとシェリー、その他多くの人達の協力もあってそれなりにうまく回っていた。
魔法学院が近づいてくると、早朝から魔法の練習をする生徒達がちらほらと見えてくる。おそらく大事な試験が控えているのだろう。魔法に勤しむ生徒達の顔は皆真剣だった。
そんな彼らを優しく見守り通りすぎる。時折り挨拶してくる生徒に返事を返しつつ、リジーはベネスの空気を満喫した。
またすぐに戻ってくることになるが、この一年はずっとベネスで過ごし街を見守って来たのだ。いざ王都に行くとなるとリジーはつい感慨深くなってしまっていた。
そうして十分外を歩いたリジーは、魔法学院に着くと真っ直ぐ副学院長のいる部屋へと向かった。
留守にしている間、魔法学院を任せる相手に挨拶しておこうと思ったのだ。
目的の階まで登ったリジーは突き当たりの通路で探している人物を見つけた。
「おはようございます、フォセットさん」
リジーは小走りで近づきフォセット副学院長に挨拶した。窓の外を見つめていたフォセットはリジーの到着に気づくとにこやかに振り返った。
「お待ちしておりましたよリジー殿。今日も気持ちのいい朝ですな」
フォセットはそう言うと奥の扉を開け、学院長であるリジーを招き入れた。
そしてリジーが奥の席に腰掛けると、いそいそと飲み物の準備に取り掛かった。そんな甲斐甲斐しく動く初老の男性をリジーは不思議そうに見つめた。
リジーはフォセットが学院長を務めていた頃の卒業生だ。ベネスが魔法学院の街として再建されると決まった時、リジーは彼が学院長に就くものと思っていた。
だが、彼は時代が変わったと言って副学院長を希望し、リジーを新しい学院長に推薦した。
それからと言うもの、彼は自らの経験を生かしてリジーの業務を支えて来た。街の復興と魔法学院の建設、さらには孤児院の運営にと多くのことを抱えていたリジーには彼の助力には何度も助けられたものだった。
フォセットから飲み物を受け取ったリジーは礼を言って深く腰掛ける。リジーが一息つくのを見届けたフォセットは孫を見るように笑みを溢した。
彼がリジーを手助けするのは何も彼女が元生徒だからではない。
新しい時代を担う英雄がどんな輝きを見せるのか、それを間近で見ていたかったのだ。変わり行く街で眠りにつくその時まで、新たな時代が芽吹くのを見守る木のようにフォセットは穏やかだった。
「今日は王都へ行かれるのでしたな。ご安心を、このフォセットが留守の間はお守りしますとも」
少女が口にする前にフォセットはそう言って切り出した。昨日時点で既にリジーの業務を請け負うと決まっていた。だが、律儀な学院長なら当日も挨拶に来ることは、フォセットにはお見通しだった。
先を越されたリジーは驚いたようにフォセットを見上げる。その先には、暖かく見守る副学院長の笑みがあった。
「私のことは全部お見通しみたいですね。それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
リジーはそう言って口元を緩めると、朝日が差し込む窓に目をやった。窓から見える景色は建設中の別棟と青く澄んだ空だった。
一年振りに皆と会える。
王都での再会に思いを馳せるように、リジーは胸元に手を当てた。




