第四百八十七話 黒の事変
セレシオン王国のアレク・ドイハールは難しい顔をしながら議長の顔を見つめていた。
大陸を揺るがした混沌との戦争から三年、戦後の復興もようやく安定してきた。束の間の休息を取ろうとした矢先、悩ましい問題を突きつけられては誰でも難しい顔をするものだ。
「では、この一件はアレク殿に一任すると言うことで、本日の王国貴族会議を閉会する」
議長の解散の宣言に合わせ、集まっていた面々が大講堂から退室を始めた。
セレシオン王国貴族議会。この国で政治の中枢と呼ばれる場所だ。もちろん、政策の決定は国王がすることになっているが、政策実行までの準備はここで受け持っている。
そしてこの場は何も政策だけを話し合う場だけではない。国内で起きている特に注視すべき事案についても、ここで対策を練ることがある。だが事案こそがアレクを悩ませる種となっていた。
「さてどうしたものか……」
他の貴族達が立ち去る中、椅子に深く腰掛けたままのアレクは腕を組んで手元の資料に目を落とした。
彼に任された事案はとある殺戮事件だった。
セレシオン王国はアトシア大陸の西側の大半を治める大国だ。千年前のクーチェ王から始まったこの国は、時の流れと共に小国をいくつも吸収して発展してきた。
その小国の中の旧バレイント小国領内の村が襲撃されたという知らせが入った。生き残ったのは二人の子どもだけ。その他の村人は全員殺されてしまった。
一人二人が襲われたというだけなら貴族会の議題に出ることはない。地方の兵士で対応させるだろう。
だが、村人全員が虐殺されたとなれば話は違ってくる。そしてもう一つ、襲撃された村がその領内でも特殊な地域だったことが王国議会に取り上げられるきっかけとなった。
その村人達は全員が黒い髪に赤い瞳という容姿で、優れた魔法技術を持つ集団だった。アトシア大陸の人間は栗色の髪に青い瞳なので、彼らは余所者という目で見られていた。
だが今の時代では難しい魔法理論も独自に保持しているため、セレシオン王国は彼らから知恵を借りることも幾度とあった。
普段その村人達は外に出ることはない。近くの村と交流することもない。それでも彼らは必要な時に、求められた魔法の知恵と技術を分け与えていた。
そんな恩のある村人達が一夜にして惨殺されたのだ。セレシオン王国が本腰をいれて調査するのは当然だった。
「しかしどうしたものか。襲撃の目撃情報がないとなると……取れる選択肢は限りなく少ないな」
唸るように言ったアレクは、悩んでいても仕方がないと切り替えて立ち上がった。
セレシオン王国はこの事件を解決すると決めた。それを任された以上、彼に退くという選択肢はなかった。そして何よりも、殺された者達を放っておくことはできないと、アレクの正義感が働いたのだった。
「また厄介なことを任されましたね、アレク将軍」
アレクは大講堂を出たところで外で待っていた青年に呼び止められた。
癖っ毛の強い青年は軍の制服をきっちり着こなし、壁に肩を預けていた。顔立ちも整っている美男子ということもあって、彼の一帯だけ花が咲いているようだった。
青年はアレクに笑いかけると彼の荷物を持って横に並んだ。
「いつも言っているだろう。将軍はよせ、フロット。私はもう軍に所属していないんだ。それに、今は君が将軍様だろう?」
フロットに荷物を奪われたアレクはわずかに目を細めた。
大陸戦争が終わった後、アレクは将軍の地位を降りて一貴族になった。
彼の年齢的にはまだ現役を貫けたが、戦争の復興を最優先すべきと判断した彼は、動きやすい地位に降りることを決めた。公には一つの時代が終わりを迎えたと公言し、国王付きの顧問官となった。
そして、彼の後釜として抜擢されたのが先の大戦でも活躍したフロットだった。
「そうは言っても、アレクさんは私の中では完璧な上司なんですよ。将軍とお呼びしているのは私の敬意の表れです」
アレクのぼやきにフロットは肩を竦めて言った。将軍の地位をいきなり任された事はフロットは気にしていなかった。むしろ名誉な役割を与えられ、戦争の時よりもやる気に満ちているくらいだ。
しかし、父のように思っていた人が前線を退くのはやはり寂しい。戻ってきて欲しいとは言えず、荷物を持つ手に力が入った。
「まあ、無理にとは言わないさ。私が将軍だった期間は長いし、未だに間違われることもあるからな。その内変えてくれればいいよ」
フロットの表情を見たアレクは彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。退いても慕われることの気恥ずかしさを隠すように少し乱暴に撫でる。だがフロットには照れ隠しなのが丸わかりだったようで、撫でられながらも彼は嬉しそうに歯を見せていた。
「そう言えば、今回の事案はどうなさるおつもりですか? アレク将軍の頼みならいくらでも手を貸しますよ?」
会議棟を出て城に向かう道中、フロットは思い出したように言った。
先の会議に出ていたフロットは、今回の襲撃事件が厄介なものなのは理解していた。
敵の規模も目的も不明。襲撃の跡はあるが、敵に繋がる痕跡は一切見つかっていない。そのため敵の存在すらも特徴が分からない。どこから手をつければいいのか全く分からない。まさに八方塞がりな状態なのだ。
「まずは生き残った双子に会う。その子達なら何か知っているだろうからね。それから、ストルク王国に応援要請を出そうと思っている」
「ストルク王国にですか?」
フロットの素っ頓狂な返事にアレクは頷いた。
自国内で起きた事件に、他国の応援を頼むのは余程のことでない限り起き得ない。それでも今回の事件にはどうしても関わるであろう人が一人、ストルク王国にいるのだ。
「友人のリジーに協力してくれるように、リズ女王に書簡を送るのさ」
執務室に入ったアレクはそう言うと、早速文書を認め始めた。久しぶりに会う少女達の姿を思い出しながら、アレクは丁寧な文字を並べていった。




