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第四百八十三話 姫と騎士

 リリーは舞い上がりそうになる気持ちを抑え、向かいの席に彼が来るのを今か今かと待っていた。


 人質事件から一節が過ぎ、国王に希望を出し続けてようやく叶った。また会いたいと思っていた彼がもうすぐ部屋の扉を開けて入って来る。


 無意識にそわそわとしていたリリーは、椅子に座ったままふやけた顔を見せていた。


「リリー様。ジーク様が来られるのが楽しみなのは分かります。ですが、仮にも護衛として彼を迎えるのですから、そのようなお顔で迎えられるのは王女としての威厳がなくなりますよ」


 彼女の斜め後ろに控えていた女中がやんわりと言った。王女付きの女中はリリーの顔を見ずとも彼女がどう感じているのか分かっているようだった。


 主人の気持ちを汲みたい思いは残しつつ、王女としての振る舞いを求める。


 浮かれ気分だったリリーは女中の言葉にハッとして顔をあげ、首をぶんぶんと横に振って表情を引き締めた。


「わ、分かっています……王女は努めていつも冷静に、それでいてにこやかに、です」


 膝の上できゅっと手を握ったリリーは深呼吸を繰り返した。


 王女らしい振る舞いは後ろの女中から叩き込まれ続けている。目を閉じて何度か深呼吸すればいつものリリーに戻っていた。


 武装集団に人質にされた経験が、彼女に王女としての強い自覚を芽生えさせたのかもしれない。

 凛々しい姿勢になったリリーを見て女中は内心で頷いた。女中の指摘が終わると再び部屋は静かになる。


 それからしばらくすると、王女の扉が静かに開き、音もなく別の女中が入って来た。


「リリー様。ジーク様がお見えになられました。お通ししますね」

「ええ、通してちょうだい」


 リリーの返事に女中は優雅に腰を折り退室する。そのすぐ後に入れ替わるようにジークが姿を現した。こつこつと小さく靴音が響く。応接室の机を挟んで立ち止まったジークはリリーに敬礼の姿勢をとった。


「王国第二駐在団、中騎隊長のジークです。陛下の命により、本日付でリリー様の護衛騎士に着任いたします。騎士の名に恥じぬよう、命をかけてお守り致します」

「ええ、これからよろしくね、ジーク」


 ジークの敬礼に微笑みを返し、リリーは小さく手招きした。


 王からはリリーの命令はできるだけ聞くようにと言われていたジークは素直に従う。リリーの向かいの席の前に立つと、ジークは確認するように目を合わせた。


「座ってちょうだい」


 リリーが促すように手を広げると、ジークは「失礼します」と短く答えて腰掛けた。


 音も立てずに椅子を引き、静かに腰掛ける。そしてリリーに勧められた飲み物も優雅に口をつける。相当の練習を重ねてきたのだろう。その姿はとても村上がりの人間とは思えないほどの美しさがあった。


 彼が僅か数年で中騎隊長に任命されたのも納得できる。弛まぬ努力を続けていけることが彼の美徳なのだ。

 そう確信したリリーの口はまた無意識に緩んでいた。


「リリー様? いかがなさいましたか?」


 ジークは遠慮がちに話しかけるが、その目には強い意志が宿るように光る。


 新しい主人、リリーのことは国王からも同僚からも聞いていた。彼女の性格や好きなこと、嫌いなことも知っている。

 それでも彼女の本質を見るためには、やはり直で見なければ分からない。リリーの挙動を見逃すまいと、ジークは真面目に見つめた。


 だが、突然ジークに見つめられ、リリーはそれどころではなくなっていた。


 ち、近い! ジークの顔が近い! こんな時、なんて言えばいいの!?


 気になっている異性から熱い視線を注がれる。ジークの宝石のように美しい瞳に吸い込まれそうになったリリーは胸に手を当てた。

 胸の激しい動悸が手に伝わる。どくどくと脈の音が聞こえ、顔が赤くなる。


「な、なんでもないの! それより、き、今日は来てくれてありがとう」


 ジークの前でぶんぶんと顔を振ったリリーは、火照った顔を冷ますようにぱたぱたと手を振った。


 最初の凛々しい雰囲気から一転、リリーはどこにでもいる恋する乙女に変わる。女中に直前に言われた言葉など、すでにリリーの頭にはなかった。

 乾いた喉を潤そうといつものように飲み物に手を伸ばす。


 普段のリリーが表に出たと気づいた女中は内心でため息をついた。


「リリー様、心配なさらないでください。貴女の身はこの私が必ず守ってみせます。反王国組織にもう二度とリリー様を触らせないと約束しますよ」


 主人を観察していたジークは、リリーが緊張していると見抜いて安心させるように言った。


 ただ、彼が少し勘違いしていたのは、彼女のぎこちない仕草は、人質に取られた時の恐怖がまだ抜けていないのだろうと思ったことだ。決して他意はなかった。


 だが既にジークのことで頭がいっぱいだったリリーは、再び優しい微笑みを見せられて息が止まった。


 ひゅっと喉を鳴らしたリリーは、手に持っていた飲み物をひっくり返す。それは綺麗な弧を描きながら宙を舞い、ジークの頭にかかろうと迫る。


 普通の人間であれば反応も出来ずにずぶ濡れになっていたことだろう。だがジークの類稀なる反射速度の前では、飛び散る水滴も当たらなかった。


 ジークは片手から広げた魔力でリリーがひっくり返した飲み物と器を空中で受け止めた。そして時が巻き戻るように器に飲み物が戻り、リリーの手に収まる。


「ご無事ですか? リリー様?」


 そして一息ついたジークはリリーの身を案じるように言った。だがその言葉はリリーの耳には届いていなかった。


「まあ! すごいわ! ジークってこんなに器用なのね!」


 リリーは目を輝かせてジークを見た。

 今まで綺麗な魔法を見てきたリリーでさえも、ジークの魔力操作は魔法のように見えたのだ。


 彼の洗練された魔法に興味が引かれたリリーは、ジークに別の魔法を見せて欲しいとせがむ。直前までの緊張はどこかへ消え、好奇心旺盛な少女のように身を乗り出していた。


 彼女の変わりぶりにジークは面食らうも、いい方向に気が逸れたのだろうと微笑んだ。


 それが自然と出た笑みだったことはジークは気づいていない。柔らかい笑みをもう一度見れたリリーは、天にも昇りそうな気持ちでジークの見せる魔法を楽しんだ。

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