第四百八十一話 混沌の終焉
ベルネリア山の麓で青い閃光が走った。それは戦いの終焉を知らせる光。ジークが最後にリジーに託した魔法弾が混沌を破壊する光だった。
強く輝くも眩しくない光は空まで照らし、それはまさに新しい世界が開かれていくような光景だった。
常に闇の中にいた混沌は激しい光に貫かれ、体が崩壊していくのを感じた。だが魔核が破壊されても痛みを感じることはなかった。
それは魔核を包む青い光が優しい温もりを与えていたからなのかもしれない。
憎たらしいほどのアイルの慈愛を垣間見た混沌は、忌々しいと首を振って黒髪の少女に目を向けた。
初めはリジーを殺すのはアイルに挑む前の余興と考えていた。数万年ぶりの復活で感覚が鈍っているから肩慣らしに丁度いい相手だと。
それが誤算だった。少女は混沌よりも純粋に強かった。少女は神をも超える強さを見せて混沌を圧倒したのだ。
混沌は光から逃れようと手を伸ばそうとしたが、すでに意識が乗り移った体から切り離され動くことはなかった。
『ちくしょう。俺は、また負けるのか。それも、こんな年端もいかない小娘なんかに……』
最後にリジーを睨みつけ、混沌の意識は青い光の中で焼失した。
その淡い光の中で、リジーは一人立って涙を流していた。
ジークとの約束を果たしたリジーは失った悲しみと、愛する人との思い出を噛み締めていた。
そして空を覆う優しい光が、ジークを無事に死の国に導いてくれることを願ってリジーは空を見上げた。
「さようなら、ジーク。あなたと一緒に過ごした時間は短かったけど、私にはかけがえのない日々だったよ」
別れの言葉を紡ぐとリジーの頬からも涙がこぼれ落ちた。
辛い戦いの中でもジークと過ごした日々は暖かかった。
それはジークに恋をしたことだけではない。心から信頼して常に寄り添い続けてくれた、そんないつもの日常が輝かしいものだった。
だがいつもの日常はもう戻ってこない。ジークの消えた空を見て、リジーは胸を抑えて泣いた。
もっと一緒にいたかった。もっと抱きしめて欲しかった。もっとーー
二度と届かない思いがリジーの心をかき乱す。いつか来る別れは覚悟していた。その時が訪れても思い出を大事にしようと思っていた。それでも、失ってすぐに受け入れられる訳もなく、リジーは感情の赴くままに身を委ねた。
空を照らした光が消えると、混沌の燃え残りのように、ぼろぼろになったベオが地面に転がった。
だが彼の魔核は破壊されたところを無理やり動かしていたため、リジーがその姿を見つけた時には体が崩れ始めていた。
「お、俺は……死ぬのか? そうか、やっと……やっと死ねるんだな」
薄目を開けたベオはぽつり、と安堵したように言った。
自分の身に何が起きているのかは知っている。混沌に支配されながらも朧げに覚えていたベオは、体の崩壊に気づいてようやく体の力を抜いた。
混沌の支配から解き放たれ、ベオの意識は数千年ぶりにはっきりとした感覚を味わっていた。
今までの行いは彼の欲望が生み出したものだが、果たしてそれは彼のものだけだったのだろうか。そう思うほどに、ベオは空の青さと今の心の晴れやかさを重ねていた。
「すまないな、ジーク。今すぐそっちに行ってやるから待っててくれ」
ベオはすでにこの世からいなくなった友に詫びた。
死の国で会った時は先に謝ろう。数千年、離れていた時間は長かったが、変わらずに接しようとしてくれた友は許してくれるかもしれない。
空に消えた友に思いを馳せ、ベオはゆっくりとリジーに目を向けた。
「お前の勝ちだ。さあ、仇を取れ。俺はもうすぐ消滅するぞ」
ベオはリジーの足音を肌で感じ、ついに終わりが来たのだと目を閉じた。
リジーは溢れる涙を拭い、消え行くベオを見下ろした。彼の体は至る所に裂傷があった。
それは今日の戦いだけで受けた傷だけではなかった。人間が数千年と受けてきた傷が刻まれているようだった。
混沌の支配から解放され、今まで受けた傷が浮き出たのだろう。血の滲まない傷跡は痛々しく、不死の呪いを受けた男の悲劇を物語っていた。
「ベオさん、一つだけ、聞いてもいいですか?」
リジーは混沌を見下ろしたまま言った。
手に持っていた神器は使わないと言わんばかりに鞘に戻す。少女がとどめを刺す気がないと知ったベオは深くため息を吐いた。
「何だ、俺を殺さないのか? どこまでも甘い奴だな……だが死ぬ前の会話も悪くない。時間がないから一つだけなら答えてやる」
ベオは目を閉じたままぶっきらぼうに言った。しかしその物腰は柔らかく、友と話すような態度だった。
男が丸くなった姿にリジーは驚く。だが予想していたことの一つだったのか、すぐに元の表情に戻った。
「それなら一つだけ。私達リリーのこと、本当はどう思ってましたか?」
ベオはリジーの問いに僅かに思考を止めた。リジーには詰問されると踏んでいたが、聞こえてきたのはただ気持ちを聞くだけのものだった。
実験によって生み出された少女は現実を受け入れ、その上で生み出したベオを許したのだ。
薄目を開けてリジーの姿を捉える。
少女の赤い瞳には一切の迷いがない。強く美しい、そして懐かしい輝きがあった。彼女は本当にリリーの生まれ変わりのようなだ少女だった。
心の中で言った混沌はふいと首を横に向けた。
「お前はリリーじゃない。だから俺は何とも思ってはいない。だが……生みの親として言うなら、お前は強く美しかった。だから、お前は、俺達の分まで生きろ」
ベオはそう言うと、最後にもう一度リジーを見た。普段作らない表情が出ていたが、ベオはそれには気が付かなかった。
そして、全ての禍根が消えるように、ベオの体は跡形もなく消えた。
リジーは最後に見たベオの笑顔を脳裏に焼き付け、再び空を仰いだ。
雲ひとつない空が二人を再会させてくれることを願って。




