第四百四十一話 意思なき少女
オーヴェルは無謀にも突っ込んできたクライオに不快感が募っていた。
今表に出ているクライオは、かつてオーヴェルが彼を操った時に生まれた人格だ。その人格は元の人格の理性を取り払い、欲望を増殖させた醜悪な存在のはずだった。
それが今、更生したように人間らしい言葉を吐き、正義の味方のように戦っているのだ。
常に日陰に立っていたオーヴェルにとって、それは自分の存在を否定されるようなもの。クライオの行動は一つ一つが気に入らないことだらけだった。
迫り来るクライオに向かって魔法弾を連射する。だがその攻撃はアルスメルテの腕輪が作り出した防御魔法によって全て弾かれていく。神器ベールから直接攻撃しても、軽く弾いてしまうほどだった。
アルスメルテの腕輪はクライオの思いに応えるように徐々に強力な魔法を発動する。それはオーヴェルが扱っていた時よりも強力で、次第にオーヴェルは強い焦燥感に支配されていった。
「消えうせよ! 消えうせよ! 消えうせよ! 忌々しい光め、わしの前から、消えうせよ!」
オーヴェルは狂ったように叫び、クライオに攻撃を繰り返した。だが腕輪の力を身につけ、青い光を放ち始めていたクライオには効かなかった。
全ての攻撃を魔法で完全に相殺し、引きつった顔で喚くオーヴェルに接近する。
「くらえ、オーヴェル!」
最後の魔法弾を弾いたクライオは、雄叫びをあげて剣を振り下ろした。腕輪の魔力を備えた剣は青白い筋を残してオーヴェルに迫った。
だがクライオの渾身の攻撃はオーヴェルに届かなかった。突如、横から伸びてきた剣によって攻撃を止められてしまったのだ。
クライオの攻撃を止めたのは、虚ろな目をした黒髪の少女だった。まだあどけなさの残る少女は大きな赤い瞳をクライオに向ける。リジーをそのまま幼くしたような見た目に動揺し、クライオは体の自由を一瞬だけ奪われてしまった。
その瞬間を見逃さなかったオーヴェルは、
「かかったな! 消えろ!」
と叫んでクライオと少女に向けて最大火力の魔法弾をぶつけた。
灼熱の球に変化した魔法弾は、クライオ達飲み込み燃やし尽くそうとする。黒髪の少女はオーヴェルの命令に従っているのか、クライオの腕を掴んで炎の中に留めようとする。
クライオは身を焦がしながらも少女を抱えて炎の空間から逃げ出した。
体の一部は焦げたが、腕輪の防御魔法が間に合い軽症で済んでいた。クライオは黒い煙を上げながらも、体はすでに修復が始まっている。
だがクライオが抱えていた少女は、オーヴェルの攻撃をまともに受けていた。
体は至る所が焼け焦げ、血を流している。少女にすでに息はなく、クライオが抱きしめても小さな手が揺れるだけだった。
「オーヴェル、貴様……」
クライオは歯を食いしばってオーヴェルを睨む。
しかし、白髪の老人はそれを無視するように、黒焦げになった少女を見下ろした。彼女はこの施設で作り出され、意識が生まれなかったリリーの成り損ない。
それを処分せずに命縛法で支配し、新たなリリーを生み出す手伝いをさせていたのだ。
「やはり意思が宿らなければ足止めにもならんか。じゃが、力だけはあるようだから、囮としては使えるようだな」
そう言うと、失敗作の有効な使い道を思いついたと、オーヴェルは満足そうに頷いた。
それと対照的にクライオはどす黒い感情に支配された。目の前の醜悪な老人を一刻も早く消さなければ、と剣を強く握りしめる。
そんなクライオの表情を読み取ったオーヴェルは卑しい笑みを見せた。
「何をそんなに怒っておる? 貴様は奪う側の人間なのじゃろう? それなら、わしがこやつらをどう扱おうがわしの自由じゃ」
どんなものでも使いこなすのも実力の内。貴様が言った言葉じゃないか。
オーヴェルがクライオを嘲笑うと両手を広げて魔力を放った。
少しすると、薄暗がりからリジーとそっくりな少女達がゆらりと姿を現した。素足で歩くペタペタという音だけが不気味に反響する。
「さあ、お前達、命令を与える。目の前の敵を排除せよ」
その言葉がクライオに届くと同時、黒髪の少女達は大量の魔力を放出し始めた。
彼女達が放出した魔力量はオーヴェルが神器で使った魔力の比ではなかった。一箇所に集められた魔力は白く輝き始め、巨大な魔法爆弾を形成し始める。
だがその魔法弾は魔力を集中させるだけで、制御される動きは見られない。少女達が魔法爆弾を使っているのをクライオはすぐに見抜いた。
このまま爆発に巻き込まれれば、腕輪の魔法を使っても助かるかどうかは賭けに近い。この場にとどまるのは危険と判断したクライオは、一度離脱しようと転移魔法を発動させる。だがーー
「魔法が、発動しない……?」
クライオの焦った顔が頭上の魔法弾で照らし出された。
何が起きたのか分からないまま、なす術がなくなったクライオは眩いまでの光に包まれていった。施設ごと破壊する巨大な爆弾はクライオを容易く飲み込み、その体を塵に変えていく。
アルスメルテの腕輪を使っても、少女達の桁外れの魔力には敵わない。クライオは体を破壊する力に抗うことができなかった。
くそっ……やっとここまで来たのに、僕等ではオーヴェルに勝てないのかーー
薄れる意識の中、クライオは自らの無力さを嘆いた。リジーから神器に相当する魔法具を渡されても、満足に使いこなせず、粋がった割には何もできずに消されていく。
握り拳を作りたくても、腕がすでになかったクライオは歯噛みすることしかできなかった。
そして、体がなくなる感覚が魔核に達しようとし、リジーに詫びの言葉を呟き始めたその時、突如として半透明の魔力がクライオを包み込んだ。
暖かい陽の光のような魔力を感じる。
クライオは目を開け、その不思議な光景に目を丸くした。クライオを中心に展開された分厚い魔法壁は、破壊の渦を外に押しのけ、彼の身を守っていたのだった。




