第四十四話 少女と決裂
リジーの話は衝撃的だった。
彼女が星の雫を継承したことにも驚いたが、その異質な魔力を肌で感じていたためすぐに飲み込めた。ただ、それ以外の話は受け止めるのに時間を要した。
ストルク王国の現状、キンレーン王子の凶行、そして、この戦場に張られた魔法陣。さらに、この一連の騒動に暗躍する存在の示唆。
信じ難い内容ばかりだったが、彼女の話は無視できないほど現実味を帯びていた。
確かにこの戦争の理由は納得のいくものではなかった。自分の部下達にも調べさせたが、天教会の神殿をストルク王国が荒らした事実は見出だせなかった。
それに、その頃から国王の挙動が異常と感じることが多くなった。
以前まで温厚の塊と言われた陛下だが、まるで人が変わったかのように声を荒げることが多くなったのだ。
友好国のストルク王国に対し、敵意むき出しで戦争の準備を進めさせたところにも違和感を感じてならなかった。
状況は少し違うが、キンレーン王子の行動とも類似しているように思う。そのことをリジーに打ち明けると、彼女は目を丸くした。
「憶測の域は出ません。ですが、最悪の事態を考えるなら、両王国の王族は何者かによって支配されているかもしれません。二人とも支配魔法をかけられている特徴があります」
彼女の言葉に私は低く唸った。もしこれが何者かの企てだとするなら、その者の目的は一体何なのか。思い当たる集団が一つだけあった。
その集団は『灰』と呼ばれ、目的は不明だが、人を殺して魔力を集めている。
ここ数年で被害者が全国で出てきている。さらに、特殊な魔法具を流通させているので、かなり高度な技術を持った集団であることが予想されていた。
ただ、この組織は足取りが殆ど掴めていないのが現状だ。
魔力を吸収する魔法具は、金に困っている落ち目の商人に渡される。そこから裏取引で別の金に貧窮する者の手に渡っていく。
金に漬け込んだやり口だが、自らの手を汚すことなく魔力を回収できる効果的な方法を取っている。
それに、魔法具を直接扱っているのが商人であるため、例え軍に追跡されてもその商人を切り捨てれば追われることもない。
彼らはそこの引き際を良く理解しているので、商人にたどり着く頃には痕跡すら残していないのだ。
この事件はセレシオン王国を中心に起きていると思っていたが、どうやらストルク王国でも横行しているらしかった。
目の前にいるこの少女も被害者の一人のようだ。彼女が軍に所属しているのも親の敵討ちが目的らしい。
お互いの持つ情報を擦り合わせたことで、リジーの仮説が憂慮しなければならない事態であると分かった。
恐らくこの戦争は仕組まれたものだ。二大国間で戦わせ、大量の死者から魔力を集める。そんな非道な計画を進める者達がいる。
二人とも同じ結論に達したところで暫く沈黙が流れた。同じ答えが得られたところで今からどうするのか、心を決める必要があった。このまま戦争を始めるのか、それとも戦わずにどちらかが降参するのか。
リジーはすっと顔を上げた。彼女はすでに覚悟は決まっているようだった。
「私は、この戦争に勝利しなければなりません。アレク将軍、兵を引いてくださりますか?」
予想通りの答えが返ってきた。
彼女には負けられない理由があるようだが、それが何かを聞く気は無かった。これ以上彼女の身の内を聞けば情が移ってしまうだろう。
それに、私もセレシオン王国を守らなければならない。攻め入った側とは言え、不戦で負けを認めれば、他国に付け入られてしまう。
戦わずしての負けは国の死を意味する。ならば、せめて戦地に立ってセレシオン王国の誇りを示さなければならない。
リジーを見つめ返すと目が合った。
「残念だが、セレシオン王国も引くことはできない。君のような子供を相手にするのは良心が痛むが、祖国のため、負けるわけにはいかない」
リジーはそれを聞いても微動だにしなかった。既にこちらの答えは知っていたとでもいうような態度だった。
……いや、状況から見てどちらも引けないのは自明だったかもしれない。
「国の行く末を任された者なら当然の答えですね。この戦争が、どんなに歪んでいても、私たちは自分の信念で動くしかありません」
リジーはそう言うと、徐に右手を差し出した。決裂はしたが、互いを認めることはできる。彼女の小さな手を私の大きな手でそっと握った。
「このような形で君とは出会いたくなかったね。同じ国であれば、きっと頼もしい人だっただろう」
ふと、世辞ではなく本音が漏れた。自分でも驚くほど滑らかに。
すると、リジーは初めて笑みを見せた。今までの真面目な顔とは違い、年相応の娘達と同じような柔らかい表情だった。
彼女もこんな表情ができたんだな。そう思うと少しやるせない気持ちになった。
「私も同じ気持ちです。どうか明日は生き延びてください。これから殺し合う相手にお願いすることじゃありませんが」
「ふふっ、君は優しいようだね。明日は互いに全力で戦おう。それでも負けて、生き延びることができたら、君に協力しよう、約束する」
彼女の力は強大だ。例え、一人であっても『星の雫』を継承した者を侮ってはならない。
だが、一人でできることは限られてくる。アトシア大陸を戦禍に陥れた「灰」を探し出そうと言うならなおさらだ。
敗者は勝者に従うもの。彼女の目的が「灰」の殲滅なら、それは私の願いでもある。国に仇なす者達を燻り出す役割くらいは担えるはずだ。
「感謝します。それでは明日、戦場でお会いしましょう」
リジーはそう言うと魔力を高め浮き上がり始めた。浮遊魔法と言ってたが便利な魔法だ。
……明日に向けて対策を練り直さないとな、とぼんやり考えていると、リジーが振り向いて口を開いた。
「それから、私は子供じゃないですよ。こう見えても、十六歳ですからね」
それじゃ、と言い残してリジーは上空へと飛び上がり、あっという間に見えなくなった。私は彼女が飛んでいった方向をしばらく眺めていた。
「子供扱いは余計だったか。二万の軍を相手に物怖じせず、単独で乗り込んでくるくらいだからな。普通の精神ではできない。彼女は、もしかしたら……」
そこから先は口にはしなかった。それはあまりにも酷なことだからだ。
一体、どう言う状況になれば十六歳の少女に全てを押し付けられるのだろうか。
いや……もしかしたらこの現状も仕組まれているのかもしれないな。
そのことに頭を巡らせていると、後ろの方から複数の馬の蹄音が聞こえてきた。
思考の渦に飲まれかけていたのを無理やり現実に引き戻す。戦いはまだ始まってもいないのだ。まずは目先の戦いに向けて動かなければ足元をすくわれる。
「アレク将軍! よかった、ご無事なようですね!」
振り返ると副官のドルビーと彼の部下数名が駆けてくるのが見えた。
ドルビーは駆け寄ってくるなり魔法の検査を始めた。リジーに何かされていないか確認するためだ。私も大概は心配性だが、この男の右を出ることはない。
「ドルビー、心配掛けて済まない。私は大丈夫だよ。彼女には何もされていない」
「そうは仰いますが、無意識下で掛けられている可能性もありますから、最低限の確認はしますよ」
そう言えば、士官学校時代でもこんなやり取りをしたことがあったな。もう二十年も前の話だが。旧知の間柄になって、彼のことは知り尽くしていると思っていたが、昔のことは忘れるものだ。
「取り敢えず異常はなさそうですね。……全く、肝が冷えましたよ。作戦を練るところは慎重派だと言うのに、危険なところにはホイホイいくのはもう少し控えて欲しいです」
体に何の異常もなかったようで、ドルビーはブツブツ文句を言いながら離れた。
「そうは言ってもあの場面ではあれが最善だっただろうよ。下手を打てばあの場で戦争になっていたかもしれない。そうなってれば我々は負けていたよ」
「それは分かりますが、せめて用心で誰か連れていくこともできたと思います。今後の参考にしてください」
ドルビーはもう何を言っても無駄だと思っているのか、最後の助言は結構投げやりだった。
「それで、明日の作戦はどう変更されるおつもりですか?」
彼も状況は分かっているようで、切り替えが早かった。彼の部下たちも先ほどとは打って変わって緊張した面持ちをしている。
明日は楽に勝利できると思っていたら、いきなりあんな人間離れした敵と戦うことになったのだから当然だ。
「作戦を皆に伝える前に、後方支援の技術部隊長を呼んでくれ。行き当たりばったりだが、ないよりマシだからな」
それを聞いた部下の一人がすぐに馬を走らせて行った。他の部下たちも部隊長を集めるために戻って行った。
「敵は空から攻めてくる。かと言ってこちらにそんな技術はない。となれば、今ある技術を駆使して徹底抗戦しか手はない。幸い、彼女から貴重なヒントをくれたからそれを利用させてもらおう」
それが吉と出るか凶と出るか。アレク・ドイハール、生まれて初めての大博打が始まった。




