第四十三 星の襲来
セレシオン王国軍の総大将、アレク将軍は用意周到な人物だった。
例え敵軍が十分に準備できていなと分かっていても、抜かりなく作戦を練っていた。ストルク王国軍の規模はかなり少ない、と密偵から報告を受けても尚も慢心しなかった。
他の部隊長達はすでに勝利したように半ば浮かれていたが、アレク将軍はこれを厳しく律した。
圧倒的な戦力差があっても、地の利を活かせなければ負けることだってあり得る。それは歴史が証明しているのだ。
アレク将軍は、この荒原についてから兵達をさらに引き締めさせた。
ストルク王国にはローチェ将軍も健在だ。彼とは何度も合同訓練で一緒になったが、できれば戦いたくない相手なのだ。
「ストルク王国は十中八九、ローチェ将軍を起用するはずだ。今の時点で出国した報告がないところも彼の策略かもしれない。十分気を引き締めよう」
アレク将軍はジストヘール荒原に着いて初めての軍議でそう語った。彼の部下達もその一言で浮かれた気分を引き締め、戦地の最終的な下調べに走り出した。
だが、そんなアレク将軍もこの事態までは想定していなかった。いや、頭の片隅にはあった。
しかし、それは絶対に起きないことだと無視していたのだ。
それは突然空に現れた。近くを偵察に出ていた部隊が慌てて戻ってくるほどの強大な魔力が飛来したのだ。
かなり上空だったため、一体何が来たのか最初は分からなかった。
望遠魔法で確認した部隊によれば、それは人間の少女だったという。
その少女は、アトシア大陸に特徴的な栗色ではなく黒髪、そして赤い瞳であった。
その特徴もまた異質で焦燥感を掻き立てられた。
噂に聞いたことがある。セレシオン王国の辺境地に人を寄せ付けない村があると。その村に住む者は皆、黒髪に赤い瞳であると。
その者達は皆一様に魔力が高く、一人で十人分の魔力を持つとも言われていた。
少女はその村の出身なのか?
頭の中に不気味な感覚が渦巻いていた。
しばらくすると、肉眼でも確認できるようになった。それと同時にその絶望的な魔力も感じ取ることができた。
私は元々感知は鈍い方だったが、これほど離れていても、彼女の存在を強く感じた。
彼女は一体なんだ? 何の目的でこんな辺境地にやって来た?
こんな所に来るのはよっぽどの物好きか兵隊ぐらいのはずだ。
できればそのまま通り過ぎてほしかったが、残念ながら現実は甘くない。
彼女は上空を悠々と闊歩していた。まるで、地上にいる我々に関心がないかのように。
頭の中で今までにないほどの警笛が鳴り響く。あれに対峙すれば確実に負ける……。
いつの間にか額に汗が滲んでいた。
あの魔力で同じ人間とは思いたくないし、何よりこれから戦う相手だと考えたくなかった。
遠目で見ても、あれはストルク王国の魔法剣士隊だと分かる。特徴的なあの青い服は間違いなくそうだ。
「……アレク将軍、攻撃しましょうか?」
部隊長の声がどこか遠くから聞こえた。我に帰り見回すと、部下たちが真剣な表情で指示を待っていた。
あれに攻撃?
馬鹿言うな、今の軍の状態で攻撃できるはずがない。死にたいのか?
例え、第一陣の攻撃を打てたとしても、陣形の取れていない状況で反撃されればすぐに瓦解する。下手をすれば一気に勝負がついてしまうだろう。
「いや、こちらから手を出すのは賢明ではない。しばらく様子を見る」
思いもよらぬ存在の出現で皆浮き足立っていたようだ。私の返答を聞いて皆が静かになった。
上を見ると彼女は我々の真上にまで来ていた。
上空からだと眼下に我々がいるのは目についているはず。今は移動することなく周囲を観察しているようだった。
彼女が手を出してこないのは開戦前だからなのか、取るに足らない存在だからなのか。あるいは戦争とは無関係なのかもしれない。
そもそも空を飛ぶ魔法なんて聞いたことがない。そんな未知の魔法を使う相手に攻撃する気はなかった。
常に最前線にいる私は魔法師達の技術力はよく分かっているつもりだ。宙に浮く魔法について、少なくともセレシオン王国では理論の構築すらされていない。
仮にストルク王国が新体系の魔法を開発し、実用段階にきているのだとしたら、我が国は既に後手に回っている。技術力に差があればそれだけ戦いで不利になるからだ。
私は内心で最悪の事態を想定していた。ただ、それを部下達に悟られないよう努めた。大将が慌てれば指揮に影響する。
しばらくすると彼女に動きがあった。真っ直ぐこちらに向かって降りて来ているようだった。一瞬にしてテント内に緊張が走った。
少女は程なくして作戦テントの前に降り立った。
報告通り、黒い髪の小柄な少女だ。近くで見ると美しい。彼女の周りだけ花でも添えられているようだ。
たが、見た目に反して彼女の魔力は桁違いだった、十人分どころの騒ぎではない。
冷や汗が背中を伝う。
部下達も緊張しているようで、誰一人動かないでいた。
我々が動かないのを確認すると、少女は口を開いた。
「私はストルク王国のリジー・スクロウと言います。明日の開戦前にセレシオン王国軍の方にご挨拶に参りました。できればこの軍の将軍殿にお会いしたいのですが、貴方がそうですか?」
リジーと名乗った少女は私の前で礼をした。それは見惚れるほど滑らかな所作だった。
私は彼女を凝視したまま動けないでいた。
これまでの常識を覆すことが連続で起こった上、彼女の目的が全く読めなかったからだ。
通常、開戦直前に敵軍と対話することはあるが、前日に行うことは稀だ。それに、まずは使者を通して連絡し合うもので、直接将軍が対話することはない。
予告なしの奇襲、ということではなさそうだ。見たところ彼女は丸腰だし、武器を隠せる服装でもない。
「あ、ああ。私が指揮官を務めている。アレク・ドイハールだ。通例で挨拶をすることはないんだが、貴女の目的を伺ってもいいかな?」
私が警戒しながら答えると、リジーはもう一度礼をした。
「アレク将軍、でいいですか? できれば二人で話をしたいのですが、受けてくださいますか?」
彼女は申し訳なさそうに、作戦テントから少し離れた場所を指し示した。
今ここで部下達から引き離されれば殺されるかもしれない。この場にいる者は皆同じ考えだろう。しかし、ここで一斉に仕掛けても返り討ちに遭う可能性が高い。その現実を前に誰も動けずにいた。
「私に攻撃の意思はありません。ただ、この戦争の不可解な点を確認したいだけです」
リジーは淡々と話す。それと同時にさっきまで溢れていた膨大な魔力が嘘のように抑えられた。
ここまで魔力を制御できる人間はそういるものじゃない。内心驚きながらも彼女を観察した。彼女に動く気は無く、じっとこちらを見つめていた。
「わかった。君の言葉を信じよう。お前達は動かないでくれ。私も彼女と話がしたくなった」
敵ではあるが、彼女のことは信頼できる。私は自分の直感を信じることにした。
それに、戦争の理由の話は私も気になっていたとこだ。両国の情報を擦り合わせる貴重な機会、無駄にする気はなかった。
リジーはその返答を聞いて再度礼をした。
そして両国の代表は、セレシオン軍が見守る中会談を始めたのだった。




