第四百三話 教員と殺戮者
私はベオの持つ施設でリリーの体を元に作られた存在だ。その施設は人目に触れないところで存在し続けている。もしかすると、今もまだその施設が稼働していて、新たなリリーが作られ死んでいるかもしれない。
同じリリーである私にとって、その事実は耐え難いことだ。少しでも早く破壊し、他のリリー達を解放してあげたかった。
しかし、これから戦いに向かう私には、どこにあるか分からない施設を探し出して破壊する余裕はない。その役割を私はクライオ先生に任せることにした。
ベオの実験施設を探索、見つけ次第に全てを破壊してほしいと告げた。
クライオ先生は私の正体を知ってもなお、優しい表情を崩さなかった。私が作戦を話す間、跪いて見上げる姿勢のままだった。
「なるほど……それなら、私は囚われの姫様達の解放に向かう騎士と言うことろかな?」
私の話が終わっても、クライオ先生はしばらく無言でいたが、やがてクスリと微笑んで立ち上がった。
だがその顔はすぐに困ったような苦笑いに変わった。それが私の命令の困難さを表しているようでもあった。
「どこにあるか分からない場所を探すって言うのが難易度を高めているね……リジーにその地の記憶はないだろうけど、当てはあるかい?」
先生の疑問は当然と言えば当然だった。この広い大陸から見たことも聞いたこともない場所を探すのだ。
人目につかない場所などいくらでもあるので、それこそ一生かかっても見つけることは不可能に近いだろう。
しかし、クライオ先生にそう言われても、私は不思議と自信があった。
「当てはあります。セレシオンとストルクの国境付近、地図でいうと……この辺りの村が怪しいと思っています」
私はストニアさんの部屋にあった地図を広げて南方面の国境に印をつけた。
その場所はつい先日足を運んだ場所。天教会に向かう前日、アルと再会した池のある農村地だ。
あの日、私は初めてため池の前を歩いたはずだったが、その時、ため池の景色を見て不思議と懐かしい感覚に浸っていた。
そして母の話した内容と、この記憶を照らし合わせると、自ずと場所は絞り込まれる。
赤子だった私を抱いた母が、長距離を移動してセレシオン王国にいるパウリの元を訪れることは難しい。
だが二大国の国境からなら数日の移動でたどり着ける。そして私が懐かしいと感じた村もちょうどその国境だった。
「タコト村か……なるほど、あそこの村人達は閉鎖的だし邪宗教派だ。可能性は十分ありそうだね」
私の示した場所は確証がなく、ただの勘に過ぎない。
しかし、クライオ先生は意外にも私の説明に納得したように頷いた。
あてが外れていたとしても、無策で動くよりは目的地が一つでもあったほうが動きやすい、と笑顔で引き受けてくれた。
「施設の破壊を最優先でお願いします。リリー達のいた痕跡も残らないくらいに跡形もなく消してください」
「承知したよ。敵が潜んでいた時は殲滅でいいのかい?」
私はクライオ先生の確認にすぐに頷いた。元々魔法剣士隊の第一線で働いていた彼なら多少の戦闘は可能だろう。
だが敵の中には混沌の力を受けた者がいて、それが施設を守っている可能性もある。いくらクライオ先生が戦い方を知っていても、力でねじ伏せられないとも限らない。
そう思い直した時、私の腰が不意に重くなった気がした。正確には腰当てにさげた袋がずしりと重くなっていた。
その中にはアルスメルテの腕輪が入っていた。天教会で手に入れてから今の今まで存在を忘れていた。
慌てて袋から取り出すと、腕輪は不気味に明滅し始めた。まるで腕輪に意思があるように、私に存在感を示していた。
オーヴェルの言うことが正しければ、この腕輪は持ち主の意思に従って魔法を発動させる。使い方を誤れば危険な魔法具となる。敵が使用していた時は腕輪単体で危険な雰囲気を纏っていたくらいだった。
しかし、今は私の手元にあって、私の意思に従おうとしている。
この数日持ち歩いてもなんの影響もないので、もしかしたら使えるかも知れない。そう思いついた私は赤く照りつける腕輪をクライオ先生に差し出した。
「この腕輪、見るからに怪しいけど……本当に大丈夫なのかい? 敵の所有物だったんだろう?」
クライオ先生は怪訝な顔を隠さずに言い、恐る恐る腕輪をつまみ上げた。その瞬間、夢幻の腕輪から赤い明滅が消え、瞬時に青い光を放ち始めた。赤い宝石だったところも空色の宝石に変わる。
見た目の大きな変化に、クライオ先生は目を見開いて驚いたが、すぐに納得したようにニヤリと口元を歪めた。
「ははっ、なるほどっ! これは中々愉快な魔法具だ、この僕を選ぶとはね!」
クライオ先生は不敵に笑うと、持っていた腕輪を右手に通した。瞬間、彼の纏う気配が冷たいものに変わり、嫌でも昔の記憶が呼び戻される。
今のクライオ先生はメリルやカインを殺した時の先生だ。オーヴェルに操られ、攻撃性を増したあの時のクライオ先生だった。
死んで先生の中の攻撃性は消えたものと思ったいたが、どうやら私の思い違いだったようだ。
腕輪の力によって呼び戻されたのか、腕輪やクライオ先生の魔法具自体が罠だったかもしれない。
「先生……貴方は今はどちらの先生ですか?」
いざとなれば屍人魔法を解除して彼を消そうと覚悟し、私は高笑いを続ける先生に話しかけた。
クライオ先生は顔を片手で隠して笑っていたが、私の言葉に反応して動きを止めた。表情の見えない青目が私を覗き込んでくる。
不気味に静かな時間が流れる。呼吸も忘れた私はクライオ先生が動き出すのを信じて待った。
だがしばらくすると、彼は我慢ができなくなったように吹き出して笑った。
「僕らは二人とも君の信じるクライオ先生だから安心しておくれ……死んでから二人で話し合ってね、今ではこの通り、私達は互いを認め合えるようになったんだよ」
先生はそう言うと、冷たい空気を仕舞うように口調を変えた。
正義を貫いた先生も、殺戮を繰り返した先生もどちらもクライオの人格に収まったのだと、先生は笑って言った。
そして、彼は私の頭を優しく撫でると、真っ直ぐ部屋の出口へと向かった。別れの挨拶すらもしないで颯爽と去ってしまった。
取り残された私は、しばらくして部屋に戻ってきたジークに呼びかけられるまで、先生が消えた扉をずっと見つめていた。




