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第四百二話 冒涜への迷い

 ストニアさんの部屋に現れたクライオ先生は、夢の世界で会ったままの姿をしていた。屍人特有の白髪に血の気のない白肌。その中に意識だけが宿ったように青い瞳だけが浮かび上がる。


 白い外套を身につけたクライオ先生は、静かに部屋に降り立つと私と目を合わせてニヤリと笑った。


「やあ、リジー。久しぶりだね。まさか君が私を呼び出すとは驚いたよ」


 そう言うと先生は視線を両手に落とし自分の体を調べ始めた。興味深そうに手の掌握を繰り返し、実体のある体を確かめるように触っていく。そして、時おり感心したように頷いては目を輝かせていた。


「お久しぶりです。クライオ先生。突然呼び出してしまってごめんなさい」


 私は先生が一通り体の確認を終えたのを見計らって話しかけた。


 クライオ先生はちょうど腕をつねって痛みの確認を始めていた時だった。強くつねりすぎたのか、先生は涙目になりながらも首を振った。


「構わないさ。それが君にとって必要なことだった。今度の敵は死人の私を使わざるを得ないほど、切迫した状況なんだろう?」


 クライオ先生の推察に私の心が見透かされている気がして驚いたが、私は素直に頷いた。


 もしかすると死者の国であった時のように、私の考えは筒抜けになっているのかもしれない。そんなことを考えていると、クライオ先生は直前までつねっていた腕を摩って言った。


「それにしても、屍人になっても痛覚はあるみたいだね。見た目と体温を除けば他は生者と変わらない。本当に不思議な魔法だよ」


 クスリと笑ったクライオ先生は、ストニアさんの部屋をぐるりと見回し始めた。


 そして本棚に興味の引くものがあったのか、くたびれた背表紙の本を引っ張り出しては物色し始めた。


 ぱらぱらとめくる音だけがやたらと大きく聞こえる。手持ち無沙汰に本に目を落とすクライオ先生は動こうとしなかった。

 呼び出した私が動くまで、何もしないようだ。


「クライオ先生……私、先生にお願いしたいことがあります」

「ん? 何かな?」


 意を決して呼びかけると、クライオ先生は私の言葉を待っていたように顔をあげて微笑む。死んで純粋にでもなったのか、混じり気のない青い瞳が私に向けられる。


 そんなまっすぐな瞳に見つめられ、私は急に申し訳なく感じてしまった。


 せっかく眠っていた彼を呼び出し使役しようとしている。これから戦う相手は彼の敵でもあるが、すでに死んでいる彼には関係ないこと。彼も恨みが晴らせるはず、と言う思いは、ただの私の自己満足でしかないのだ。

 

 このまま話すべきなのか迷った私は視線を彷徨わせた。何も言わずに魔法を解除してしまってもいいかもしれない。


 そんな考えに一瞬で囚われたが、その考えは唐突に撫でられたクライオ先生の手で止められた。


「自分の頼みごとが死者の冒涜にならないかって、そんなことで迷っているなら、その考えは捨てなさい」


 クライオ先生の冷たい手が私の頭を滑るように動く。


 ひんやりとした感触は普段ジークに触れ慣れていたので自然と落ち着く。目を閉じて彼の撫でる手に身を任せていると、クライオ先生は語りかけるように続けた。


「前にも言ったけど、戦いだらけのこの世界に、君のような純粋な子は優しすぎるよ。もっと貪欲になるんだ。自分が生き残るためなら死人なんて顎で使ってみせなさい」


 そのために私を呼び出したのだろう?

 彼のよく通る声はどれも私の心に響いた。私に足りていないものを指摘してくれる、死んでも彼は私の教師だった。


 私はクライオ先生の言葉を聞きながら、その意味を何度も噛み締めた。


 戦う意思を持つだけなら誰でも一時は持つことができる。だが強大な敵が相手では負けることも考えてしまうだろう。そんな戦いに勝つために覚悟を持ち続けることが私には必要なのだ。


 勝つために敵を殺す覚悟、敵を討つために味方を見捨てる覚悟、そして、戦いを有利に進めるために誰かを利用する覚悟。それらが揃って私はようやくまともに戦えるようになる。


 クライオ先生は遠回しではあったが、私に大切なことを教えてくれた気がした。


「先生、ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。迷える生徒を導くのは教師の役目だからね」


 私が礼を言うと、クライオ先生は持っていた本を閉じて茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。いつもの真面目な表情ではない。初めて見る仕草に私は思わず目を丸くしてしまった。


「先生は死んでから変わりましたね。とても、嬉しそうに見えます」


 昔のクライオ先生は真面目な人だった。学院の生徒を第一に考え、一人一人親身になって付き合ってくれる優しい先生だった。今もその雰囲気は変わらないが、肩の荷が降りたような安心した表情をしていた。


「あっはっは! 確かにそうかもね。私を縛る呪いも無くなったし、息苦しく生きていた時よりずっと気分がいいよ」


 私の言葉にクライオ先生は声をあげて笑った。


 今は私の屍人魔法で縛られているはずだったが、それを指摘しても瑣末なことだと言って笑い飛ばされてしまった。以前私に殺されたことも笑い飛ばしたように簡単に受け入れていた。


 クライオ先生は私が初めて殺した人で、初めて強い憎しみを感じた人。それでも今は信頼しているし、安心できる。本当に不思議な人だった。


「あの、クライオ先生。先生の実力を見込んでお願いしたいことがあります。引き受けてくださいますよね?」


 もう迷うものは何もない。気分が軽くなった私は優しく微笑むクライオ先生に切り出した。

 私が何を言うのか知っているようにクライオ先生は頷く。


「何なりと。今の私はリジーに従う屍人だからね、どんな命令でも遂行してあげよう」


 薄暗がりで笑ったクライオ先生は、しなやかな動きで跪き私に首を垂れた。

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