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第二百九十六話 仮面の誘い

 白仮面は黒い外套を頭から被り体全身を覆っており、凍てつくような魔力を発しながら、私と双子の間に降り立った。


 近くにいるだけで威圧されるような気配。仮面で表情は見えなかったが、私を刺すような視線が向けられている気がする。少しでも動けば消されるような緊張感があった。


「あるじ様、もう用事は済んだの?」

「ねえねえ、もう起動しちゃってもいい?」


 私が動けないでいると、ヴァーレとメローが外套の裾を引っ張って言った。その姿はまるで子供が甘えるように戯れているだけにしか見えなかった。


「少しお待ちなさい。あちらにご挨拶しないといけませんからね」


 そんな双子の頭を撫でた白仮面はゆったりと言った。無機質で中性的な声。聞き慣れない声だったが、不思議とどこかで聞いたことのある声にも感じた。


「とりあえず、初めましてね。星の雫の継承者……いいえ、ストルクの英雄リジー。私の名はアニス。この世界を支配する者よ」


 アニスと名乗った白仮面は、丁寧に私に挨拶してきた。だが私は未だに緊張で動けないでいた。


 仮面から漏れ出す黒い魔力に無意識に力の差を感じ取り、指一本すら動かせなかった。不気味に浮かぶ白仮面がゆっくり近づき、黒い手袋をはめた手を伸ばして来る。


 私はそれを見ていることしかできなかった。


 そして、アニスの指が私に触れようとした瞬間、ジークが私達の間に割り込んできた。


 視界がジークの背中で覆われると、私の周囲を覆っていた威圧感もなくなり、体は金縛りが解けたように動き始めた。


 呼吸すらも忘れていたようで、私は思いっきり咽せてしまった。



「それ以上リジー様に近づけば攻撃する。暗示をかけようとしても無駄だ」

「あら? あなたは確か、神殿の守護者、そしてリジーの従者ね。初見で私の魔法を見破るなんてやるじゃない」


 頭ががんがんと揺れる中、ジークとアニスの会話が聞こえた。さっきの威圧感はアニスの暗示魔法だったようだ。



「リジー様、お気を付けください。あのアニスという者、恐らくですが溢れた魔力だけで人を操れます」


 ジークはそう言って私の方に手を回して引き寄せてきた。まだ力が入っていなかった私は自然と彼の胸の中に収まる。


 私を離さないというジークの強い意思が、肩に回された手を通じてやって来る。


 しかし、突然の抱擁だったこともあり、次第にはっきりして来る意識の中、私は敵前でありながら顔を真っ赤にしてしまった。


 恥ずかしくてジークからすぐに離れようと力を込めたが、何故か彼は手を離そうとしなかった。


「ジ、ジーク……これはどういうーー」

「申し訳ありません、リジー様。ですが、アニスの暗示を受けないため、今はこうするしかありません」


 私の抗議を遮ったジークは手短に暗示魔法の対処法を説明してくれた。

 荒療治ではあるが、親しい者同士が触れ合っていれば精神支配系の魔法は全て弾くことができるらしい。


 現に、彼が助けに入ってからは私の意識もはっきりし、体も思い通り動く。彼の大きな手に触れると、安心感が私の胸を満たしてくれるようだった。


 状況が飲み込めた私は、ジークの腕の中からアニスに視線を向けた。私達から数歩離れたところに立っていたアニスは腕を組んで私を観察していた。


「これは……なるほど、恋ね。しかも星の雫の継承者同士……また厄介なことになったわね」



 私達の関係を一目で見抜いたようで、アニスは仮面を下に向けてため息を吐いた。その後ろにいる双子は状況が飲み込めずに首を傾げいていた。



「ね、ねえメロー、恋って何だろう……何かの遊びなのかな」

「た、多分あれよヴァーレ、きっと何か美味しものよ」


 ヴァーレ達は互いに内緒話をするように耳打ちし合っていた。ただ、どちらも普通の声量なので、内容は筒抜けだった。


「どっちも違うわ……教会に戻ったら教えてあげるから、とりあえずメローはこの子を運びなさい。ヴァーレは魔法の起動準備よ」


 アニスは再びため息をつくと空中を弄り、後ろ手で縛られたシェリーを引っ張り出た。


 シェリーは気を失っているようでぐったりと目を閉じ、メローに担がれると綺麗な栗色の髪を揺らした。


「リジー様! お待ちください!」


 ジークの声が聞こえた時には、私はすでに前に飛び出していた。


 シェリーが敵の手に落ちたことだけ理解していた私は迷わずメローの首を狙った。瞬きをする一瞬で距離を詰めたのでメローは反応しきれていない。


 しかし、私の最速の一撃は、横から飛び出してきたアニスの剣で受け止められてしまった。

 メローの首に触れる直前で私の剣が止まる。そこからどれだけ押しても私の剣は前に進むことはなかった。



「来るとは思っていたけれど、その程度の力しかないのかしら? それだと何も守れないわね」


 私の剣を軽々と受けたアニスはクスリと笑い、私の頭上に魔法弾を展開した。


 数は多くはないが、どれも殺傷力の高いものばかりだ。私はアニスの剣を足場に飛び退き、魔法弾が降り注ぐ前に脱出した。


 そして、少し離れた場所に着地すると同時、今度はアニスに向かった。メローへの攻撃が防がれるならまずは元凶を倒すしかない。


「シェリーを返して!」


 全力の一撃をアニスにぶつけた。それは私の剣にヒビが入る程の威力だったが、それでも、私の攻撃はアニスに通じることはなかった。


 それどころか、アニスは切り返しで私の剣を破壊し、私を蹴飛ばした。

 腕の防御は辛うじて間に合ったが、受身が取れなかった私はそのまま地面に落ちて二、三回転がった。



「リジー様、ご無事ですか!」

「大丈夫、それより、敵を倒さないと……シェリーが、連れて行かれる……」


 ジークの心配そうな声に答え、震える足に力を入れて立ち上がった。


 今は敵の強さに絶望する時じゃない。急がないとシェリーが連れ去られ、殺されてしまう。激しい動揺の中、私の思考はそのことで埋め尽くされていた。


「ふふふ、このまま殺すのは容易いし計画が順調に進むけれど、それだと面白くないからね。あなたにはこの娘を助ける機会をあげるわ」


 もう一度前に進もうとしたところで、アニスから思わぬ一言が飛んできた。


 今日より三日後、天教会の本殿にシェリーを助けに来いという内容だった。それまでは彼女には一切手出しせず、丁重に扱うという。


 だがこれは明らかに罠だった。戦場を天教会に指定したのも、何らかの作戦が絡んでのことだろう。

 そうでなければ、ここで仕切り直す必要はない。


 私がどう答えるか一瞬迷っていると、


「受ける受けないはあなた達の自由よ。ただし、三日を過ぎればあなたの親友は私達の新たな兵器となるから、そのことだけは忘れないでね?」


 とアニスは言い残し、メローとシェリーを囲うように転移魔法を展開した。


「待って! シェリー!!」


 ジークの拘束を振りほどき、シェリーの元に向かったが、彼女に触れる直前で三人の姿が消えてしまった。

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