第二百九十一話 展望塔の決意
私の手首を掴んだシェリーは、そのまま塔の階段を駆けて降りた。突然連れ出された私は抵抗するのも忘れ、シェリーの駆ける速度について行ってしまった。
シェリーが向かう先はジークのいる所だ。
小走りに進みながら探知魔法を飛ばしているようで、その進みに一切の迷いがない。
朝からジークの顔でどぎまぎしていた私としては、今すぐ会って話すのは避けたかった。
ただ何故か、シェリーの手を無理に解く力は湧いてこなかった。まっすぐ伸びた私の細い腕はなす術なくシェリーに引っ張られていた。
「ジークさんは、南区の展望塔ね! リジー、さあ行きますわよ!」
王城を出て教会に向かっていたシェリーは、ジークの居場所を突き止めたようで、元気よく右手を突き上げる。
振り向いた彼女は、今までにないくらい瞳を輝かせていた。
「シェ、シェリー! ちょっと、待って。私、まだ心の準備が……」
空いてる手で胸を押さえた私は、さらに顔が赤くなるのが分かった。
今すぐに告白なんて唐突すぎてできない。
それに、今の私はジークを意識するだけで胸が痛いくらいに締め付けてくるのだ。彼の前でまともに話せる自信がなかった。
何とか理由をつけてシェリーを止めようとすると、駆け足だったシェリーがぴたりと立ち止まった。
だが荒い息遣いの中振り返った彼女は、どこか悲しそうな表情をしていた。
「リジーの悩みは魔核を介さなくても分かりますの。でも、これから戦いが始まって、もしものことがあってジークに永久に会えなくなったら、絶対後悔しますのよ?」
私を握る手が少し強くなった。それがそのまま彼女の気持ちを表しているようで心がちくりと傷んだ。
シェリーの言っていることは分かる。
天教会との戦いが始まれば、彼女の言う通りジークに想いを告げるどころではなくなる。
それに敵の戦力は私達と同等かそれ以上だ。勝てるかどうかも分からない戦いで、お互いが無事に生き残れる保証はない。
全てが終わった時、想いを告げる相手がいなくなっていたら、私はどんな後悔をするだろう……
シェリーの強い言葉で最悪の未来を想像し、私は小さく身震いした。
ジークに想いを告げられずに一人になった世界。それは今の私には耐えられない世界だった。
後悔しないために常に選択し続ける。それは以前エイン王女が言った言葉で、私もいつも自分に言い聞かせてきた言葉だ。
しかし、今の私はジークに拒絶されないかと不安になり、彼の前では小さくなってしまっている。
……本当に私らしくないよね。一つの悩みでいつまでも閉じこもって、おまけにシェリーにここまでしてもらってるなんて。ここで前に進まなきゃ私じゃないわ。
ジークが屍人であることも、私とそっくりなリリー姫の婚約者だったことも私の恋には関係はない。自分の言葉で想いを伝えて、それでもダメだったら諦めよう。
「シェリー、心配かけてごめん。私、ジークに告白してみる……告白しなかった後悔なんてしたくないよ」
長い逡巡を経て、私はようやく覚悟が決まった。深呼吸を挟んでシェリーに向き合って言った。
彼女は私が挫けそうになったら必ず助けてくれる存在だ。
二年前のベルネリアの戦いで落ち込んだ時も、服の選び方が分からず途方にくれた時も、シェリーは迷わず私を助けてくれた。
そして、今日は私の恋を実らせるため、朝から時間を割いて真剣に向き合ってくれている。彼女には本当に頭が上がらない気持ちだった。
私の決意を聞いたシェリーはすぐに瞳を輝かせた。
「それでこそ私の知ってるリジーですの。どんなことでも真っ直ぐ向き合える強さ、それがリジーの一番の魅力ですのよ!」
朝日を背ににっこりと笑ったシェリーは、いつにも増して光り輝いて見えた。
その神々しい姿に見とれていると、気を取り直したシェリーが再び歩き始めた。
目指すは南区の展望塔。この時間なら、ジークはそこで王都の防御魔法の点検をしていることだろう。
その後となると私も魔法剣士隊の仕事が始まるので時期を逃してしまう。告げるなら今のこの時間しかない。
徐々に近づく展望塔を見ながら、私は高鳴る胸に小さな握り拳を添えた。
「ーーいましたわ、やっぱり今は魔法具の点検をしているようですの……」
展望塔の屋上の入り口に張り付いたシェリーは、扉の隙間からこっそり顔を出して外の様子を伺った。
その後ろから私も外の様子を伺うと、展望塔の端の方で膝をついて作業するジークが見えた。
彼が操作している魔法具は、ストルク王国に敵軍が敵が攻めてきた時、王都に入られないように防御魔法を展開する代物だ。
一度設置してしまえば後は自動で起動することになるが、雨風にさらされ続ければ魔法具と言っても不具合があるかもしれない。
そのため、ジークはこうして定期的に各所に設置した魔法具の点検をしてくれているのだ。
真剣な顔で魔法具をいじるジークの姿は、朝日以上に眩しくかっこよかった。
さっき覚悟を決めたはずの私は、すでに顔が真っ赤になり、胸の動悸が激しくなっていた。
思わず胸を押さえた私は、シェリーの袖口を掴んで深呼吸した。隣にシェリーがいてくれて助かった。
「リジー、覚悟は決めましたの? 行きますわよ」
私と目が合ったシェリーはさっきとは違い、優しくふわりと微笑んでくれた。それが私の背中を押してくれるようで、力んでいた体が一気に軽くなった。
「うん、大丈夫。私、行ってくるね」
震える息をゆっくりと吐き出し、私はゆっくりと足を踏み出した。
一歩進むたびに胸の鼓動がさらに早く、体温が上がっていく。塔の端で作業をするジークにたどり着くまでに茹で上がりそうだった。
そして後数歩までの距離に近づいたとき、私の足音が聞こえたのかジークが不意に顔を上げた。
私と目が合うと彼は驚いたように目を見開く。
「リジー様……こんなに時間に、どうなさいました?」
ジークはそう言うとすくっと立ち上がり、私の前で止まった。
朝日を受けるジークは間近で見ると直視できないくらいに眩しい。今朝見られた寝癖はもう直したが、私は無意識の内に下ろした髪を撫でつけてしまった。
それでもいつまでも待たせる訳にもいかない。激しい鼓動の中、私は再度決意を固めて切り出した。
「あ、あのね……私、ジークに伝えたいことがあるの……」
声は緊張で少し震えていた。いつもより小さくなっていた私の声は軽く吹いた風に攫われそうだった。




