第二百八十一話 王女と足し算
ジークの話を振られるだけで顔が熱くなるとは思わなかった。
どんな揺さぶりにも動じない自信はあったが、ジークに対しての免疫が全くと言っていいほどなくなっている。恋はどんな敵よりも厄介だった。
隣で楽しそうに笑っているリズが恨めしい。ただし、リズのそれは純粋に喜んでくれている笑顔だから憎めない。
それに私が報われるって言ってたけど、今までの私ってそこまで酷かったのかなーー
ふとリズの言っていた言葉を思い出し、私はこれまでの生活を振り返った。
確かに今までの私は敵を消すことを優先に生きてきた。私のせいで死んだ人達、私のために死んだ人もいる。そんな人達の無念を晴らすには、私が戦わなければならない。ずっとそれだけを支えに生きてきた。
しかし、この三年で沢山の人と関わり、色んな感情を見てきた。それに触れ合う中で、私の中で忘れ去られていた喜怒哀楽が少しずつ戻ってきたような気がする。
今でも涙が出ることはないが、普通の人と同じように悲しむこともできる。もちろん笑うこともできるようになった。
普通に生活ができる。今までの私と比べれば、十分な結果だと思っていたが、一般で比べるとまだ及んでいないようだった。
誰かに恋をすることは幸せなのだろうか。その答えは私には分からない。そもそもこんな私が幸せを得てもいいのか、自信はなかった。
「リジー姉様は今まで沢山の方を救ってきました。お父様も、エイン姉様も、この国だけじゃなく、セレシオン王国まで。あ、もちろん私も含まれていますよ!」
私が一人思案していると、リズは指折りで数えながら私の功績を数え始めた。
二年前の戦争、セレシオン王国の解放戦、ベルネリアの戦い。確かにどの戦いも私が関わり功績として讃えられたものばかりだ。
それは大変な苦労と覚悟がなければ、成し遂げることはできなかったもの。
だから今までの苦労を帳消しにできるくらい、私には幸せになる資格がある、とリズは言い切った。
しかし、それは多くの犠牲の上で成り立っているものだ。今の平和を得るために、私は誰よりも沢山の人の命を奪ってきた。その事実はこの先どう足掻いても変わらない。
「本当に、リジー姉様は今の時代には優し過ぎます。私も人のことは言えませんが、姉様はそれ以上ですよ?」
私がリズの足し算から引き算をしていると、横で苦笑いして言った。
リズ曰く、引き算ばかりの生き方だと幸せは逃げていくらしい。ただその言葉は自分にも当てはまるのか、頬を掻きながら言ったリズはすぐに肩を落とした。
「リズの方が落ち込んでどうするんですか……」
体は大きくなってもリズの気落ちしやすい性格は相変わらずだ。
小さくなっているリズの肩に手を置くと、彼女えへへっと言ってはにかんだ。
「エメリナさんに言われて足し算しようと思ったのですが……そんな直ぐにはできませんね」
どうやら今日の話はエメリナさんの入れ知恵があったようだ。リズに詳しく話を聞くと、恋に悩む私を元気付けるため、エメリナに相談して話を考えてきてくれたらしい。
それは、今日で私の元から卒業するリズなりの恩返し。少しでも私の未来が明るくなってほしいと願うものだった。
しかし、私に話を振る間に、リズ自身も引き算に移ってしまったと言うことだった。
「まったく、それでリズまで落ち込んでいたら世話ないですね」
「えへへ、本当にそうですね」
リズからの聞き込みを終えた私は、彼女と見合わせ思わず笑ってしまった。
最後が締まらないところは可愛らしさもあり、私のために気遣ってくれたその気持ちも嬉しかった。
「今日で私もリジー姉様の弟子を卒業、するんですね……なんだか全然実感が湧かないです」
二人して笑い合っていると、リズは急に思い出したようにしんみりとなって言った。まるでこれから会えなくなるような雰囲気まで出している。
リズらしい落ち込み方だが、それこそ足し算で考えなければならないことだ。
「私に次ぐ実力まで来たんだから、リズなら大丈夫です。私達はこれからは師と弟子じゃなくなるけど、これからは教え合う関係になるんだよ?」
口元を押さえて笑った私はリズの頭に手を重ねた。
リズはこれから一人前の魔法剣士として戦うようになる。そして、一節後に成人を迎えた後は、私の率いる魔法剣士隊に正式に配属され、私の補佐役になる。
数年後にはエイン王女が新女王として即位することが決まっている。
そのため、それまでにリズには国の防衛を務められるくらいにはなってもらうつもりだった。
そのことをしっかりと伝えると、軽くしょげていたリズは次第に明るさを取り戻していった。
「そう、ですよね! これからはより近くにいれますものね! 私、もっともっと頑張って、リジー姉様が安心して戦えるくらいになります!」
立ち上がって両拳を強く握ったリズは、今まで以上に瞳をキラキラさせて言った。
やはり彼女は真っ直ぐに成長してくれたようだった。エイン王女にもしものことがあっても、今のリズなら問題なく王位を継承できるだろう。
……とは言っても、私がいる間は陛下やエイン王女達は死なせるつもりはありませんが、油断禁物ですね。
私達が居なくなることがあればその時はリズを頼む、と少し前に頭を下げて来たエイン王女を思い出し、私はリズに気づかれないように笑った。
「リジー姉様? 今何か言いました?」
「ううん、何でもない。それより、私のことでエメリナさんとどんな話をしたの?」
相変わらず鋭いリズの洞察をかわし、私は別の話を振った。
そのことには気づかなかったリズは、顎に手を当て記憶を探るように上を見る。ただそれだけのことだったが、私は不思議と笑みが溢れた。
彼女を一人前の魔法剣士にに育てる大役を無事に終え、肩の荷が少し降りたのかも知れない。私の気分はいつもより軽かった。
それから私はしばらくの間、私はリズとの他愛もない談笑を楽しんだ。それはジークとテナーが訓練場にやって来て、私が赤くなるまで続いた。




