第二百五十九話 黒剣の微笑み
アルドベルがエンカとの旅を始めた頃、エンカと対の神獣シーズは、リズ王女を連れてアネット山に戻っていた。
クーチェの攻撃はアルドベルを追っていたため、ベルネリア山で別れて以降はシーズ達に攻撃が来ることはなく無事にやり過ごせていた。
しかしそれでも用心したシーズとリズは二日程ベルネリア山の海岸で身を隠し、息を潜めるように西に渡ったのだ。
「と言って来てみたものの、さすがに何も残っておらんの。あの変な家諸共吹き飛んでおるな」
エンカ達と戦った場所に着いたシーズは周囲を見回しため息を吐いた。
この地にはシェスの亡骸を回収しに来たのだが、天からの攻撃で全てが吹き飛んだため、その希望は殆どなくなっていた。
横を歩くリズも同じく落胆した面持ちで頷く。
「ごめんなさい。あの時、私がもっと早くシェスさんを捕まえられていればこんなことには……」
誰にともなく謝ったリズは波打ち際に座り込み、水平線の彼方を見つめた。
リズは二日前を振り返り内省を繰り返していた。あの時、フォレスとの戦いに集中するあまり当初の目的を忘れていたのだ。
ただ初めての戦闘で、彼女よりも格上相手だったので生きることに専念せざるを得なかったのは仕方ないことだ。
むしろその不利な状況を覆し、フォレスを追い込んだ彼女の成長には目を見張るものがある。
そう評していたシーズはリズを慰めるように尻尾で背中を撫でた。
「リズは本当によくやった。あのフォレスを相手にして、お前が生きているだけでも十分なことだと思うぞ?」
シーズはそう言うと小型化してリズの膝に飛び乗った。青く透き通った目を彼女に向ける。
浮かない顔をしていたリズはその視線に気づくと、柔らかい笑みを溢してその小さな背中を撫でた。
「ありがとうございます。言葉では分かっているのですが、やっぱり考えてしまって……」
と再び俯きかけたリズは顔をぶんぶんと横に振った。
シェスさんのことは悔しいけど、私はストルク王国の王女なんだから……もっと強くならなくちゃ!
そう心の中で誓ったリズは、止まりかけていた手を再びシーズの背中に置いた。
その時、彼女達の背後に男が現れた。
「ん? こんなところに誰だ……なんだ貴様らか」
ぼさぼさ頭を揺らしたフォレスはリズ達の姿を認めると、罰が悪そうな顔をして言った。
今は休戦中だったが、それでも数日前に殺しあったこともあって、さすがのフォレスも気まずさを感じてしまったのだ。
「え? フォレス……さんですか?」
当然その相手をしていたリズも同じで、後ろの声に振り返ると衝撃で固まってしまった。
遠慮がちに呼びかけた後、何と声をかけたらいいのか、とおし黙る。そして風に流れる二つの袖口に目を向けた。
彼の左腕はリズが斬り飛ばした。生きるか死ぬかの戦いだったので仕方なかったが、それでも自分が傷つけた相手には変わらない。
気まずさと申し訳なさに挟まれたリズは、身動きが取れずに視線を落とす。静かな波がリズ達の周囲で転がった。
「リズ王女、顔を上げろ」
しかしその姿を見下ろしていたフォレスは鋭い視線に変え、沈黙を破るように言った。いつもの気怠そうな口調とは違い張りのあるよく通る声だった。
その違いに思わず顔を上げたリズはフォレスが笑っていることに気づき、「えっ?」と声を漏らす。
まさか優しく微笑んでいるとは思っていなかったリズは、そのまま口を閉じるのを忘れていた。
「この前は敵同士、命がけで戦っただけだ。だから、お前が俺の腕で気に病む必要はない」
フォレスはリズに視線を合わせるように浜に腰掛けて言った。
既に前の戦いを割り切っているフォレスは、この時むしろ清々しい気持ちでいっぱいだった。
右腕はなかったとはいえ、フォレスにとってリズ王女は簡単に勝てる相手だった。しかし、彼女は戦いの中でその才能をさらに昇華させ、最終的にはフォレスを追い詰めたのだ。
そして休戦して再会した今、本人に神妙な面持ちで心配されている。
敗北の屈辱を味わうよりも前に、フォレスはリズの暖かさを味わうことになったのだった。
「ほう? フォレス、お前、案外物分かりのいいやつなんだの」
そんな彼の丸い態度に、リズの頭に乗ったシーズは品定めするようにフォレスを見て言った。
腹ばいで乗っているので、リズの視界にシーズの前脚がかかる。リズはシーズを慌てて両手で持ち上て胸に抱き寄せた。
いきなりの物言いで失礼にならないか、と心配してのことだったが、フォレスはそれを笑って一蹴した。
「そう心配するな。むしろ、そっちの神獣の方が自然な態度だ。リズ王女、お前は優しすぎる」
フォレスはそう言うと、首に下げていた袋から白い小包を浮かび上がらせた。それを優しすぎると言われてしょげていたリズの方に放る。
「わっと、フォレスさん? あの、これは?」
目の前に飛んできた小包を慌てて受け取ったリズは、状況が飲み込めず、困惑しながらフォレスに尋ねた。それに対して返ってきたのはフォレスの無言の視線だった。
まるで、その場で開けてみろと言わんばかりの視線に、小首を傾げたリズは小包から半透明な球体の魔法具を取り出した。
中に浮かんでいる魔法陣は初めて見るもので、それが空間魔法の何か、ということしかリズには分からなかった。
「その魔法具の中にはシェス・ルードベルの遺骨が保管されている。後日届けるつもりだったが、ちょうどいいからお前達に渡しておく」
じゃあな、と言うとフォレスはこの場に用はないと言うように立ち上がり、転移魔法を展開していく。
魔力の動態を感じたリズは勢いよく立ち上がり、フォレスに近づいた。
「待ってください、フォレスさん! 私、あなたに聞きたいことが……」
そう言った瞬間、フォレスの姿が搔き消え、浜辺にはリズとシーズだけが取り残されてしまった。
消えた相手に質問はできない。出かかった質問を飲み込んだリズは長いため息を吐いて座り込んだ。
「どうして私に優しくしてくれたのですか……」
しばらくして、リズから出た呟きは小波の音に混ざって消える。
フォレスはリズの悩みを知っていたかのような態度だった。
実際、彼に気にするなと言われ、リズの心は軽くなっていた。それと同時に、敵だった相手になぜ優しく接することができるのか、リズは理解できないでいた。
それはリズの優しさが発端になり、フォレスはそれに応えただけに過ぎない。
しかしそのことに気づかない彼女は、シーズが口を開くまで首を捻り続けていた。
「ま、何はともあれシェスの回収はできたからの。そろそろセレシオンに戻ろうか」
そんなリズの愛らしい姿に笑みを溢し、シーズは彼女に寄り添った。




