第二百五十四話 少女の敵
透明な剣を鞘に収めたパウリは、この世界に潜んでいる者達のことを語り始めた。
それは私の考えていたことよりもずっと闇が深く、やるせない気持ちになることだらけだった。
天教会の司教オーヴェルの目論みは、神ハイドを復活させて世界を手に入れることだ。
そのためには人の魔力が大量に必要となり、アルドベルが作った魔法具を流用しているらしい。その犠牲者の数は一万人を軽く超えているという。
アルドベルは復讐のために人を殺しているが、オーヴェルは世界平和のために人を殺している。
殺し自体は変わらないが、彼らの間には危険度と言う意味で大きな隔たりがあった。
天教会のオーヴェルは、そういう意味ではアルドベルよりもずっと危険な人間であった。
それに、アルドベルは元を辿れば、オーヴェルの計画によって生み出された被害者の一人だ。
天教会の暗躍に注意が向かないようにする為の隠れ蓑。ただの捨て駒として利用されただけだった。
それを聞いた時は私の中で何かが大きな音を立てて崩れた気がした。
私が今まで敵として見ていたアルドベルが、実は本当の敵ではなかったと言う衝撃。オーヴェルの計画のため、祖国を滅ぼされた彼の痛みは計り知れない。
それを知ったアルの気持ちを考えるだけで胸が痛かった。
そして、オーヴェルはストルク王国を操り、ストニアまで利用した。私の大切な人達も、彼の計画の中で死んでいった。私の本当の敵もまた、天教会のオーヴェルだった。
そこまでパウリの話を聞いて、わたしはふと夢の出来事を思い出した。
「一つ、聞きたいことがあります。四年前、私を襲ったクライオ先生のことはご存知ですね? 彼を操っていた老人と言うのは、オーヴェルのことですか?」
少し前に孤児院に戻った時、私はクライオ先生と死者の世界で会談した。そこで私は先生の過去を知り、彼が老人に操られていたのではないか、と言う考えに行き着いたのだ。
しかし、その老人はアルドベルの仲間でもなく、ベネスの管轄だったベルボイドでも知らない人間だった。
今まで謎の存在だった老人が、今回の話で出てきたオーヴェルという老人に嫌でも重なってしまった。
そのことを目の前のパウリに語ると、彼はこの時初めて驚いたような顔で私を見つめた。
「なんと、クライオ先生のことまでご存知でしたか。ふむふむ……なるほど、やはりそうですか。ですが、もしそれが本当なのだとしたら……」
パウリは整った眉を寄せて腕を組んだ。さらさらと滑らかな髪が揺れ動く。
しかしそれよりもパウリの不思議な行動に目を奪われた。
しきりに頷き独り言をこぼし、まるで近くにいる誰かに耳打ちをしているようだった。ただ彼以外に気配も魔力も感じられないので、悩んだ時の彼の癖なのかもしれない。
「えっと……パウリさん?」
しばらく待っても戻ってこないので、彼の視線に合わせるように話しかけると、
「ん? ああ、これは失礼をしました。私でも予想外の情報でしてね、嬉しくてつい没頭しておりましたよ」
とパウリは取り繕うように微笑み足を組んだ。
私がクライオ先生の真実を知っていたことが意外だったのだろうか。
確かにこの話はシーズとジークにしか話していない。しかしパウリなら何でも知ってそうだったので、その反応は意外だった。
「パウリさんが知らないこともあるものですね」
「当然です。情報は言語化されない限り情報にはなりませんからね。あ、今お話いただいた情報ですが、こちらは別途買取で、後で何か有力な情報をお渡ししましょう」
パウリはそう言って片目を瞑って目配せをすると、両手の指を顔の前で合わせた。
交錯する指の隙間から、余裕を取り戻したのか、いつものねっとりした笑顔が覗いている。
「さて、先ほどのご質問ですが、クライオさんを操った敵。それはリジー様がご推察された通り、オーヴェルで間違いありません。それも、強力な暗示を植え付ける魔法を使ってね」
そう言うと、パウリはクライオ先生がどうやって操られたのか説明してくれた。
彼が言うには、クライオ先生はオーヴェルに魔法具を介して暗示をかけられたらしい。それは直接的に相手を縛る命縛法とは違い、術者の魔力が残らないと言う。
暗示の魔法は命令で行動を縛ることとは系統が異なる。強力な暗示の魔法にもなれば、相手の信条とは正反対の思いを前面に引き出すことも簡単だと言う。
最初は欲望を吐き出すように自分の声として頭に響き始める。そして、それが長く続くと、その声に支配されて行動するようになる。
魔法で縛られていないので、側から見るとただの気が狂ったような人間に映るのはそのためだ。
しかし、パウリの説明を聞いて私はようやく胸のつっかえが取れた気がした。
気にしないようにはしていたが、私が初めて殺した人は被害者なのだ。ふとした時に考えていた日もあったくらいだ。
「パウリさん、話してくださってありがとうございました。これで……ようやく私は前に進めます」
私は目の前で優雅に足を組むパウリに礼を述べて立ち上がった。
ここで知りたい情報は手にいれた。
倒すべき敵も、その敵がどこにいるのかも分かっている。それなら私がやるべきことは一つだ。
天教会の本殿に乗り込み、オーヴェルを抹殺する。他にも敵が潜んでいるならその全てを抹殺するまで突き進むだけだ。
紆余曲折を経て、多くの人を犠牲にしてしまったが、これでやっと終わらせることができる。
そう思って出口に向かおうとすると、パウリのねっとりした声が飛んできた。
「リジー様、どこに行かれるおつもりですか? 私の話はまだ終わっておりませんよ?」
振り返って見ると、いつの間にか透明な剣を引き抜き、床に突き刺していた。




