第二百四十八話 別れの光
完全に緩みきっていた僕の体にリーグの鋭い突きがめり込んだ。
僕の予想だにしない一撃だった。
まさかリーグに殴られると思っていなかった僕は、息がつまり、再び床に膝をつかされた。
「がっは、リーグ……一体なんのつもりだ……」
一気に空気を押し出された僕は、咳き込みながらも相棒の顔を睨んだ。
そのリーグは僕に向けたことがない様な優しい笑みを湛えていた。リーグにもこんな顔ができたのかと驚いてしまう。
しかし、いつも仏頂面なリーグが僕に優しく微笑むなんてありえない。その不自然な態度に、彼が今から何をするつもりなのか瞬時に理解してしまった。
リーグは僕だけをここから逃がすつもりなのだ。
「やめろ、リーグ……止めるんだ。こんなこと……こんなこと僕は望んでいない! 僕らは一緒にここを出て、また、旅をするんだ! そうだろう!」
殴られた痛みと、息が詰まった苦しみで動けなくなった僕は、震える手をリーグに伸ばした。
だが僕の手はリーグが展開した魔法壁に阻まれ届かなかった。半透明な空間を挟み、リーグが笑いかける。
「お前が望まずとも、これはオレが望んだことだ。少なくとも、この教会の戦いが始まってからは描いていた道筋の一つだった」
そう言うと、僕が伸ばした手にリーグは魔法壁越しに手を重ねた。
「アル、お前は、世界を救うために生きなければならない。俺の最後の役目はここからお前を生かして逃すこと。だから……ここでお別れだ」
リーグはそう言うと、浮遊魔法の構築を始めた。彼の手から広がったそれは、僕を覆う魔法壁に淡い光を纏わせ始める。その魔法陣の下には空間転移の魔法も敷かれていた。
転移できないこの教会から僕を魔法壁ごと飛ばし、さらに遠くへ転移させるつもりだ。
「ふざけんな! こんなことをして僕が喜ぶはずないだろうが! 今すぐこれを解除しろ!」
胸が張り裂けそうになる想いを堪え、僕はリーグに吠えた。
僕を囲む魔法壁を破壊しようと、魔力強化した拳で殴ってもそれはヒビ一つ入ることはなかった。
近くで見ていた双子達が攻撃を加えても傷がつかないほど強化な守りだった。
だがそれが万能なはずはない。リーグは僕の守りにほぼ全ての力を使っている分、自分の守りに裂く力が残っていなかった。
それを見抜いたのか、僕への攻撃を諦めた双子は防御を捨てたリーグにまっすぐ剣を突き刺す。
しかし、リーグはそれをも利用して、ヴァーレとメローも固定化魔法の中に閉じ込めてしまう。今まで見たリーグの動きの中で、それは一番滑らかで洗練された動きだった。
「あっ、ちょっと待って。これ出られないよ! メロー!」
「ヴァーレ! これ外してよ! ねーオーヴェル!」
リーグの作り出した半透明な空間に閉じ込められ、双子の騒ぐ声が広がった。双子は大剣を魔法壁にぶつけるが、僕同様破ることはできなかった。
「屍人同士の戦いはな、体を張って攻撃を止めるんだ。勉強になったな?」
リーグはそう言って双子を一瞥し、魔法壁ごと彼らを教会の傍に放り投げ、僕に向き直った。
双子が刺した場所から淡い光の粒が飛び始めている。今の攻撃で彼の魔核が傷ついたようだった。
「リーグ……お前、核がーー」
息を飲みリーグを呼ぼうとすると、彼はそれを光始めた右手で制し、割り込むように言った。
「今はお前達の時代だ。それなら、オレではなくお前達がやらなくてはならん……アル、お前ならリジーと共にこの歪んだ世界を救えるさ。オレはそう信じているよ」
そう言うとリーグの右手首が光の粒となって夕日に溶け始める。まるでそれが別れの言葉のように静かに響く。
下はすでに膝元まで光の泡となって消え始めていた。
「そんな話、今は聞きたくない! リーグは……リーグは僕の大切な親友だ! せっかくできた友達なのに、お願いだから消えないでくれ!」
視界が歪む中僕は必死にリーグに呼びかけた。
リーグが消えるのは嫌だった。国が滅んだ時よりも、父が光となって消えた時よりもずっと嫌だった。
今まで感じたことのない焦りを頼りに僕は魔法壁を殴り続けた。拳が擦り剥け血が滲んでも僕は止まらない。目の前で消え逝く友を止めたかった。
しかし、それでもリーグの元にはたどり着けなかった。力を使い果たした今の僕に、この強固な守りを破る力は残っていなかった。
「勝手に呼び出して駒扱いして、仲間にして、挙げ句の果てには友だから消えるな、とは。全く……お前は最後の最後まで、我儘な奴だったよ」
残った左手で頭を掻いたリーグはやれやれと首を振って笑った。その瞬間に頭を掻いていた左手も霞む光となっていく。
だが言葉とは違い、ゆっくりと光に溶け始めるリーグの顔は今まで見た中で一番穏やかで、満足そうな顔をしていた。
「それでも、お前との旅で、この世界に染まることも悪くなかった。アル、オレの親友になってくれて……ありがとう。短い間だったがとても楽しかったよ」
それはリーグの僕への素直な気持ちだった。
時折見せた気さくな一面が、実はリーグは初めの頃から僕を認めてくれていたのではないか、と思わせるほど、今のリーグは柔らかい表情をしていた。
そして、最後に白すぎる歯を見せ、悪戯に笑ったリーグは魔法壁の浮遊魔法を発動させた。徐々に浮き上がる僕は地上から消えていくリーグに手を伸ばす。
「やめろ! リーグ!! やめろーー!!」
小さくなる地上に向かって吠えてもどうすることもできなかった。友の最期の姿を見ることしかできなかった。
そして、リーグが完全に光の粒となったその時、僕とリーグの間を光の粒が舞った。
リーグから溢れた沢山の思い出の光だ。一つ一つ消える度に、彼との思い出が滝のように溢れてくる。
その幻想的な空間は、まるで、友が光の中で手を振っているようだった。
これから先は、お前のことは空から見守っててやるからな。クーチェのこと、頼んだぞーー
最後にリーグの囁くような声が聞こえ、僕の視界は夕日に染まる空へと変わった。
橙色の雲が見え始めると魔法壁はぐんぐんと速度を上げ、気がつけば地上にはジストヘール荒原が見え始めていた。




