第二百四十二話 白王の妹
人は覚悟を決めていた事でも、いざ目の前に現れれば動揺を隠せない時がある。
最も大切な家族が連れ去られ、屍人として操られていると分かっていてもだ。
そして、今までで一番最悪のタイミングでリーグの妹が現れた。
リーグの息を飲む音が全てを物語っているようだった。
「あら? この魔力、それに今の美しいお声って……」
リーグの声に反応したクーチェは、目を閉じたまま僕達に顔を向けた。ガラス細工のような綺麗な顔が眉根を寄せている。まるで僕達を視認以外で確認しているようなーー
まさか、彼女は目が見えないのか? しかしリーグはそんなこと一言も……!
そんなことを考えているとクーチェは今まで閉じていた目をゆっくりと開けた。その目は霞がかかったような白い瞳だった。
瞳孔もなく、目が動くともない。彼女の目は明らかに光を通していない。
「まあ! お兄様! どうしてこんなところにいらしてますの!」
一段と弾んだ声で言ったクーチェは破顔し、ひとっ飛びでリーグに抱きついた。
だがその動きは非常にゆったりとしていて、ふわりと抱きついたと言うのが正しい。
完全に物理法則を無視した動きだ。
それは跳躍ではない。純粋な魔力操作のみの空中移動だ。その恐ろしく滑らかな動きが、彼女が双子以上に只者でないことを物語っていた。
「またこうしてお会いできるなんて、本当に夢のよう! 今日はとても良い日です。小鳥達の音色など、お兄様の再会の前では色褪せてしまう……ああ、お兄様、お兄様ぁ!」
指一本動かせない緊張感の中、クーチェの嬉しそうな声だけが響いた。その喜びようは恋人のようで、白い顔が不自然なほど赤くなったクーチェはリーグに夢中で抱きついていた。
彼を呼ぶ声もさっきまでよりずっととろりとしており、全力で甘えているようだった。
リーグからは妹には慕われていたと聞いていたが、これはむしろそれ以上だ。彼女はリーグに対して兄以上の特別な感情を持っている。
しかしこれは逆に好機かも知れなかった。この妹であれば兄リーグを攻撃することはない。そこを利用して倒す。
後はこの厄介な固定魔法を外せれば……。
そう思った瞬間、僕を取り囲んでいた魔法がすっと消えて体が動かせるようになった。
「クーチェ……」
「お兄様ごめんなさい……侵入者と言われてつい拘束するような真似を」
そう言ってクーチェはリーグから一歩離れて僕の方を向いた。赤く蒸気した顔はそのままで、白い目には涙も溜めていた。
「貴方がアルドベル様ですね? 兄がお世話になっております……それと、こうして再会させて頂いたこと、本当に感謝しています」
花が咲くようにふわっと微笑んだ彼女は、そう言って僕にも抱きついてきた。柔らかい、まるで空気に包まれたような抱擁は固まった僕の警戒心までも解きそうになる。
だが彼女の潤んだ白い瞳を見た瞬間、僕の体は金縛りにあったように動かなかった。恐怖ではない。間近で美しい物を見た時に言葉を発せなくなる衝撃に近いだろう。
それほどまでに潤んだクーチェは透き通っていた。
そのまま惚けていると、クーチェは水が流れるように僕の背中へと深く手を滑り込ませ、後頭部を優しく下に傾げさせた。
それは本当に一瞬だった。
体が動かない僕は、抵抗することも出来ずにクーチェの顔に近づき、口が冷たくも柔らかいものに触れた。
その柔らかいものはクーチェの唇で、彼女が僕に口付けをしたと気付けたのは、クーチェが僕の首を解放した時だった。
「なっ何のつもりだ……」
拘束から解放された瞬間、僕からは掠れたような声が出た。
突然の口付けに動揺したこともあるが、何よりほんの一瞬だけ体を勝手に動かされたような感触に恐怖すら感じてしまった。
僕の唇は未だにクーチェの感覚が残っていて触れた部分だけ痺れたような感じだ。それと同時に激しい嫌悪感がやってきた。
リジー以外の女性と唇を許してしまった。その変えようのない事実は僕の中で積み上げてきた何かを一瞬で破壊する。
ざわつく胸を抑えた僕はクーチェを睨んだ。
だがクーチェはうっとりするような顔で、人差し指を唇に当てていた。僕と触れた唇を確かめるようになぞり、また僕にふわりと微笑んだ。
「貴方も……とっても素敵な方ですのね。お兄様が気を許されていることも、分かるような気がしますわ」
そう囁くように言うと、クーチェはゆっくりと僕達から距離をとる。
彼女の笑みは変わらなかったが、ほんの少し影が差したように見えた。
「感動の再会もいいがね、クーチェさん。彼らは侵入者だから、速やかに排除してくれ」
しばらく沈黙の時間が流れた後、オーヴェルは咳払いをして言った。彼女に強く命令できないのか、その口調は遠慮した物言いだった。
それを表すようにクーチェはオーヴェルの言葉に首を振る。
「お兄様達を……排除? そんなこと、私にはできませんわ」
さも当然と言わんばかりにそう言うと、クーチェはその場で座り込んだ。反抗の意思表示だろうか、と推理を始めるとオーヴェルは彼女に近づきながらため息を吐いた。
「私が支配してる訳ではないから直接命令できないのは困りものですな。主人より受け取ったこれで、言うことを聞いてもらいましょう」
オーヴェルは法衣のポケットから円盤の魔法具を取り出しクーチェに向けた。それが命令用の魔法具らしく、クーチェはびくりと体を震わせて俯いた。
「クーチェ!」
リーグもそれに気付き彼女に向かって手を伸ばすが、
「お兄様、アルドベル様! 逃げてください!」
返ってきたのは悲痛な叫びだった。
彼女はオーヴェルの命令に抵抗するように頭を抑えている。相当の苦痛はガラスのように美しい顔を歪める。
「リーグ、今のうちに引き上げよう。クーチェが耐えている今しかない!」
彼女がいつまで耐えられるか分からない。リーグの肩を掴んだ僕は強めの口調で耳打ちした。
リーグの気持ちは痛いほど分かる。最愛の家族が目の前で苦しんでいる。しかし、逃げるしかない状況で助けることもできない。
「分かってる。分かってるが……くそっ。俺がもっと強ければ!」
唇を強く噛んだリーグの奥歯から絞り出した声が聞こえた。しかしその逡巡も一瞬のことで、深呼吸したリーグは僕に向き直った。
「行こう。今は……妹の救出より脱出だ!」
走れ!
歯を食いしばって言ったリーグは、僕の背中を叩いて走り出した。彼の強い想いは僕の足を軽くしてくれたようで、気がつけば僕もリーグについて走り出していた。
そうだ、今はリジーの元へ急がなければならない。この戦力差を覆すには、彼女の協力が必要不可欠だ。
何もできない悔しさを振り切った僕はリーグと並んで通路へ飛び出す。
そこへ白い弾丸が降ってきた。
「お兄さん達、どこへ行くつもり?」
「私達との踊りはまだ終わってないのよ?」
白い正体はさっきの双子だった。首は元に戻ったようで、笑顔で大剣を構えている。
だが互いに信頼し合っている今の僕らを、この双子は止められない。
「「邪魔だ! どけ!」」
珍しく声が揃った僕とリーグはそれぞれ双子を切り飛ばした。




