第二百二十九話 王女の能力
さっきまで柔らかくてふわふわしていたシーズの毛が一気に逆立った。
それに合わせて魔力も極限まで高められていく。シーズがここまで緊張する姿は初めてみる。その緊迫した魔力が、この場所を支配していく気がした。
「リズ、悪いが一旦引くぞ。この状況は分が悪い」
シーズはそう言って私たちの足元に空間転移の魔法を展開させる。リジー姉様達と合流して再度攻め直す作戦だ。
しかし、うまく発動しなかったのか、私たちが移動することはなかった。
「無駄だ。お前たちの転移魔法は封じてある。こんな敵地のど真ん中までやって来て置いて、ただで帰す訳にはいかないだろう?」
足元の光が消えたところでフォレスの嘲る笑い声がきこえた。その左手には何か黒い魔法具が握られている。
まさか、彼の魔法で空間転移を封じられたのだろうか。
「解せないようだから特別に教えてやるよ。転移魔法は万能な移動手段じゃないってことをな」
私の心の声が漏れたのか、フォレスは奥歯が見えるほど口を横に広げて言った。
空間転移の魔法。
その理論は二つの地点を魔力で繋ぎ、そこに存在する物同士を入れ替える。言っていることは簡単だが、それを実現するには複雑な魔法理論を組み立て、移動に必要な大量の魔力が必要となる。
そして、転移魔法が発動する瞬間、二つの地点は魔力で一瞬繋がる。そこの繋がりを一瞬で切れば転移魔法は行き先を失い、魔法自体が失敗に終わるらしい。
フォレスの説明は聞けば簡単に聞こえるが、そんな一瞬の出来事を見抜いて阻止するなど普通の人間では不可能だ。しかし、実際に転移に失敗している以上、彼が言ったことは嘘でないことがわかる。
「ちっ、こうなったら仕方ないか、リズ。お前だけでも逃がそう」
フォレスの長い説明を聞き流したシーズは、舌打ちし、別の魔法を展開し始めた。
私を安全な場所へ避難させるつもりのようで、私の体は徐々に地面から離れ始めた。
「待って! 私も……戦います。シーズさんだけ戦わせるわけにはいきません」
しかし、私は魔力操作でシーズを掴み、強引に地面に戻った。私の行動に驚いたのか、シーズは私の方に振り返り口をパクパクさせた。
「……分かっているのか? エンカがこの場にいる以上、わしはリズを守ってやれん。フォレスに殺されるかもしれんぞ?」
シーズは語気を強めて私を睨んだ。
私を守ろうとしているからこその厳しい目だと言うのは理解している。
シーズがエンカと戦うため、私の相手は必然的にフォレスということになる。この男はエイン姉様とレイさん二人を相手に圧倒した。少なくとも私よりずっと格上だ。
私がこの人に立ち向かっても何もできずに殺され、屍人として弄ばれるだろう。
それでも、今この場で私は逃げてはいけないような気がした。
「リジー姉様からは死なない立ち回りを沢山教わりました。それは、今も私の体に染み付いています。だから、やらせてください」
リジー姉様も修練中に言っていた。戦いの中で、一歩も引けない状況に陥った時、躊躇ったらそこで人は死ぬと。
それは命がなくなるという意味ではなく、進歩がなくなるということ。その意味を今になって理解した私はシーズに頭を下げた。
「……はあっ、これと決めたら絶対に曲げない性格……さすがは王家の血筋だの。昔のリーグそっくりだ」
ほんの数拍、シーズと無言で睨み合ったが、シーズはやれやれと首を振って言った。
しかし、その後ろでは滑らかな尻尾が私の背中を優しく撫でてくれた。口では厳しいことを言っていたが、その実、私の意思を尊重してくれているようで嬉しかった。
「全く、リジーにバレたら後で怒られそうだの……」
私が感謝をこえめてその滑らかな背中を撫でると、シーズはボソッと小さく漏らした。
こっそり横目で見ると、その口元は笑っていた。神獣に向かって一人の人間が意見する。それは今までほとんどなかったことだろう。しかし、それを覆すように私が食らいついたのが嬉しかったのかもしれない。
「その時は私も一緒に怒られます。シーズさん、ありがとうございます!」
「ふん、いいさ。そりよりリズよ、背中は任せたぞ?」
私が再び礼をすると、シーズは嬉しそうに鼻を鳴らしてエンカの方に歩いて行った。
シーズが離れたので、もう後戻りはできない。
私は意を決してフォレスに向き直った。ぼさぼさ頭のフォレスはのんびりと欠伸をしている。
静かに魔力強化を展開し、剣を構えるとフォレスはようやく私に気づいたように言った。
「何だ、逃げなかったのか。さすがに浮遊魔法使われたら追えなかったんだが……まさか俺に勝つつもりか?」
フォレスは張り付くような笑みをこぼし、その唇を舌で湿らせた。私のことは戦う相手ではなく獲物の一つとしてみているのだろう。
その証拠に、フォレスの左腕はだらんと垂れ下がり、余裕の態度を見せていた。
しかし彼の魔力は徐々に練り上がっていて、近づく隙が見当たらない。
「もちろんそのつもりです。ここで貴方を倒し、姉様達の仇を打ちます」
フォレスとシェスの周囲を一周歩きながら言った。
狙うならシェスを挟んだ死角だ。幸いシェスは操られているせいか、私が動いてもその場から身動きひとつしない。
「ほう、面白い。ならば貴様がどれだけ戦えるのか、遊んでやろう」
フォレスがニヤリと笑った瞬間、私の足元で魔力が一瞬膨れ上がった気がした。
止まったら危ない。
そう直感した私は力任せに横に飛び込んだ。その直後、視界の端で私が立っていた場所に剣が出現するのが見えた。
ベルネリア山の戦いでエイン姉様を襲ったのは、剣を直接転移させて切りつける攻撃だった。
今のは偶然避けられたと考えるべきだが、それでもフォレスを驚かせるには十分な効力があったようだった。
「ばかなっ、今の攻撃を避けただと!」
今まで余裕の笑みを見せた男は、この時初めて焦ったような表情を見せた。




