第百八十九話 灰王の遭遇
セレシオン王国への侵入は簡単だ。
大国とは言え国境の警備も全域を守れる訳ではないので素通りすることも出来る、人の出入りが自由な国なのだ。
しかし僕のようなお尋ね者には厳しい世界だ。
周辺の村々では僕の存在は認知されていないが、王都の警備隊は僕の顔から魔力まで認知している。
なのでセレシオンに入国する前に僕は変身してしまうことにした。もちろん王都クーチに着いてからでも良かったが、誰が見ているか分からないので念には念を入れる。
屈強な大男と爽やかな好青年に変身した僕らは黒石の魔法具で王都の近くまで転移した。
転移が終わると風に乗ってくる香りが変わった。土と草原の香りから街特有の香りがやってくる。
火を焚く香りや木材等の香りが微かに混じっている。
目を開ければ目の前にセレシオンの王都クーチの城下町が広がっていた。
予定通り人通りの少ない小道に転移できたようだ。
「ここが王都クーチだよ。君が生きていた時代よりはずっと大きくなってるんじゃないかい?」
隣で驚いたように王都を見上げるリーグに聞いた。
心なしか彼の青い瞳は輝いて見える。
「街並みの景観は大きく変わったが、王城は記憶の通り変わっていない……まさか、ストルク王国の城も残っているのか?」
僕の質問が遅れてやってきたのか、リーグはしばらく王城を眺めてから口を開いた。
思った以上に彼は感銘を受けているようだった。
僕に返事を返す間も城から目を離さないくらいだ。
「ストルク王国の城も建て替わったって話は聞かないからね、君の知ってる通りの城なんじゃないかな」
二節前に見た王城を思い出しながら、僕は彼の肩に手を置いた。
リーグは僕の手に少し目をやったが鼻を鳴らしてすぐに王都へと向き直った。
この旅で僕たちの間にもそこそこの信頼関係ができ、肩に手を置くくらいは許されるようになったのだ。
初めて会った日は鋭い刃みたいな反応だったのに随分と丸くなったもんだ。屍人と言えども長く現代に置かれれば染まっていくのだろう。
彼の微妙な変化を楽しんだ僕は、そのまま王都へと足を踏み入れた。
体格も違う二人なので国民には珍しい目で見られるが特に怪しまれることもない。僕が背負っている楽器も、僕が屈強な歌人と映って見えるのだろう。
「王都に入ってしまえばこっちのものだね。さて、早速宿をとって少し王都でも散歩しようじゃないか。リーグ、行くよ?」
僕は物珍しそうに人々を見回すリーグを引っ張り手頃な宿に部屋を取った。
金はいくらでもあるので高いところに泊まることもできたが何も贅沢することが目的じゃない。軽く寝泊まりできれば、僕らにはそれで十分なのだ。
「さて、荷物も置いたことだし僕は散策がてら少し散歩するけど、リーグはどうする?」
背中に背負った楽器と袋を置いた僕は、簡素な椅子に腰掛けたばかりのリーグに訊ねた。
見た目は若いが精神年齢は僕より年上のリーグのことだから部屋に残るだろう。そう思って聞いたのだが、彼からは意外な返事が返ってきた。
「いや、オレもついて行こう。久しぶりの王都だからな。屍人でも満喫するのは悪くないだろう?」
やっぱりこの男は少し興奮しているようだ。
椅子に座ったのは浮ついた足を少し落ち着けるために敢えて座っただけのようだった。
「君がそんなにそわそわするなんて珍しいね。よし、わかった。今日、明日はこの国の散策に充てて、調査は明後日から取り掛かることにしよう!」
苦笑いをごまかした僕はリーグに計画変更を伝えた。
別に急ぐ旅でもないし、競合相手もいない。
それなら、ここ最近の激戦と旅を癒すため、少し羽を伸ばしても問題ないだろう。
目的のものは後でじっくり探せばいいだけなのだ。
そう思った僕はリーグを連れて意気揚々と出かけた。
「ーーとは言ったものの、特に目的もないからなあ。リーグは何か見たい所とかあるのかい?」
大国の城下町と言っても、規模が違うだけで人が歩く光景はどの国もほとんど変わらない。
早々に見飽きてしまった僕はあくびをしながら横にいるリーグを見た。
「そうか? オレは人の営みを見るのは好きだから飽きないな。見たくても本来は見れないはずの光景だ。お前に復活させられたのも案外悪いことだけではないらしい」
リーグは口元は普通だったが目だけは優しく見守るように目を細めていた。
彼からしてみればここは言わば未来の世界。戦争を終結させた王ならば未来の平和を願うのも、それを実際に目の当たりにして感動するのも当然だ。
仮に、僕がケニス王国の国王になっていたとしても未来の僕はリーグと同じように故郷の繁栄を望んだことだろう。
……ま、ここはリーグへの接待としてしばらく付き合うことにするか。リーグにも思うところがあるだろうし、上手くいけばクーチェの墓参りとかしてくれるかも知れないな。
そんなことをぼんやり考え、リーグに生返事を返そうとしたところで、僕は横をすれ違った人とぶつかってしまった。
僕は今変身して大男になっているのを忘れていた。間合いを間違えて吹き飛ばしてしまったようだ。
しかし、僕とぶつかった小柄な相手は転ぶこともなくしっかりと立っていた。
「おっとごめんよ。転んではいないから大丈……夫……?」
相手に謝ろうと顔を見て僕は心臓を掴まれそうになった。
「いえ、私もよそ見をしていましたからお互い様です。お怪我はありませんか?」
小柄な少女はにこやかに返事してくれたが、僕はその姿に目が釘付けになってしまった。
美しい黒髪に真っ赤な瞳。僕を一番虜にして愛を芽吹かせてくれた一番の敵。
よりにもよってぶつかった少女は、僕が愛して止まないリジーだった。




