第百八十八話 灰王の変身
パテオ山脈北の海岸を出発して早くも半節が過ぎた。徒歩の旅なのでセレシオン王国の王都はまだ遠く、その陰影すら見えていない。
それでも僕とリーグの二人旅は順調そのもので、今は山脈を超え、セレシオンの国境間近まで到着していた。
少し目を細めれば小さく掘られた溝が一本地面に真っ直ぐ伸びているのが見える。
「見えてきたな。あれがセレシオンの国境だよ」
僕はリーグに見えるように国境を指差して教えた。
たぶん彼の想像する国境とは全く形が違うだろう。
「あれが国境なのか? 思っていたものより随分と、小さいものなんだな」
僕の予想が当たったのか、リーグが驚いたように言った。
彼は大陸戦争時代を生き抜いたのだから当然の反応だろう。あの程度の国境ではすぐに隣国からの侵入を受けることになるからだ。
「そりゃあ君の時代から千年も経ってるからね」
横で目を細めて国境を見つめているリーグに説明した。
セレシオン王国は今まで国を繁栄させてきた実力ある国だ。そんな大国相手に下手なことをする小国は今の時代にはいない。
「なるほどな、あの国がここまで安泰しているとは……」
リーグはそう言葉を切ると風に身を任せるように目を閉じた。
その目蓋の裏には生前の記憶が蘇っているのかもしれない。普段無表情な彼の顔は少し綻び柔らかく見えた。
「かつての仲間のことでも思い出しているのかい?」
僕は下から彼の顔を覗き込んで訊ねた。
シェスの情報が正しければセレシオンの初代国王は彼の妹だ。そして彼女は僕と同じ天の炎を継承し、リーグとともに大陸戦争を鎮めた人間だ。
彼がしんみりした顔をするのも分かる気がした。
まあ、そんな妹を僕は今から掘り起こすんだけどね。こいつに後ろから刺されないように注意しないと……
「まあそんなところだ。あの国は共に大陸を駆け抜けた……仲間が興した国でもある。感慨深い気持ちにもなるものさ」
リーグは仲間と言った時少し詰まった。恐らく妹と言いそうになったのを堪えたのだろう。
僕に悟られないようにしているのが丸わかりだった。
シェスの情報がなければ気付くことがない差だろうが、相手が悪い。
「それで、この後はどう言う行程なんだ?」
僕が下を向いてニヤついているとリーグの不機嫌な声が聞こえた。そう言えばリーグは僕のにやけ顔が苦手だった。
考えていることがバレないよう、僕は努めて真顔に戻す。
「この後は転移魔法で一気に王都クーチに移動するよ。もう歩きの旅は十分満喫したし、それに体力も十分戻ったからね」
僕は右の肩を大きく回しながら言った。
十日以上寝ていた体だ。衰えた体と感覚を戻すために歩いていたこともある。
「確かに顔色は随分良くなったな。王都には今日行くのか? まあ、まだ真昼だから宿を取るには時間は十分あるな」
リーグは真上に昇った太陽を見上げて言った。
直視して眩しくないのか目を細める素振りがない。屍人ってのは陽の光も眩しくないのかな?
「あ! そうだ、転移する前にこれ、やっとかないといけなかったんだ!」
余計なことを考えた僕は、大事な事を思い出した。
今回の遠征では一番効力を発揮してくれる保険だ。
肩に背負った袋から僕は黒い円盤の魔法具を二つ取り出し、その一つをリーグに手渡した。
陽光を透き通すような魔法具は中に魔法陣が一つ記されている。
「これは、一体何の魔法具なんだ?」
中に記された魔法陣を光にかざして不思議そうに見るリーグが訊ねてきた。
リーグは初めて見るものにはまるで子供のように反応する。そんな姿を見ると、彼の新たな一面が見えるようで新鮮な気持ちになる。
「ふふふ、これはね、変身魔法だよ。変装じゃなくて変身だ。心踊るだろう?」
興味深げにしているリーグに僕は悪戯っぽく言った。
この魔法具は使用者の姿形、そして魔力までも別人のそれに変えることができる魔法だ。
これがあれば顔や魔力が割れているお尋ね者の僕でも堂々と街中を歩くことが可能となる。
それと、この魔法は僕も初めてなので楽しみであったのは秘密だ。
「変身だと? 今の時代はそんなことも可能なのか?」
僕の説明を聞いたリーグは一瞬だけ目を光らせて驚いた。間違いなく彼もこの魔法に興味が湧いたのが分かる。
「フォレスの長年の研究の一つでね、ついこの間完成したんだよ。今回の旅では重要な魔法具だよ。特に、僕と君は目立ち過ぎるからね」
僕は当然世界中に指名手配されている極悪人だ。そしてリーグは僕に使役される存在と認識されているし、元々白い体で目立つ。街中で探索するなら変身魔法は必要不可欠なのだ。
「そういうことだから、王都に転移する前に二人とも変身するのさ」
そう言ってリーグに目を向けると彼はすでに魔法を発動させて栗色髪の好青年へと姿を変えていた。
「なるほど……すごい魔法だ。これなら誰も認識できないだろうな」
鏡面のような魔法を展開して自分の姿をしげしげと見つめたリーグがポツリと言った。
この国王、僕よりも楽しんでいないか?
少し苦笑いした僕は手に持つ魔法具に魔力を流し込んだ。
すると体の中から熱い液体が溢れ、全身を巡るような感覚が走った。それと同時に皮膚が波打ち、形を変える感覚が伝わってくる。
痛みはないが、体の姿を変えるのは何とも不思議な気分だ。
「これで僕の変身も完了かな? お、ちょっと視界が高くなったね」
体の熱い感覚が引いた頃、僕は目を開けて自分の姿を確認した。
前の身長よりも少しばかり高くなり、手も幾分大きくなっている。顔の彫りも深くなり、誰も僕とは気がつかない厳つさがある。
見た目は屈強な大男と言ったところだろう。
「よし、それじゃあ行こうか、セレシオンへ!」
これなら誰にも見つからない。
絶対の自信を身につけた僕は、握りこぶしを天に掲げた。




