第百七十八話 憤りの灰王
シェス・ルードベル。
彼はストルク王国の上院貴族、ルードベル家の元当主だ。彼はリーグが王都に潜入した二節前までは当主だったが、この短い間に娘のシェリー・ルードベルにその座を明け渡した。
ストルクとセレシオン王国の大戦直前に王子と共謀して実の娘を操ろうとした男だ。
それが例えキンレーン王子に脅されてしてたこととは言え、人を操る禁忌を犯したのだから糾弾されるのは当然とも言える。
だが彼が今の今まで普段通り生活できていたのは、娘であるシェリーの気遣いあってのことだった。
シェリーは本当は父親の顔など見たくもなかった。一度目にすれば当時の感情が爆発して辛く当たってしまいそうになるからだ。
それでも彼女は自分を操ろうとしていた父親を追い出そうとはせず、彼の持っている能力を最大限活かせるよう配慮した。
引いては国の発展のため、と自分の心を押しとどめて彼に生き場所を与える。せめて育ててくれた恩を返そうとしての計らいだった。
シェス・ルードベルはそんな彼女の気遣いに感謝しつつ、いつかは娘の元を去らなければならないと思っていた。
娘を愛してやれなかった自分が今は当主の座を継いだ娘に守られている。
それは今まで上に立ってきたシェスには許されないことだった。いつまでも娘の前で恥を晒す訳にはいかなかったのだ。
そして実の娘への謝罪の仕方も分からなかったシェスは、数年かけて彼女に自分の全てを教え、その後姿を消そうと考えた。
だがそんな彼は、その時すでにアルドベルにより精神支配を受けていた。
それはアルドベルが掛けていた保険の一つだった。次の計画がリジーに阻止された時、シェスが持つ王都クーチの情報を第二拠点に持ってくるように命令を与えていた。
シェリーがルードベル家を継ぐよりも前にシェスは自由を失っていたのだ。
当然そのことに気づいていたシェスは、王都リーグを発った時から激しく後悔していた。
娘と話す時間はいくらでもあった。彼女に謝罪することも、もっと寄り添って支えてあげることもできたはずであった。
自分を探して誰かが追ってくるかもしれないと希望を抱いていたが、その期待は見事に打ち砕かれてしまう。
アルドベルはシェスが誰にも追跡されないよう、彼の歩くルートに転移魔法を仕込んだ魔法具をいくつも仕掛けていたのだ。
シェスがある地点にたどり着くと自動で転移魔法が発動し別の地点へ飛ばされる。そして一度発動した魔法具は崩れて彼の追跡を不可能にする。
背後に大きく見えていた王都が一瞬で消え去り、セレシオン王国へと飛ばされた時、シェスは悟った。
もう誰からの助けも得られず、敵の拠点へと連れて行かれるのだと。
声ひとつ挙げられない彼は、アルドベルの拠点が近づく中、決心を固めていった。
精神支配が緩んだ時を見計らい、せめてもの償いで敵を道連れにしようとしたのだ。
しかしシェスの刃はアルドベルには届かなかった。剣も魔法も格上の相手ではなす術がなかった。
だが、長い後悔を引き摺ったシェスは、死ぬ間際になってようやく娘に素直な気持ちで謝罪することができた。
その声が届くことはないと分かっていてもシェスは口にした。
遠く離れた地で自分を探しているだろう娘の身を案じ、最期は貴族らしく敵に立ち向かう。そして、努力の甲斐もなく無残にも死んでいく。
砂を黒く染めたシェスはそのまま静かに息を引き取った。
それを無言で見届けていたアルドベルは彼の遺体を土に埋め、一度も振り返ることなく拠点へと戻っていった。
アルドベルは疲れている訳ではなかったが、気分が悪くなったように眉間にシワを寄せたままだ。
「思ったより長かったな。そんなに手ごわい相手だったのか?」
彼が家に入ろうとしたところ、入り口から出迎えるようにフォレスが呼びかけた。
フォレスも昨日の内に目が覚めたばかりで、覚束ない足取りでアルドベルの方へと歩いていく。彼の右腕は先がなく、黒い服の袖口が風に煽られている。
「強くはなかったんだけどね……腑に落ちない相手だったから、少し疲れたよ」
アルドベルは片手で顔を隠して言った。顔の殆どが隠れてしまっているので彼の表情は読み取ることはできない。
しかし、それ自体が普段見せない姿なので、フォレスも眉を吊り上げ不思議そうに言った。
「アルがそこまで引き摺るなんて珍しいな」
フォレスはたとえ仲間でもその心には興味がない。なので理由を聞こうとはせずに思ったことだけを口走る。
だが今のアルドベルにはその対応は優しかったようだ。フォレスの方をまっすぐ見たアルドベルは自嘲気味に答えた。
「僕の思う親ってのはね、いつだって子どもに真摯に向き合うはずなんだ。それが、あの男はそうじゃなかった。最後の最後まで自分の気持ちを優先していたんだ。それが……少し気に食わなかっただけだよ」
アルドベルはシェスが娘に面と向かって謝罪しなかったことが許せないでいた。
シェスには自由に動ける時間が二節もあった。それなのに、彼は娘と真剣に話さずに時間切れとなった。
それは、両親と最期の別れもろくに出来なかったアルドベルにとって許し難いことなのだろう。
実に他人事だが怒りを覚えたアルドベルは、必要以上に疲れてしまったのだった。
「それじゃあ、僕は少し休んだら出かけるよ。フォレスはしばらくゆっくりしてるといい」
全てを吐き出し終えたアルドベルは、フォレスの横を通り抜ける時に肩に手を乗せて言った。
当然アルドベルが外出することなど初めて聞いたので、フォレスは急いで振り返って尋ねる。
「出かける? どこに行くんだ?」
フォレスの当然の疑問を受けたアルドベルは立ち止まり、ゆっくりと振り返って言った。
「決まってるさ、セレシオン王国だよ」




